プロローグ:合法的ハーレム生活
目を覚ますと、見とれるほどの美貌が間近にあった。
「へ?」
思わず、間の抜けた声が漏れてしまう。
俺の思考回路がフリーズするなか、その美貌の持ち主は空色の瞳をまん丸に見開き、透き通るようなスノーホワイトの肌を桜色に上気させる。
「ひゃっ!?」
「おおぅっ!?」
弾かれたようにパッと顔を離す美少女。勢いのある反応と声に、ついつい俺も驚いてしまった。
「お、驚かさないでよ!」
「こっちのセリフなんですけど!?」
「うるさい! いきなり起きるな!」
「ええ……」
どう考えたって非のない俺に理不尽な言葉をぶつける彼女は、一〇〇人いたら一〇〇人が「綺麗」と口を揃えるほどの美少女だ。
それぞれのパーツが黄金比で配置されているかのような、芸術的なほどに整った細面。
イギリス人ハーフの母親から受け継いだという、陽光を織ったかのごときゴールデンブロンドは、ポニーテールにされている。
同じく母親由来の空色の瞳は切れ長で、意志の強さを感じさせる。
高一女子としては背が高く、体つきはスレンダー。手足がスラリと長い、いわゆるモデル体型だ。
白いシャツに紺色ブレザー、赤いリボンタイ、深緑のチェック柄スカート、白いアンクルソックスを身につけた、彼女の名前は高岸美風。俺――西条蓮弥の、同い年の幼なじみだ。
いまだに頬を紅潮させたまま、スー、ハー、と深呼吸をして、高鳴っているのだろう鼓動を鎮めている美風を眺めながら、俺は心のなかで独りごつ。
そうか。今日は美風が起こしにきてくれたのか。
ひとつあくびをした俺は、上体を起こして伸びをする。
固まった体を解しつつ、デスク脇のラックに置かれた時計をチラリとうかがって――俺は疑問を覚えた。
「あれ? ちょっと遅くないか? いつもはもっと早い時間に起こしてくれるよな?」
尋ねると、美風が肩を跳ねさせる。『ギクリ』の効果音が似合う、マンガじみた反応だ。
俺が答えを待つなか、右へ左へと目を泳がせて、拗ねるように唇を尖らせてから、美風が口を開く。
「…………よ」
「え? なんて?」
「……くて……よ」
「ゴメン。聞こえないから、もう少し大きい声で頼む」
俺が眉をひそめると、ゴニョゴニョと口ごもっていた美風は体をプルプルと震わせて、上気していた肌をさらに赤くしながら、叫ぶみたいに言い放った。
「蓮弥の寝顔を眺めていたくて起こせなかったからよ!」
「へっ!?」
まさかのカミングアウトに鼓動が跳ね、体がカアッと熱くなる。きっと俺の顔は、美風に負けず劣らず赤くなっていることだろう。
流石にいたたまれないらしく、美風が飛び跳ねるように立ち上がった。
「お、起きたなら早く着替えること! 朝ご飯に間に合わないわよ!」
ビシッと指を突きつけながら早口で忠告。いかにも照れ隠しな言動ののち、美風はくるりと背中を向けて、そそくさと俺の部屋を出ていった。
バタンッ! と勢いよく閉められたドアをポカンと眺めていた俺は、思わず、ぷっ、と吹き出してしまう。
「可愛いやつだなあ、ホント」
○ △ □
紺色ブレザータイプの制服に着替え終えた俺は、部屋を出る。
「きゃっ」
同時、小さな悲鳴とともに左半身に軽い衝撃。
反射的にそちらを見やると、小柄な女の子が倒れそうになっていた。どうやら、彼女は俺とぶつかってしまったらしい。
「危ない!」
咄嗟に手を伸ばし、抱き寄せるようにして彼女を助ける。無事に腕のなかに収めることができて、俺はホッと安堵の息をついた。
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
視線を下げながら尋ねると、腕のなかの女の子がコクリと頷く。
美風と系統は異なるが、彼女もまた、ずば抜けた美貌の持ち主だ。
一七八センチの俺よりも三〇センチ近く低い、小柄で華奢な体つき。
パールホワイトの肌にはくすみひとつなく、夜空を写し取ったかのような黒髪は、腰元にまで届いている。
俺を見上げる瞳は、さながら黒水晶のよう。
変化に乏しい顔つきは、しかし、匠が作りあげた人形のように端正だ。
彼女も美風と同じく俺の幼なじみ。名前を本木詩織という。
「悪い。よそ見してた」
「謝る必要はありません。ちゃんと助けてもらえましたから」
眉を下げる俺に、詩織はふるふると首を振り、かすかに口端を上げる。
「それに、蓮弥さんに抱きしめてもらえましたから、むしろラッキーです」
ドキリと胸が高鳴った。
詩織の言葉が、腕のなかの存在をより強く意識させる。女の子特有の柔らかさ、心が癒やされるような優しい体温、桜に似た穏やかな匂いが、先ほどよりも鮮明さを増し、俺の鼓動を加速させる。
「そ、そうですか。それはなによりです」
