100話 魔法使い
どこまでも黒い雲に、空が覆われていた。
大地は暴風雨で水浸しになり、町中に人の影は誰一人として見当たらない。
そんな最悪な天候の下――凄まじい速度で水飛沫を上げ疾駆する影、二つ。
一つは赤き閃光の如く地を駆け抜け、その真上で純白の輝きが飛翔する。
「ったく、面倒なことしてくれたわね……!」
白いローブを羽織る女は雨でびしゃびしゃに濡れながら激怒の叫びを上げ、背後へ片手を翳した。
その手から放たれる数十の魔弾が雨粒を弾き返し、放射状に周囲一体を破壊し尽くしていく。
魔弾とは魔力を球状に圧縮し撃ち出す基礎攻撃魔法だ。
通常それらは対象を吹き飛ばすものだが、使い手の魔力と技術が高いほど威力は跳ね上がっていく。
つまり――魔法使いサラ・アルケミアが放つ魔弾は地面を粉々に破壊し、強力な魔物でさえも葬り去る威力を発揮するのだ。
魔弾の着弾地点から轟音が唸りを上げ、捲れ上がる大地の破片が空へ散らばる。
「ちっ……これだと足止めも難しいか」
だが、魔弾を撃ち込んだ対象は止まらず――変わらず二人に迫ってきていた。
それは城と見紛う、銀色の巨大な体躯だ。
発光を繰り返しながら軟体動物のように滑らかに直進し、地面ごと飲み込んでなお動きを緩めない。
頭と思しき箇所には黒い大穴が一つ、頭頂部の円環がきぃんと高音を鳴らし、回転を続けている。
光輪魔奏砲台。
神聖教会が持つ複合魔法の極致、対魔軍用の戦略兵器――それがたった二人の人間に対して攻撃を放たんとしていた。
光輪魔奏砲台の背後には数十名からなる神官が聖典を構えており、中空に描かれた魔法陣から魔力が兵器へと集められていくのが遠くからでも見えてしまう。
サラと並走するように駆けるもう一人の逃走者――リーズリースは濡れる前髪を邪魔そうに片手で掻き上げ、サラへと言った。
「オイ、あんなん魔弾で破壊できるようなもんでもねーだろ?」
その発言をサラは否定し、苛立ち混じりにこう答える。
「目的は破壊じゃなくて、足止めと収束しようとしてる魔力の阻害よ」
「なら失敗ってことか? 全然効いてる気配もねぇし」
「るっさい……! 第一アンタ誰よ、いきなり魔法塔で暴れ出す奴がいるわけ?」
「はっ、救助しにきてやったんだ、おかげで出られたろ?」
「おかげさまで、アレに追われてるんだけど」
「そんなもん逃げちまえばい――っと、一射目来るぞ!」
「言われなくても分かってる」
急激な魔力の高まりと金切り音が響いた瞬間、二人は散開した。
直後、今まで二人が居た箇所に真白の光線が突き刺さり、円形状の周囲一帯が輝きに呑み込まれ、跡形もなく消滅する。
「あっ、ぶねぇー…………なんてもん町中でぶっ放しやがる!」
「無事に避けられたみたいね」
あまりの威力に冷や汗を掻くリーズリースに合流し、サラは平然とした顔で「まぁ」と口にする。
「――アンタが色々知ってるらしいのは分かったわ。で、どうやって私の情報を手にしたわけ?」
「ちょっと盗み聞きしただけだよ」
「へぇ、それで私を助けようとしたってことね……アンタ私が誰だか分かってる?」
「お前を知らねーやつが居るかっての、だからこそ助けに来てやったってのに……ぴんぴんしてるとは思わないだろ」
「何聞いたか知らないけど、これでも最高位の魔法使いよ。いつでも動けるように対策はしてるの」
サラはそう言うなりローブを剥ぐと、突然首元から胸元までを大きく露出させた。
その行為にリーズリースはぎょっと目を見開くが、彼女の首元に刻まれた紋様が目に入り、今度は表情を歪める。
「奴隷の契約魔法だって……?」
「そ、私は誰かさんの所有物で、そいつの許可なしじゃ魔力タンクとして扱えないってわけ。契約は契約で上塗りすんのが一番ね」
「けどそれじゃあ」
「相手は選んでるから」
なんでもないとばかりに言葉を切り、サラは性懲りもなく背後へ魔弾を連射する。
攻撃が相手に通用しないことは承知の上で、狙いは別にあった。
地面や倒壊した建物の壁面、光輪魔奏砲台を狙って放たれたそれは複数の爆発を生み、二人と敵を隔てるように視界が覆い隠される。
これが通常時なら大きく有利に働くところだが――爆撃の幕は雨に洗い流され、目眩ましは一瞬しか機能しない。
「今ね。アンタも魔法使いなんでしょ、私に同調なさい」
「無茶言いやがる!」
だがその一瞬こそ、サラが己の魔力を消耗してでも作りたい一瞬だった。
魔弾による目眩ましで奪った視界と魔力感知の間隙を突き、眼前に創り出した空間の裂け目。
飛翔するサラの身体はその一瞬で裂け目へ消え、後に続くようにリーズリースも裂け目へ突っ込むと、直後に空間は閉じられる。
再び開けた視界に、二人の姿はない。
光輪魔奏砲台は対象を見失って静止し、神官達は逃走した二人の痕跡を探すが――大雨と強力な魔力の余波に掻き消され、何も残ってはいなかった。




