第七話
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コンクリート塊の夢魔はその鎧ともいうべき衣を脱ぎ捨て、黒い粘塊として少女を襲った。タールのような黒さと腐臭を放つその肉体は夢世界を侵食してその大地自体を溶解させた。
『お嬢、奴はこの娘の自我を溶かしにかかってる、速くしないと潰されぞ!!』
子供を殺され自暴自棄になった夢魔は我を忘れ、自分の侵食している娘(由香)の精神さえも食いにかかった。逆上した夢魔は刈人と呼んだ少女を殺害することに全精力を傾けたのである。
だが、その行為は少女にとって望んでいたものであった。
『これでいい』
少女はそう言うと残り2発の弾丸をバレルの中に装填した。そして子うさぎが跳ねるようにして崩れたビル群に向かって疾走した。
『何を考えているんだ、お嬢?』
しゃがれた声がそう言うと少女は亀裂の入った太陽に照準を向けた。
『いいのか、そっちで、もう片方の可能性もあるぞ!!』
しゃがれた声の持ち主は不安な声を上げた。
だが少女はニヤリ笑みをこぼすとそれを無視して引き金を引いた。
夢世界に乾いた爆音が響き、亀裂の入った太陽の表面が鏡が割れるようにして爆ぜた。
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『どうやら当たりだな…………』
しゃがれた声がそう言うと砕けた表面から由香の顔が現れた。まったく精気のない表情で、澱んだ瘴気が覆っている。
『長時間、夢魔に犯されて……イドさえ消えかけているんだ……』
しゃがれた声がそう言うと少女がそれに答えた。
『微かな自我があれば、リビドーで何とかなるだろ』
リビドーとは人の精神を構成するもっとも原始的で強い衝動である。刈人と呼ばれた少女はイドの根源にあるリビドーを揺り動かし、わずかに残った自我とスパイラルを描きたいと考えていた。
『この娘の自殺願望はスーパーエゴが強くなって生じたものだ、リビドーの力を自我に開放させれば、この夢魔を焼き払うことができる』
少女がそう言うとしゃがれた声の持ち主がため息をついた。
『荒療治か……』
少女はその声に耳を貸さなず、イドの象徴である由香の分身にむかって声を上げた。
『さあ、選べ、最後の選択だ!!』
黒い太陽の表面から顔を出した由香に対し少女は声を張り上げた。
『このままなら、お前の精神は夢魔ともども溶解する、たとえ此岸で目を覚ましても廃人だ!!』
少女はそう言うと首をよじりながら眼窩から黒い涙を流す由香のイドに話しかけた。
『お前の未来は自分で選べ!!』
少女がそう言うと由香のイドは喉を震わせた。
『お前には想い人がいるんだろ?』
少女がそう言った時である、由香のイドは人外の咆哮を上げた。そしてその咆哮は死を選ぼうとするスーパーエゴの障壁を揺らした。それを見た少女は悪魔的な微笑を浮かべた。
『奴の核はどこだ?』
少女がそう言うと由香のイドが口を大きく上げた。そして太陽の表面から瘴気が昇り、それがらせん状に重なり合った。
『それでいい!』
少女がそう言った時である、黒塊となった夢魔が波のような形状へと変化した。そして少女へと襲い掛かった。
『わが糧となれ、刈人よ!!!』
夢魔はそう叫ぶと嬉々とした表情で少女をうねる粘塊で飲み込もうとした。
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夢魔は歓喜の涙を流した。
『喰ってやった、刈人を……坊やたち、仇はうったからね……坊やたち』
黒い粘塊となった夢魔は由香の夢世界の中で勝利の咆哮をあげた。
『この娘の精神をエサに、新たな子供を産めばいい……今度はもっと元気で体の強い子を』
夢魔は由香のかすかに残ったイドを食い尽くさんとその触手を伸ばした。
『お前のせいで危うく死ぬところだった。お前の心をすべて捧げてもらう』
夢魔はそう言うと黒い粘塊からクラゲのような形状へと変化した。
『いただきま~~す!!』
黒い触手はイドの象徴である由香の分身を包み込んだ。
『これでお前は完璧に私の支配下だ。私の産む子供の糧として肉体が滅びるまで奉仕するがいい』
夢魔は滔々とそう言うと由香の分身をその口に放り込もうとした。
――その刹那であった――
爆音が響きクラゲの腹部が吹き飛んだ。
