第二十六話
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宏の送ってきたメール、そして『背のり』という過去……この二つは内藤母娘にとって自分たちの履歴をつまびらかにするものであった。
『知られるわけにはいかない……』
ゆかりの背中にゾッとするものがはしった。
人を苦しめ、貶め、そして死に追いやってきた人物は自分が攻撃されることに極度の恐怖を感じているようで、ゆかりの表情には狂気が滲んでいた。
『マズイわ……副島洋子の遺書に書かれた内容が世間に知られたら、私たちの人生が終わる……』
だが、その一方でさおりは母のゆかりと違い落ち着きがあった。
『本当に副島洋子の遺書を写真で取ったんだろうか……』
ゆかりは母が狂らんしているのをよそに冷徹な思考を巡らせた。
『こんなに都合のいいタイミングで写真をおくってくるだろうか……』
さおりはそう思うとスマホの写真をつぶさに見た。
『これ……本物なのかしら……』
さおりははっきり写っていない遺書を見て訝しんだ
『……偽物じゃないの……』
さおりの中でそんな考えが浮かんだ。
『でもアイツら火事と背のりのこと……知っていたわ……どうやってそれを……』
さおりは自分たちの過去を知る宏の知識をいぶかしんだ。
そんな時である、母のゆかりが悲鳴を上げた。
*
さおりが母のゆかりの所に駆け付けると、そこには異様な光景が展開していた。
『何これ……』
ゆかりは床に突っ伏し、その口からは赤黒い液体を吐いていた。
『さおりちゃん……痛い……いたいの……』
さおりは母の背中に穴が穿たれているのにきずいた。
『どうなってんの……コレ』
さおりが青ざめた表情を見せた時である。その穿たれた穴からありえない声が聞こえてきた。
『ああ、汚っねぇ、体だぜ……臭ぇし……細胞の一つ一つが腐ってる……救いようがねぇ』
さおりは瀕死の状態で口をパクパクさせる母を見て硬直した。
『何、この声……』
さおりがそう思った時である、母の背中の穴がさらにひろがった。そしてその穴から人と思しき存在が現れた。
『これ…………由香が言ってた……』
さおりの前に現れたのは紺色の袴と赤い矢絣を身に着けた少女であった。
『……刈人……』
そう思った瞬間である、さおりの中で由香の言った言葉が思い起こされた。
『でもリーパーは夢の中にしか入れないんじゃ……』
さおりがそう思った時である、先ほどの少女が腰のガンベルトからショットシェルを取り出した。
『夢の中で夢魔を退治するのが我々の仕事だ。現世のことには手も足も出ない。だがお前たち親子は生まれながらに夢魔の素養をその骨身に宿した存在だ。その行動一つ一つには夢魔の顎がみえかくれしている』
少女はそう言うとショットシェルをバレルに装填した。
『お前たちはその身を現世におきながら、その心を夢の中に置いているんだよ』
少女がククッと笑ってそう言うとしゃがれた声が続いた。
『現実の世界の中で夢魔として存在してるってことさ……もう気付いてるんだろ、お前も?』
言われたさおりは体を震わせた。
『ヤバイ……殺される……』
さおりがそう思った瞬間である、さおりの左腕が消えた。
『………』
少女の放ったショットシェルがさおりの腕を瞬時にして肉塊に変えたのである。
『ああ、もう腐ってるな……』
しゃがれた声がそう言うとゆかりは腕の付け根から流れる体液を見た。
『黒い……』
可憐な少女はそれを見ると一言発した。
『もう人間じゃないんだよ、お前は!』
可憐な少女はククッと嗤うと、その後すさまじい爆音が内藤家のリビングで炸裂した。
*
黒い体液と肉片の海が広がる……ゆかりとさおりの姿はその原形さえとどめていない……だがリビングにはわずかな『欠片』しかなかった。
『お嬢……少なすぎる』
しゃがれた声が呼びかけると可憐な少女は頷いた。
『ああ、もう一人いる……向こうが本丸だ』
少女はそう言うと屋敷の母屋を離れた。
*
女は打ち震えた、
『なんで、なんで、こうなった……』
40年前、女は内藤家の下女(下働きの女)として赤子をその腕に抱いていた。愛らしい眼、形の良い唇、透き通るような肌、地元の名士の長女として生まれたその赤子は貧しい自分の娘とは違って明るい未来が約束されていた。
『うちの子と違う……この子は……』
羨み、羨望、そして妬み……女の中で感情が複雑に絡む。甘言に騙されて軽薄な男の子供を生んだ女とは全く違う将来がその赤子の中にはくっきりと映っていた。
『羨ましい……妬ましい……』
貧しい暮らしの中で女が得たものは、その場しのぎでごまかす知恵と人を裏切っても何とも思わぬ不遜さだけであった。
『この子みたいな暮らしができたら……』
そう思った瞬間である、女の脳裏に昏い声が響いた。
≪その子が憎いか……お前の子とは違い、明るい将来があることが憎いか?≫
昏い声は男に捨てられた女の胸に穴を穿つような言葉をかけた。
