第二十一話
宏が自転車のペダルをこいでいるとしゃがれた声が話しかけてきた。
『一連の黒幕はまだ姿を現していないが、お前の妹はその取り巻きの所にいるはずだ。お嬢の夢魔を感知する能力がそう告げている!』
しゃがれた声が自信を持ってそう言うと宏は気になる質問をぶつけた。
「間違いないんですか?」
宏がそう言うとしゃがれた声が鷹揚にこたえた。
『夢魔に襲われた人間の波動を忘れることはない、お前の妹の波動は俺たちの記憶の中に擦り込まれている。』
宏はしゃがれた声を信じようと思った。
「ところで、病院では何があったんですか?」
宏がそう言うとしゃがれた声が答えた。
『絵里の両親が夢魔に喰われ、そしてその二人が『枝』となって再び入院している生徒に触手を伸ばしたんだ。』
宏はそれを聞いてゾッとした表情を見せた。
『夢魔は繰り返し何度でも襲ってくる、根を絶たない限りはな』
しゃがれた声はそう言うと絵里の両親の深層意識の中で見た内容を語った。
『あの二人は、同じ人物にアテラレて夢魔に喰われたんだ。心の壊れ方が娘の絵里と同じだった。』
しゃがれた声はDNAを鑑定した分析官のような口ぶりで続けた。
『長期間、少しずつ侵食されて善悪を判断するイドが機能しなくなっていた。自分たちの生活を担保するために他者を犠牲にする選択肢を選んだんだろうな……それは自分の娘に対してもだ……』
良心の呵責が薄れ夢魔の奴隷ともいうべき状態に陥っていた鈴木絵里の両親はすでに人としての道徳を失っていた。
『口ではまともなことを言ってたんだろうが、実際にはそうじゃない。悪い意味で本音と建前を使い分けていたんだろう』
しゃがれた声は絵里の両親をそう論評した。
「あの二人は、再起不能なんですか?」
『いや、お嬢がうまくやった。何らかの障害は残るだろうが、生きていくのに支障はない』
しゃがれた声は自慢げにそう言うと宏に声をかけた。
『それより、次のやつはかなりのモノだ。宏、急げ。お前の妹もそこにいるはずだ!』
宏は夢魔を感知して現場に導こうとするしゃがれた声を信じ必死になってペダルを漕いだ。
*
由香が首を絞められ、まさに昇天しようとした時である、その耳に乾いた声が届いた。
「うちの倉庫でやるのはやめてくれる!!」
それは紛れもなくさおりの声だった。
「他ならどこでもいいから!」
ズボンを脱いで下半身を露出した伊藤はさおりを見た。さおりはその表情を見て嫌悪感丸出しの顔を見せたが、有無を言わせぬ口調で畳み掛けた。
「ママに言うわよ!!」
さおりの一言に伊藤はひるむとズボンのジッパーをあげた。
「ママには内緒だよ!」
伊藤は『心ここにあらず』といった表情でそう言うと由香を肩に担いだ。
「あとはこっちで処理するからね」
伊藤はご機嫌を取るような口調でそう言うとさおりのいた場所を離れた。
*
伊藤は由香を担いだ状態でフラフラと車に乗った。目つきもそうだが、その表情は妙に落ち着きがなく、異様なまでに瞬きを繰り返している。
『殺してからヤルか……殺さずにヤルか……』
伊藤の獣欲は異様なほどまでに猛り、トランクに入れた由香の肉体のこと以外は考えられなくなっていた。
これは夢魔により精神の一部が食われ、スーパーエゴのコントロールができなくなったためなのだが、リビドーが異常に強くなり伊藤の中にある自制心が消し飛んだ結果、本能だけが伊藤という人間を動かしていた。
『何回もやろう、何回も……そうだ。森でやろう……森がいい』
『何回もやろう、何回も……そうだ。森でやろう……森がいい』
『何回もやろう、何回も……そうだ。森でやろう……森がいい』