≪……そんな………≫
夢魔にとっては想定外の事が起こったらしく、その声には絶望を認識する感情さえこもっていなかった。
『終わりだ……夢魔よ』
そう言ったのは黒い粘塊に飲み込まれたはずの少女であった。
≪お前は、私が飲み込んだ……はずだ……≫
夢魔は絶望の声を上げた。
それに対し少女はカカッと嗤った。
『この娘の自我は死んでいない……イドの[生]に対する渇望を察知して昇華しようとした。私はその力を借りたんだ』
≪……そんな……≫
夢魔がそう言うとクラゲとなった体が崩れ出した。
『お嬢、間に合ったな』
崩れ始めたクラゲの体は腐臭を放ちながら解けていった。夢世界の中で体液の汚泥が出来あがると如何ともしがたい景色がひろがった。
少女はその中心に向かって進んだ。
『これだけか……』
少女は汚泥の中心から仄かに輝く石のようなものを拾い上げた。
『根だな……だが、量が少ない……これじゃあ、使かった弾代にもならん』
しゃがれた声が不愉快そうにそう言うと少女がその形状をねめつけて口を開いた。
『これは一部だ……まだやつらの根は生きている』
少女がそう言うとしゃがれた声が続いた。
『ああ、そのようだな……どうする、お嬢?』
少女はその答えに対しフフッと笑った。
『この娘に聞けばいい』
その言葉と同時に由香の夢世界は崩壊を始めた。
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異様な症状を病室で体現した由香であったが……倒れた後、しばしの時間がたつと、その容態は急に安定して健やかな寝息を立て始めた。
吹き出した赤黒い体液が嘘のように消えると、医者も看護師もその変化に自分の目を疑った。彼らは考えられない事態の発生に息を飲む他なかった。
一方、宏もその変化に茫然とするしかなかったが、手にしていた髪飾りが震えるのを感じると一つの想いが生じた。
『あの娘が助けてくれたんだ……きっと……』
非科学的な見解は医者や看護師に通用するとは思えず、宏は夢の中で会った少女の事を伏せたることにしたが、妹が命を取り留めた理由は彼女の活躍以外に相違ないと確信した
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それから3日が過ぎ、妹の体調は順調に回復した。
「検査は問題ないって……明後日で退院……よかった」
宏がそう言うと由香は小さく頷いた。
「あの時はもう駄目かとおもった……」
宏は赤黒い体液を流した由香を思いだし閉口した。
「もう、だいじょうぶ……」
由香はそう言ったがその顔は昏く沈んでいた。明らかな異常な体験をしたため由香自身がその体験に奇々怪々な思いを持っているのだろう、どことなく不安げで言葉に力はなかった。
宏はそんな由香をしばらく沈黙して見守った。宏も夢の中で異様な体験をしているため由香の心理は手に取るようにわかる……黙って見守るのが一番だと思った。
しばし間を置くと宏は沈黙を破った。
「由香……言いたくないのかもしれないけど……何があったか教えてくれないか?」
宏は由香が夢魔に襲われるようなった理由を問いただそうとすると由香は青白い顔をしたまま口を真一文字に結んだ。
言いたくない『何か』があるのは明白である……
宏は無理やりにでも聞いたほうがいいかと悩んだが、由香の堅い意志はそれを許さぬものがあった。
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そんな時である、例のしゃがれた声がどこからともなく聞こえてきた。
『お嬢ちゃん、言いたくないのはわかるけど……話してもらわないとこっちも商売あがったりなんだ。』
銭勘定する商人のような声が響くとそれに可憐な声が続いた。
『助けてやった恩は返してもらわんとな』
その声が聞こえるや否や、どこからともなく少女が現れ、由香に詰め寄った。
『話せ』
にべもない言い方であったがそこには反駁を許さぬ圧力があった。由香は可憐な少女に目をやると、何とも言えない情けない表情を見せた。そして……おもむろに口を開いた。
刈人の活躍により夢魔は倒されて由香はたすかりました。ですが夢魔を引き付けた由香の心の闇はまだ明かされていません。はたして由香はいかなる闇を抱えていたのでしょうか?
次回で由香の闇が暴かれます!




