第六話
戦闘シーンが長くなりましたので2回に分けます。
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『ママ、いたいよ……』
頭部だけになったムカデの夢魔はその醜悪なツラで叫んだ。
『おにいちゃんが、撃たれちゃった…………』
脂ぎった中年の人面部分はそう言うとそのひしゃげた眼窩からポロポロと涙を流した。
『ミンチにされちゃったよ……』
ムカデの妖魔がそう言うと歪曲したビル群の中の一つが『ゴゴゴゴッー』という地響きを立てた。
『かわいそうに、坊や……刈人にやられたんだね』
ビルの中から禍々し声が響くとムカデの妖魔は嬉しそうな声を上げた。
『ママ!!』
『坊や……』
慈愛のこもった声が夢世界に響く……その声の持ち主は由香の夢からその精神をのっとった超本人であった。声を聞いた人面ムカデの夢魔は幼児が母親に甘えるような声を出した。
『かわいそうに……こんな目に……』
母と思しき夢魔が切なげにそう言った時である。人面ムカデの頭部が爆音とともに粉砕された。先ほどまで口を開いていた人面は消失し、赤黒い体液と甲殻の欠片が辺りに四散した。
『こんなの所にいたのか?』
そう言って現れたのはショットガンを手にした少女であった。行燈袴で颯爽と歩くと結い上げた黒髪がそれに合わせて雅に揺れた。混沌とした夢世界の中でシャナリと歩く少女の姿は明らかに異様である。
『おのれ、わが子を!!』
歪曲したビルがさらに歪むと地面と接している部分が捻じれた。
『許さんぞ、刈人!!』
激高した声が夢世界に響くと少女は淡々と答えた。
『かかってこい、銃の錆にしてやる』
少女はそう言うと空の薬きょうをバレルから振り落として次弾を装填した。相も変わらずその動きは優美で、ベテランの軍人や傭兵がみせる所作とは異なる美しさを秘めていた。
『わが子の仇、お前の血肉を持って償ってもらう!!』
夢魔はこの世の声と思えぬ音声でそう言うと室外機やベランダの手すりを中空で組み合わせ、槍のようなものを作り出した。
『逃がさんぞ!!』
コンクリートの塊となって具現化した夢魔はその槍を何本も瞬時に作り上げると少女めがけて投擲した。
『死ね、死ね、死ね!!』
だが少女はその怨嗟の声など『耳に入らぬ!』という表情で淡々と投擲物を交わした。流れるようなその動きは綽々としていて華麗であった。もしこの少女の回避行動をその眼にすることができたら誰もが嘆息するであろう。
『おのれ……てこずらせおって!!』
夢魔はそう叫ぶとビルの壁面を分離させた。
『これで、仕舞にしてくれる!!』
中空に浮いたブロック塀や窓ガラスは少女のいる場所だけでなく、その回避行動をとるであろう範囲にも矢のように降り注いだ。
だが少女はそれを見て嘲笑った。
『当たるとおもっているのか?』
少女はそう言うと、襲い来る一連の攻撃を何の造作もなくかわした。
『なぜだ、この娘の心は私がすべて掌握したはずだ……刈人の付け入る隙間などないはずなのに……』
少女を刈人と呼んだ夢魔は想定外の展開にほぞを噛んだ。
『今度はこちらの番だ』
少女はそう言うと大地を滑空するように走った。行燈袴がなびき、後ろ髪が揺れる。夢魔の支配する世界に一陣の風が沸き起こった。
*
少女の動きはまさに疾風であった、300m以上あった距離を一瞬で詰めるとコンクリートの塊にショットシェルを打ち込んだ。すさまじい爆裂音が夢世界に響く、夢魔にとっては最悪の状態が展開した。
『まだだ!!』
少女はそう言うと素早い手つきで次弾を装填し、流れる動きで引き金を引いた。
歪曲したコンクリート塊の夢魔は波状的に襲うショットシェルの散弾にたいして絶望的な悲鳴を上げた。
だが、それに対してしゃがれた声は怪訝な声色でつぶやいた。
『お嬢、こいつは……本体じゃない……』
その声を聞くや否や少女は目を細めた。
『この娘の夢はほとんどが夢魔によって支配されている……あの化物は根の一部でしかない……』
少女はその声に耳を澄ますと射撃を止めた。
『この娘はかすかながらも自我が残っているはずだ……その部分に食い込んでいる夢魔との間にくさびを打ち込まないと……』
しゃがれた声の持ち主はそう言ったが、はたしていかようにしてくさびを打ち込むのか……。由香の精神は夢魔に侵食される段階を越えてすでに溶け合っている。この夢世界に至っては100%が夢魔の支配といってよい……少女は一瞬、沈んだ表情を見せた。