伊藤は壊れたテープレコーダーのように繰り返すと、アクセルを踏み込んだ。そして夜街を外れて郊外へと車を走らせた。
『我慢ができない、我慢ができない、我慢ができない』
『我慢ができない、我慢ができない、我慢ができない』
『我慢ができない、我慢ができない、我慢ができない』
伊藤の原始的な欲求は高ぶり、すでに正常な思考は困難な状態に陥っていた。
『我慢ができない、我慢ができない、我慢ができない』
『我慢ができない、我慢ができない、我慢ができない』
『我慢ができない、我慢ができない、我慢ができない』
伊藤の欲望は限界を超え、猛り狂う肉欲と破壊の衝動に打ち震えていた。
*
『宏、むこうだ、急げ!』
しゃがれた声が示唆した方向は浅間公園であった。
『奴はあそこにいる、お前の妹の息吹も感じるぞ!』
しゃがれた声がそう言うと宏はペダルをこぐ速度を上げた、額からあふれるようにして汗が噴き出す。
それに対してしゃがれた声は落ち着いた声色で応えた
『心配ない、まだお前の妹は生きている。まだ間に合うかもしれんぞ!』
宏はその声に希望を見出すとペダルをこぐスピードをさらに速めた。
*
トランクから放り投げられるようにして出された由香は土の地面にたたきつけられた。夜露に濡れた感触が体に伝わる。
『犯してから殺す、殺してから犯す、どっちがいい』
『犯してから殺す、殺してから犯す、どっちがいい』
『犯してから殺す、殺してから犯す、どっちがいい』
伊藤は落ち着きのない様子で同じ言葉を繰り返した。由香はその様にゾッとした。
『ヤバイよ……この人……ヤバイって……』
由香はさるぐつわをかまされ声が出せない。仮に出せたとしても人気のないこの場所では悲鳴を聞いて駆けつけてくれる存在も皆無であろう。
『どうしよう、どうやって逃げよう……』
由香の中で先ほどとは異なる恐怖感が生まれた。本能が訴えかける原始的な感情は由香がかつて経験した夢魔の浸食と似通ったものがあった。
『死ねない……こんなとこで……こんな奴に……絶対嫌だ!』
由香は必死になって手足を縛った縄をほどこうともがいた。
だが、それは無駄だった、特殊な結び方が用いられた縄はもがけばもがくほど皮膚に食い込んでいった……徐々に血液の流れがせき止められていく。由香はそれでも『生』を求めて必死にもがいた。
一方、伊藤はその姿を見て余計に興奮していた―――そして一つの結論を導きだした。
『同時だ……犯しながら……殺せばいい』
伊藤は焦点定まらぬ目で由香を見ると自分の考えに納得した表情を見せた。
『イタ……ダキ……マス』
伊藤はたどたどしい言葉でそう言うと由香にのしかかった。そしてジーパンと下着を引き摺り下ろすとおのれの欲望を満たさんとその魔手をゆかりの臀部に延ばした
絶望が由香を襲う、
『たすけて、おにいちゃん……』
由香が声にならない声を上げた時であった、のしかかっていた伊藤が小刻みに震え出し、口から吐しゃ物を吐きだした。それはタールのような漆黒の粘液であった。由香は思わぬ事態に驚愕したが痙攣する伊藤の姿にかつての自分を見た。
『この人……限界なんだ……』
由香がそう思った時である、伊藤がひときわ大きく痙攣した……そしてその場に手をつくこともできずに突っ伏した。由香は何が起こったかわからなかったが……その瞬間、その頭によぎるものがあった。
『あの人だ……間違いない、あの人が来てくれたんだ!』
由香の脳裏には可憐な少女が浮かんでいた。
由香は伊藤に暴行されかけますが、その寸前で伊藤の状態が変化します。どうやら可憐な少女が間に合ったようです……さて物語はこの後どうなるのでしょうか?