動揺のあまり敬語になりながら腕を解くが、詩織は離れようとせず、それどころかより距離を縮め、俺の胸元に頬をくっつけてきた。
「し、詩織さん?」
「せっかく抱きしめてもらえたんですから、もっと堪能したいです。ギュッてしてくれていいんですよ?」
「勘弁してくれ。心臓がもたない」
「蓮弥さんはシャイですね」
「詩織が大胆なんだよ」
両手を上げて降参のポーズをとると、詩織はクスクスと笑みをこぼし、ようやく俺から離れてくれた。表情があまり変わらないので勘違いされがちなのだが、詩織は結構お茶目な性格なのだ。
先ほどの美風のように深呼吸して鼓動を落ち着かせるなか、俺はようやく気づいた。詩織が制服姿でなく、クリーム色のパジャマ姿をしていることに。
「まだ着替えてないのか?」
「はい。少し寝坊してしまいました。昨晩、かなり遅くまで起きていましたので」
「なにかしてたのか?」
「ノート作りです」
「ノート?」
首を傾げる俺に、詩織が頷きを見せる。
「もうすぐテストでしょう? ですから、皆さんが苦手分野を克服できるように、参考書のようなものを作っていたんですよ」
詩織はとても頭がいい。成績は常にトップクラスで、学期の頭に行われたテストでは、当たり前のように一位を取っていた。その優れた頭脳で、俺たち三人のテスト対策をしてくれていたようだ。
「……あふ」
口元を手で隠し、詩織が小さくあくびをした。遅くまで起きていたためだろう。
頭がいいからといって、超人であるわけではない。むしろ、詩織の体力は人並み以下。夜更かしは負担になってしまうのだ。
眠たそうな詩織の様子に、ありがたいと申し訳ないが同時にやってくる。
「ありがとう、詩織。ただ、無理だけはしないでくれよ? なによりも大事なのは詩織の体調だ。詩織が体を壊したら、俺たちは辛い」
「ふむふむ……蓮弥さん」
「なんだ?」
「もし、わたしが体調を崩したら、治るまでつきっきりで看病してくれますか?」
「……看病してもらえるなら無理をするのもありかもしれない、なんて考えてないだろうな?」
「冗談です。怖い顔しないでください」
眉間に皺を寄せてみせると、詩織が苦笑を浮かべた。
「心配してくれてありがとうございます。気をつけますね」
詩織が柔らかく目を細める。俺に心配されて嬉しいらしい。
その表情は反則だろ……可愛すぎる。
詩織の微笑みに俺の怒りはあっさり鎮火され、代わりに愛おしさと照れくささが顔を覗かせた。
赤くなっているだろう頬をポリポリ掻いていると、なにかを閃いたかのように、詩織が斜め上に視線をやる。
「どうかしたのか?」
訊くと、詩織が視線を戻し、再び俺を見上げてきた。
「蓮弥さん。わたし、頑張りましたか?」
「そりゃあ、もちろん」
「お役に立てましたか?」
「立ててないわけないだろ」
「でしたら、ご褒美がほしいです」
詩織が頭を差し出してくる。
「ご褒美をもらえたら、疲れがきれいさっぱりなくなる気がします。眠気もどこかに飛んでいく気がします」
「おねだり上手だなあ、まったく」
こう見えて詩織は甘えんぼうだ。
俺は苦笑して、詩織が求めているだろうご褒美をあげる。
「ありがとう、詩織」
お礼の言葉とともに詩織の頭に手を載せて、慈しみをこめて撫でてあげた。
「いかがでしょうか、お嬢さま?」
「大変結構です」
「それはなにより」
じゃれ合うように言葉を交わし、詩織の頭から手を離す。
詩織が背伸びをして、俺の手を追いかけてきた。
「ご褒美は、いくらあってもいいんですよ?」
「はいはい」
甘えんぼうは甘え上手でもあるらしい。
詩織が満足するまで、俺はたっぷりと頭をなでなでしてあげた。
○ △ □
リビングダイニングに向かうと、ダイニングテーブルにはすでに朝食が並んでいた。
ニンジン、キュウリ、紫キャベツなどが挟まれ、いかにもミンスタ映えしそうな断面をしているベジタブルサンド。
こんがり焼かれたベーコンと、一目で絶妙な半熟加減だとわかる目玉焼き。
ベーコンエッグの皿には、彩りでレタスとトマト、付け合わせにポテトサラダが添えられている。
「おお! 美味そう!」
「あ。おはよう、蓮弥くん」
並べられた朝食たちに目を奪われていると、オープンキッチンにいる女の子が俺に気づき、挨拶してきた。
背格好は中肉中背。胸の膨らみはたわわで、さながらメロンのよう。
瑞々しい肌はクリーム色。
ショートボブの髪は、琥珀を想起させるようなライトブラウン。
キャラメル色の瞳は丸くてくりっとしている。
制服の上に薄桃色のエプロンという、いかにも幼妻な格好をしている彼女は、永春萌花。美風・詩織と同様、俺の幼なじみだ。
「ご飯の準備、いつもありがとう、萌花」