≪お前の赤子とその子とさほどは変わらん……未来は等しくあるべきだ……≫
言われた女は頭の中に光が差しこむのを感じた……実に心地よく温かい……
そして気付くと女は手に抱いていた赤子を絞め殺していた。
『なんてことを……』
泣かなくなった赤子の骸を見た女は震えた……そこにはわずかながらも良心があった。女は自ら通報して罪を告白しようと思った。
……だが脳裏に再び昏い声が響いた。
≪燃やせばいい……すべて……燃やせばいい≫
言われた女はフラフラと立ち上がった……そしてその手にマッチを持っていた。
*
女が当時の事を思いだし、運転席のハンドルから顔を上げた時である……その眼にショットガンを片手で構えた可憐な少女が映った。
『どうやら、おまえが根のようだな』
少女がそう言うと女は大きく目を見開いた。
『自分の孫と娘が廃人になっても、まだ逃げようというのか?』
可憐な少女はそう言うと撃鉄をおこした。カチリという独特の金属音が辺りに響く……
女は少女を見て妙に甲高い声でつぶやいた。
『なぜわかった……私だと……』
女がそう言うと可憐な少女はせせら笑った。
『どれだけ外面を変えようと、その腐った匂いは隠せんよ。たとえ女中から執事にその身を変えてもな』
可憐な少女はそう言うと引き金を引いた。つんざくような爆音が屋敷の車庫に響く、乗っていたセダンのフロントガラスが砕け、その破片が女に突き刺ささった。
だが少女は手を休めることなくショットシェルの次弾を装填した。
『顔を変え、姿を変えてもお前の体には夢魔の息吹がしみ込んでいる、隠そうとしても無駄だ。40年前に内藤家の赤子を殺して己の子とすり替えた事実は消えんよ!』
少女はそう言うと引き金を引いた。爆音とともに女の右肩が吹き飛んだ。女はあまりの激痛に顔を歪めた。
『3代にわたりお前たちは周りの人間を侵食し、夢魔のエサとして食い尽くしてきた……さぞうまかっただろうな』
少女はそう言うと引き金を絞った。冷たい引き金の感触とトリガープル(引き金を引くときに指にかかる重さ)の心地よいテンションが人差し指に伝わる。
『夢魔に侵食され、人生を奪われた者達の怨念、どれほどのモノだろうか?』
少女はそう言うと引き金を引いた。爆音と同時に女の左肩が吹き飛ぶ、悪臭とともに黒い体液が飛び散り、女は苦悶の表情を浮かべた。
『どうした、痛いのか?』
両肩を吹き飛ばされた女は運転席から動けず悲鳴を上げた。
『苦悩する人々をその手でもてあそび、心の隙間に夢魔の枝をうつ……お前たちは長きにわたりそうやって生きてきたんだ……この程度で許されると思うか?』
少女はそう言うと懐から炎弾を取り出した。
『やめろ……それは……やめてくれ……』
女が発狂した声を出すと少女はそれに構わずバレルに炎弾を装填した。
『無限地獄で詫びるがいい』
可憐な少女がサディスティックな笑みを見せて引き金を引くと“スポン”という筒から抜けるような音がした。弾丸は一直線に飛ぶとターゲットに当たる瞬間に弾頭が裂け、そこから無数の小弾が飛び出した。
『爆ぜろ!』
少女がそう言った瞬間である、砂粒ほどの弾丸は炎を帯びて女の乗るセダンを包み込んだ。
地獄の業火が黒炎をあげて女を包み込む、その炎の中には女とその娘、そしてその孫が貶めた被害者の顔が浮かびあがっていた。
『たすけて、たすけて、いやだ、地獄は嫌だ……』
人を喰らい夢魔のニエにした女は己の悪行を顧みることなく、ひたすら自分の助かる術を探し求めた。その姿には卑しさや浅ましさと言った負の感覚を凌駕した人間の低劣さの凝縮した闇があった。
『頼む……助けて……』
内藤家の執事にやつして生きながらえてきた女は黒炎に焼かれながら可憐な少女に懇願した。
だが少女はそれを嘲笑った。
『数多くの人間を肥やしにしたお前に未来はない……無間地獄でその身を焦せ!』
少女がそう言うや否やであった黒炎は人型へとその姿を変えて女を襲った。3代にわたり夢魔と共存してきた彼らも被害者の怨嗟からは逃れるすべを持たなかった。
『熱いぃぃぃい…』
黒炎は女の断末魔さえ許さず、その身を覆うと灰になるまで女を燃やしつくした。被害者の怨嗟とあいまった黒炎は骸を残すことさえ許さなかった……
それを見届けた少女はショットガンをホルスターに納めると灰の中心に鎮座していた塊に目を向けた。
『こりゃ……大物だ……』
しゃがれた声はそう言うと舌なめずりした。
『欠片じゃねぇ……根そのものだ……』
しゃがれた声がそう言うと少女はそれを手に取った。
『あと78……』
少女がそうつぶやくと内藤家の屋敷を覆っていた瘴気が薄れ、現実の帳がおり始めた。
『空気が変わったな……』
『ああ、これでいい』
少女はそう言うと夢と現が混在した空間からその身を消した。
40年前に起こった火事を発端にした親子三代にわたる悪行は可憐な少女により完膚なきまでに破壊されました。(やったぜ!!!)
次回で最終回になります(エピローグ的なやつです)