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その時である、コンクリート塊の夢魔の中からワラワラと蜘蛛の一団が湧き出てきた。手のひらより一回り大きな体、赤く膨らんだ腹部、そして頭部から浮き出た人面、その異常な風体は背筋を凍らしめるものであった。
『おかあさんを虐めるな!!』
蜘蛛たちはそう言うと四方八方に散らばった。そして何百という一団になってそれぞれの方向から同時に少女に向かった。
『駄目よ、坊やたち、刈人に近づいては!!』
母なるコンクリート塊の夢魔は痛切な声を上げた。
『お兄ちゃんたちの仇を取るぞ!!』
小蜘蛛たちはその言葉を意に介さず少女に向かって突撃した。醜悪な人面をつけた小蜘蛛たちは腹から糸を吐きだして少女に向かった。
少女はそれを見ると何とも形容しがたい笑みを見せた。
『お嬢、あれを使え』
しゃがれた声がそう言うと少女はガンベルトからオレンジ色のショットシェルを取りだした。そしてバレルから薬莢を振り落すと優美な動きでオレンジ色の弾丸を装填した。
『サヨナラだ、ゴミども』
少女はそう言うとショットガンを頭上に向けて撃った。
*
放たれたショットシェルは頭上50mほどの所で炸裂すると、少女を中心にして同心円状に散弾を放った。直径1mmの散弾は赤く光ると蜘蛛の集団へと雨のようにして降り注いだ。
『あついいいいい、熱い、熱いっっ!!』
散弾に被弾した人面蜘蛛たちは口々に悲鳴を上げた。
『その散弾は炎弾だ。お前たちの『糸』には相性がいい』
少女の指摘通りで散弾は小蜘蛛たちの吐きだした糸に引火し、本体にも及んでいた。おまけに一段となり密集していた小蜘蛛たちは逃げることもままならず炎渦が蜘蛛たちを飲み込み始めた。
『おかあさん、あつい!!』
中年の主婦、老婆、壮年の男、様々な人面が浮き出た子蜘蛛たちは苦悶の表情を浮かべて断末魔の叫びをあげた。少女はそれを見ると謀略めいた目つきでコンクリート塊の夢魔に目をやった。
『お嬢、いけるぞ!』
しゃがれた声は歓喜してそう言った、その声にはくっきりとした希望が浮かんでいた。
*
『坊や達……』
母なる夢魔は炎に焼かれて炭化していく子供たちを見て絶望の声を漏らした。醜悪な姿をしていても母と子の関係は人のそれと同じらしく、異臭を放ち絶命していく子蜘蛛を見て深い慟哭を漏らした。
その時である、夢世界の中空に浮かんでいた黒い太陽が二つに割れた。
『いけるぞ、お嬢――奴の心に穴が開いた』
しゃがれた声がそう言うと少女はニヤリとした。
『奴とこの娘の精神が若干だが分離した、今なら……』
しゃがれた声の持ち主はそう言うと黒い太陽に触れた。
『あれだ、あれがルーツ(根)だ。……だが……外せば……わかるな、お嬢……』
言われた少女は自信のある表情を見せた。
『ああ、わかっている!!』
少女は応えると、その場に立ちどまり凛とした声を上げた。それは誰に呼びかけるわけでもなく、この世界全体に向けられていた。
『おい、娘!!!』
少女は瘴気渦巻く夢世界のなかで声を張り上げた。
『夢魔とともに死にたいなら、それでもこちらは構わん。容赦なくお前の心を砕いてやる!!』
少女はそう言うとショットシェルを再びバレルに装填した。
『だが、お前が再び此岸で生を望むなら……その意志を見せてみろ!!』
少女がそう言うと夢世界を覆う瘴気がその濃度を増した。そしておどろおどろしい声が響いた。
『そうは、させんぞ、刈人よ!!』
そう言ったのは子蜘蛛を焼き尽くされたコンクリート塊の夢魔であった。
『この娘は私のものだ、わが枝として、その一生を尽くすのだ!』
コンクリート塊の夢魔がそう叫ぶと外壁がぼろぼろと崩れだしそこから人外のものが現れた。
『お嬢、ヤバイぞ……』
しゃがれた声の持ち主はガンベルトに納められたショットシェルを数えた。
『もう、弾がない……』
だが、少女はしゃがれた声を無視して黒い太陽に語りかけた。
『お前に何があったかはわからん。だが、お前の心がここで死んでも世の中は何も変わらないぞ、それに……お前の家族は、お前の死を望んでいない――お前の兄もな!!!』
少女がそう言った時である、二つに分かれた太陽の一つが震え出した、それはまるで生物が痙攣するような様であった。
そして――黒い表面に深い亀裂が入った。
『それでいい!』
少女はニヤリと嗤うと再び地を蹴った。
夢魔は少女のことを刈人とよびましたが……刈人とは何なのでしょう?
夢魔との戦いは次回が佳境となります……はたして、どうなるのでしょうか?