「ううん。わたしがしたくてしていることだから」
「食器は俺が洗うよ。萌花ばかりに任せてられないからな」
「ありがとう。けど、やっぱり自分でやりたいな」
俺の気遣いをやんわりと断り、萌花がふわりと微笑む。
「蓮弥くんの役に立てるの、嬉しいから」
「そっか」
萌花の健気さに、自然と頬が緩んだ。
献身的な女の子から慕われている喜びを噛みしめていると、なにかに気づいたかのように「あ」と声を漏らし、萌花が俺に近づいてくる。
「蓮弥くん、ネクタイ曲がってるよ? 直してあげるね」
ほとんど密着しているような距離まで寄ってきた萌花が、優しい笑みを浮かべながら、俺のネクタイに手を伸ばす。
白魚みたいな指がネクタイを結び直していく。そのあいだ、俺はドキドキせずにはいられなかった。
腕を回すだけで抱きしめられるほど近くに萌花がいるのだから、しかたない。ふんわりと漂うホットミルクみたいな匂いが、俺の体温を急上昇させる。
「蓮弥くん、顔赤いよ?」
俺の異変に気づいた萌花が、コテンと首を傾げた。
その可愛らしい仕草で、さらに鼓動が速まるのを感じながら、俺は答える。
「そ、その……近いからさ」
「近い?」
キョトンとした表情で目をパチパチとしばたたかせて――萌花の顔が、見る見るうちに赤く色づいていった。どうやら現状を理解したようだ。
「そ、そうだね。近いね」
「あ、ああ。近いな」
あまりの面映ゆさに、俺と萌花の語彙力は完全に消失。ふたりしてモジモジしながら、そっと視線を逸らし合う。
「ネ、ネクタイ、結び直せたよ」
「お、おう。サンキューな」
「う、うん」
ネクタイを結び直した萌花は、しかし、後ろに下がろうとはしなかった。俺から離れたくないというように、その場に佇んでいる。
「な、なんか、こういうのっていいな」
「そ、そうだね。夫婦っぽくていいね」
甘ったるいことを口にし合って、再びモジモジする俺と萌花。
甘酸っぱくてむず痒い空気が漂う。
ガチャ
ビクゥッ!
そんななか、リビングダイニングのドアが開かれた。
俺と萌花は揃って肩を跳ねさせて、パッと離れる。
「おはようございます、萌花さん」
「おはよう、萌花。今日の朝ご飯も美味しそうね」
入ってきたのは詩織と美風だ。タイミングがタイミングなだけに、俺も萌花もうろたえずにはいられない。
ふたりの登場に心臓をバクバクさせていると、制服に着替え終えた詩織が尋ねてきた。
「どうされたんですか? おふたりとも、なにやらアタフタされているようですが」
「そそそそうか!?」
「こ、これは……その……えっと……!」
「ああー……別に言わなくていいわ」
俺と萌花が慌てふためくなか、事情を察したらしい美風が、悪ガキみたいにニヤリと口端を上げる。
「どうせイチャついてたんでしょ?」
図星も図星。
俺も萌花もなにも言えず、ただ顔を赤らめるほかになかった。
○ △ □
「「「「いただきまーす」」」」
なんだかんだあったのち、俺たちはダイニングテーブルを囲んでいた。四人揃って合掌して、萌花が用意してくれた朝食にありつく。
「今日も美味しいです、萌花さん」
「そう言ってもらえたら嬉しいよ、詩織ちゃん」
「流石は萌花だな。目玉焼きの黄身がトロッとしてて最高だ」
「はい、蓮弥、塩こしょう。目玉焼きには塩こしょうなんでしょ?」
「サンキュー、美風。お前はソース派だよな。ほい」
「ん。ありがと」
和気藹々と談笑しながらの食事は、まさに一家団欒だ。
この光景をどこかから誰かが見ていたら、『ハーレムじゃん、これ』とか『こいつら絶対に両思いだろ』とかの感想を口にすると思う。
その通り。この状況はハーレムだし、美風・詩織・萌花は俺のことが、俺は、美風・詩織・萌花のことが好きだ。
見目麗しい、三人の女の子との同棲生活。まさに男の夢。正直、俺が当事者じゃなかったら嫉妬していただろう。
だが、いや、だからこそ、こんな疑問を抱くひともいるのではないだろうか?
『なんで修羅場にならないんだ?』
複数の女性がひとりの男性を好きになる。普通に考えれば、その状況は男性の取り合いに発展するだろう。彼を自分だけのものにしたいと、彼女たちは奪い合うだろう。ギスギスドロドロした展開は避けられない。
しかし、俺たち四人のあいだには欠片のギスギス感もなかった。ひたすら平穏でほのぼのとした、仲良しハーレムが形成されている。
「その状況で、どうしてギスギスしないんだ?」と問われたら、「俺たち全員がこの状況に納得しているから」と答えよう。
「なぜ、そんな夢みたいな関係を築けたんだ?」と訊かれたら、「俺たち全員がこの関係を望んだから」と説明しよう。
そう。俺たちは自ら望み、選んだのだ。
『重婚のテストケース』になることを。




