101話 サフィール港
「……つまりは、彼女は私の奴隷ということになるね」
サフィール港までの長い道のりの最中、彼はサラ・アルケミアとの関係を俺達に話していた。
――アルヴァディス・レーヴァンは女に目がないのは周知の事実。
そんな彼は旅の途中であるサラに一目惚れをし、一蹴された過去を持つ。
俺の記録の中に存在しなかったため、別行動中に起こったことなのだろうが。
とまあ、何度か諦めきれずに接触を試みたものの、羽虫のように扱われて終わったそうな。
そこで関わりは断ち切られるはずだったのだが……。
ある日突然、彼の前に現れたサラが自らを奴隷にしろと迫ってきたという。
意味が分からず、彼も初めは断った。
しかし気になって理由を訊けば、奴隷の身分に堕ちることで逃れたい制約があったのだという。
アルヴァディス・レーヴァンという爵位を持つ男の奴隷であれば、丁度良いのだと。
合理的な側面はあるものの、前提としておかしな話である。
奴隷は取り返しのつかない重大な罪を犯した者にのみ与える永劫の枷であって、勇者一行のサラに奴隷紋があっては不自然だ。
しかしサラに言わせれば、そんな不自然や違和感を考慮する必要はないらしい。
それでも渋る彼に対し、サラはとある提案を投げかけた。
『私を奴隷にしてくれるのなら、本当の意味で好きになってやっても良い』
それが決め手となる殺し文句。
かくして、彼はサラに言われるがままに主人と奴隷という奇妙な関係性になったのである。
「――全く性格の悪い女だよ。私が無理矢理命令をすることはないと確信して、話を持ち掛けてきたのだからね」
話し終えると、彼は額に手を当て、若干疲れた様子で溜め息を吐いていた。
彼の話を静かに聞いていた俺達と言えば、ルルさんは引いた様子で彼を見つめているし、ニーエは興味なさそうだった。
きっと鞄の中に入ったままのアリヴェーラも興味なさそうに聞いているんだと思う。
俺は……なんとも言えない気分であった。
というかそもそもの話。
「その言葉を信じたんですか? 絶対に嘘ですよね」
「まァ嘘だろうね。それでも、信じさせるだけの何かを彼女から感じて――惚れた男は弱みに付け入られてしまったのさ」
「あの。先ほど私にも求婚していましたが、出会う女性全員に一目惚れをしているんですか?」
ルルさんからの強烈な一撃。
そりゃそうだろう、多分全員の思考が一致しているはずだ。
「いや、君は特別さ。これほどまでに抱きたいという感情が芽生えたのは久しぶりなほどにね」
「妻は何人娶られているんですか?」
「何人? まだ居ないけれど」
「まず求婚の仕方を考えましょう。それで靡く女は金目当てです」
大金で同行を決めたルルさんが言う言葉だ、説得力が物凄い。
「この私が見初める女性だぞ? 金で堕ちるわけないじゃないか」
「なら、なおさら……この話はここまでにしましょう、失礼しました」
「構わないさ、君の助言は素直に受け取ることにするよ」
全く受け取れなさそうな顔で言って、彼は首の後ろを掻いた。
しかしそうなってくると――話が変わってくるな。
マグリッドが動いていたのはサラ救出のためだったが、サラは自らの考えで奴隷になっていると来た。
具体的な時期は不明だが、勇者一行が魔王を倒した後すぐに散り散りになっていることを考えれば、まず情報の共有はできていない。
言ってしまえば、マグリッドの行動が裏目に出た結果である。
成果は得られず、貴族殺しという大罪だけを背負って隠れなければならない状況……そうでなくとも、マグリッドが野放しされることはなかっただろうが。
サラに協力をしている彼だが、自分を襲ったマグリッドについてはどう考えているのだろう。
気になるが、これを今聞くのは危ういな。
それより、彼には別に聞きたいことがある。
「ところで、そのサラ・アルケミアが俺を助けるよう頼んだってのはどういうことなんです?」
もっともな疑問を口にすれば、彼は俺をまっすぐに見つめ返してくる。
どこか品定めでもするような視線だ。
ややあって、彼は神妙な顔つきで腕を組み、こう言った。
「不思議な物言いをするのだね。質問に答える前に、私からも君に聞かなくちゃならないことが残っているんだ。先に良いかな」
「構いませんが……」
「勇者アルテは、死んだのかい?」
「なぜそれを俺に」
「先の質問に私が答えることになってしまうけれど、まぁいいか。サラから君が勇者だと聞き及んでいたものでね。しかし君はあの勇者、ではないのだろう?」
「……ええ、そうですね。彼は死んでいますよ」
アルテはあの日、間違いなく死んだ。
俺にはそう答えることしかできない。
今残っているのは、彼であって彼ではない。
俺は紛い物だし、記録こそ持っているが彼ではないのだから。
「そうかい。つまり君は――サラ・アルケミアを知らないということ?」
「……会ったことはありません」
俺はサラ・アルケミアのことを知っている。
髪はアルテと同じ黒色で、彼女は背中辺りまで伸ばした長髪を自慢気に語っていた。
幼少期からアルテと研鑽を重ねていたことで肉体は鍛え抜かれ、魔法使いにも関わらず並の剣士なら一方的に叩きのめせるほど近接戦闘が得意なことも、知っている。
長かった旅路の果てまで、背中を預け合った大きな存在であることも見ている。
けれども、俺に培われていた記憶ではない。
彼女のことは知っているようで、実のところはよく分かっていないのだ。
「けれども君は勇者だ。これでも昔剣術をかじっていたもので、君の強さは見れば分かるのだよ。しかしそうか……死んでしまったのか」
酷く残念そうに言って、彼は俺から視線を逸らした。
そして魔走輪の窓からどこか遠くを見つめるように、小さく洩らす。
「――私では及ばないということじゃないか。どう足掻いても」
「え?」
「なんでもないさ。そろそろサフィール港に着く、顔を隠す準備をしたまえ」




