第五話
今回は残酷描写があります。
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宏が病室に入ると看護師が3人がかりで妹を押さえつけていた。妹は口端からは涎をたらし、血走った眼で部屋の天井を睨み付けている……
「目を覚ましたと思ったら、錯乱状況に……」
鎮静剤を注射しようとしている医者が宏にそう言った。
「君も手伝ってくれ!!」
宏は言われるままに、錯乱する状態の妹の足をおさえようとした。
だが、その力はあまりに強く、抑えようとしていた看護師も医師も吹き飛ばされた。筋肉を制御する脳の活動は明らかに疎外され、人とは思えぬ力が妹の内側を支配している。
上体を起こすと妹は宏を見た。
「………」
宏はその眼を見て直感的に悟った
『俺の夢の中で出てきた化け物……夢魔と……同じだ』
宏の中で危機感とも焦燥感とも取れる感情が沸き起こった。
「由香、駄目だ、それに飲まれたら……人じゃなくなる……」
宏は口から『リィリイリィ……リィ……』と奇怪な音を漏らす妹に話しかけた。
「駄目だ、由香……戻ってくるんだ……夢魔に飲まれるんじゃない!」
宏はかすれる声で叫んだ。
「このまま夢魔に侵食されたら……人じゃなくなる!!」
宏が必死になってそう言うと青白い顔をした妹が急に真顔になった。
「もう、遅いよ……おにいちゃん……」
由香はそう漏らすとその眼から赤黒い体液をながした。どうやら妹の流す涙は既に人外のそれへと変化しているらしい……
『駄目だ……このままじゃ……』
宏はがそう思った時である、由香がかすれた声を上げた
「あたし、もう普通でいられないんだよ……それだけのことをしちゃったから……」
そう言うや否や、赤黒い体液が由香の皮膚からフツフツと沸きだした。
「私は生きていちゃ……いけないの……迷惑かけるから」
由香は絶望を含んだ吐露をみせた。
だが宏はその言葉の中に『嘘』を見出した。
「由香、右側の口元が上がったよな……」
宏はそう言うと続けた。
「お前が嘘をつくときはいつもそうなるんだ、……由香……本当は死にたくないんだろ?」
宏が尋ねると由香は唇を震わせた。
「駄目だよ、私が生きてたら、迷惑がかかっちゃう……おにいちゃんの将来だって……お父さんもきっと……」
それを聞いた宏は人外のものへと変貌していく妹の中に良心の欠片を見出した。
「俺や父さんのことを思うんだったら、死ぬのはやめてくれ!!……お前に死なれるほうがはるかにキツイ……家族だろ!」
宏は続けた、
「まだ、15才だ。何かあってもやり直せる!!」
言われた由香は頭を抱え込んだ。死にたくないという思いと、死を選ぼうとする思いが交錯して葛藤を始めたのである。
そして由香は……気を失うとパタリとベッドに倒れた。
宏は由香に寄り添うとその顔を見た。苦悶に彩られた表情には覇気がなく、いつ死んでもおかしくない雰囲気が漂っていた。
『どうしたらいいんだ……』
宏が途方に暮れた時である……突然、その背中から声をかけられた。
*
『よくやった、アンちゃん。妹の心に穴が開いたぞ!』
しゃがれた声がどこからともなく聞こえてくると例の少女が気配もなく現れた。
『あとはこちっちの仕事だ』
少女はそう言うと由香を見た。
『根が深いな……だが、楽しめそうだ』
少女は不敵な笑みを浮かべると宏を見た。キレるような瞳に見つめられた宏は言葉を失った。
『礼はしてもらうぞ』
そう言うや否やであった、少女は宏の視界から一瞬で消えた。
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人の深層心理は『スーパーエゴ』(倫理道徳といった規範を司る部分)と『イド』(原始的欲求やリビドーといった生命活動の本質を無意識に促す部分)があり、この二つを『自我』が調整していると言われている。
そして夢という現象はこの3つが複雑に絡み合って生み出された結果だと考えられている。時に暴力的であり、性的であり、そして理不尽であり、理性的でもある……不条理で制御できない夢の環境は人間の精神活動の葛藤がその根源なのだ。
だが由香の場合は夢魔に自我を侵食され、スーパーエゴとイドのせめぎあいが調整できなくなっていた。道徳や倫理を無意識に押し出すスーパーエゴとリビドーを前面に押し出すイドの衝突は由香の深層心理をズタズタに引き裂いていた。
『お嬢、この娘の世界……厄介だな……』
しゃがれた声がそう言うと少女は乾いた声を出した。
『ああ、だが、死んではいない……』
少女はそう言うと無機質なビル群が立ち並ぶ瘴気に覆われた世界を見た。
『面白そうだ』
少女はそう言うと夜叉とも思える微笑を見せて腰に巻いたガンベルトから水平式二連散弾銃を取りだした。
少女はオフィスビルと思われる建造物に目を馳せた。歪曲したその姿は物理的にはありえない形状だった。由香の荒廃する精神がそこに凝縮しているのだろう、頭上に展開する茜色の空と黒い太陽も由香の精神を投影しているのだろう……
『この娘の夢は複雑だな……スーパーエゴとイドの残滓が幾重にも重なっている』
由香の夢の中に入った少女は自我が崩壊した由香の精神世界の中に絶望を見出していた。
『お嬢、この世界は崩壊する。駄目なら……あきらめる他ないぞ』
しゃがれた声がそう言うと少女はフフッと笑った。
『崩壊する前に仕留めればいいだろ』
悪意に彩られた少女の頬はほんのりとばら色に染まっていた。この狂気の世界を明らかに楽しんでいる。
しゃがれた声の持ち主はそれを見てため息をついた。
その時である、少女は街灯に目を向けた。
『どうやら、奴らのお出ましだな』
じゃがれた声がそう言った刹那である、ショットガンが爆音を響かせた。
戦いの幕開けであった。
*
夢魔と思しき存在は四方から現れた。その形状は実にさまざまで、一つは猪のような獣、もう一つは蛾、そして最後の一体はムカデに酷似した多足類……だが、その頭部には明らかに人顔と思しいものが鎮座している。
『右だ、お嬢!!』
少女が声と同時にショットガンの引き金を引くと間合いを詰めていた四足の夢魔が吹き飛んだ。頭部を失った夢魔は断末魔の声さえあげることなく地面にたたきつけられそのまま骸となった。
『6時と11時の方向だ!』
少女は何食わぬ顔でショットシェルを詰め替えると、同時に迫りくる夢魔に対してショットガンをぶちかました。
距離のある蛾の夢魔には奥の引き金を引き、眼前まで迫っていたムカデの夢魔には手前の引き金を引いた、遠距離と近距離の使い分けがなされたダブルバレルショットガンのショットシェルは二体の妖魔をほぼ同時に襲った。
少女の放った一撃は夢魔の複雑な動きなど関係なく、その体に弾丸を叩き込だ。神業としか言いようのない少女のショットガン捌きは二体の夢魔に絶望を与えた。
羽をもがれた夢魔と胴体を粉砕されたムカデの夢魔は赤黒い体液を地面にぶちまけた。形容しがたい腐臭が辺りに拡がり、地面を溶解させていく。
少女はそれを見下ろすとニヤリと嗤い、再びショットシェルを弾倉に送り込んだ。飛ぶことができなくなった夢魔はそれを見て必死に逃げようと体をばたつかせたが、少女は容赦なくその背中にショットシェルを打ち込んだ。腹部への一撃は夢魔を肉塊へと変え、その命のともしびを無残に奪った。
『お嬢、これは『根』じゃない……『枝』だ』
しゃがれた声がそう言うと少女は小さく頷き、ムカデの夢魔に近づいた。そして、おもむろに足を上げるとその頭部に踵の一撃を加えた。ブーツの乾いた靴底に弱々しい悲鳴が反響する。呼吸と同じリズムで傷口から赤黒い体液をぶちまける夢魔を見た少女はほくそ笑んだ。
『この娘の心を嬲って慰み者にしんだんだろ!』
少女はそう言うと夢魔の頭部にさらなる一撃を加えた。グチャリという音がすると人面の鼻がひしゃげた。
『心の弱さにつけこみ精神を犯す……お前たちにはたまらないだろうな』
少女はそう言うとブーツの踵で人面部分を何度も踏みにじった。
『愉しんだんだろ?』
少女は悪鬼と見間違えるほどの形相で夢魔を睨んだ。そこには慈悲や情けといった感情は微塵もない―――サディスティックで残酷な一面だけが現出している。
少女は再びショットガンの撃鉄をおこした。カチリという音がして内部のハンマーが『引き金を引けと』震えた。
少女は照準を人面部分に合わせると引き金に手をかけた。
その刹那であった、奇声をあげるとムカデの夢魔は頭部を胴体から切り離した。そして考えられない速さでその場を逃れようとした。
少女はその姿を見ると黒い微笑を浮かべた。
『計画通りだな、お嬢』
じゃがれた声がそう言うと少女は鷹揚に頷いた。
『導いてもらおうか……根にな』
少女は必死に逃げる夢魔に向かってほくそ笑んだ。
由香の夢の中に入り込んだ少女はしゃがれた声の持ち主とともに夢魔と対峙します。少女は容赦なく夢魔をショットガンで惨殺しますが……
はたして、この後どうなるのでしょうか?




