第十九話
雨がすごい……豪雨が襲う地域の皆様はくれぐれもお気を付けください!
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証拠保管庫に足を延ばした安倍は遺書を探すべく棚の番号をみた。
『これだな……』
安倍は指紋が付かないようにビニール袋に納められた遺書を手に取ると証拠袋の封を開けて中を確認した。
『………』
手にした遺書の文面とその字体は副島洋子のマンションで見たものとは違っていた。
『伊藤さん……』
安倍は大きく息を吐くと天井を見上げた。
『……これが警察官か……』
安倍は証拠の遺書を棚に戻すと如何ともしがたい表情を浮かべた。
『内部監査……に報告するべきか…』
安倍は伊藤を『売る』かどうか判断がつかなかった。
『もう一度……本人に……確認しよう!』
安倍はそう思うと証拠保管室から出た。
その時である、目の前に伊藤が現れた。まるで安倍の行動を予測していたように――
「何を調べてたんだ?」
伊藤は温和な表情から優しげな言葉を投げかけると安倍の顔を見た。
「ちょっと付き合えよ」
言い方自体はいつもと変わりなかったが、そこには反論を許さぬ圧力があった。
安倍はチラリと伊藤を見ると小さく頷いた。
*
2人はセダンに乗ると伊藤がハンドルを握った。
「運転しながらの方が話がしやすい……」
警察署を出た後、伊藤は街を抜けて川沿いの道を走った。10分ほど無言の状態が続いたが安倍が沈黙に耐え切れず切り出した。
「伊藤さん、証拠保管庫の遺書……あれどういうことですか?」
安倍は尊敬する警察官である伊藤に対し静かだが強い口調で尋ねた。伊藤はそれに対しいつもの返事をするようにして答えた。
「まあ、いろいろあるんだよ」
「色々って……証拠の持ちだし、いや、すり替えなんて許さることじゃないですよ」
安倍がそう言うと伊藤は嗤った。
「小さな街ってのはな、人間関係が複雑なんだよ……同じ地域にずっと住んでる連中だ、悪い意味でも濃厚なんだ。まあ、お前は中央からの左遷組だからわからんかもしれんけど」
「人間関係……何言ってるんですか……やっていいことと悪いことがあるでしょ。」
安倍はそう言うと伊藤を睨んだ。
「副島洋子の遺書……どこにやったんですか、本物の遺書は!!」
伊藤は運転しながら安倍を見た。その眼は先ほどと違いどことなくうつろで覇気がなくなっていた。
安倍は瞬間的に『おかしい……』と思った。
『この目は……どこかで見たことがある……』
安倍がそう思った時であった、伊藤が口を開いた。
「この話、他の人間にしたか?」
伊藤の問いかけに対し安倍は首を横に振った。
「そうか……」
伊藤はそう言うと急にアクセルを強く踏み込んだ。
「悪いな、安倍、もう引き返せないところまできてんだよ」
伊藤はそう言うとさらに車を加速させた。
「何やってるんですか、伊藤さん!!」
安倍がそう言ってハンドルに手を伸ばした時である、伊藤は安倍の顔面に裏拳をかました。
「……もう戻れないんだよ、俺も……」
伊藤はそう言うと顔をしかめる安倍のシートベルトを外した。
「何するんですか……伊藤さん……」
安倍が二の句を告げようとした時である、伊藤は急ブレーキ踏んで車のハンドルを切った。車はスピンすると電柱に向けて軌跡を描いた―――
『危ない!!』
安倍がそう思った瞬間である、車は無残に電柱に激突した。ちょうど助手席付近にぶつかった柱はサイドガラスを粉砕し、ドアを完膚なきまでに破壊した。
*
作動したエアーバックがかなり邪魔になったが、伊藤は運転席のドアを開けると大破した車から出た。
「……悪いな、安倍……気付かなきゃ、よかったのに……」
伊藤は頭部から血を流して虫の息になった安倍を見て声をかけた。
「その傷なら長くはもたんだろ……」
伊藤はそう言うと懐から煙草を出した。
「これで、この案件は片付いたな」
虫の息になった安倍は煙草を吸う伊藤を見たが、その時、先ほどの疑問が解けた。
『河原で倒れた女子中学生と同じ目だ……あの目と……』
安倍は救急車に運ばれる絵里の顔をおもいだした。そしてそれと同時に由香の言葉が脳裏に浮かんだ。
『夢魔……これが夢魔なのか……』
安倍がそう思った時である、急激に意識が薄れ始めた。
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安倍の事故とほぼ同時刻、由香は病院から帰るべくさおりの車に乗っていた。
「いいのに、家まで送ってくれなくても」
由香がそう言うとさおりは首を横に振った。
「夢魔の話もっと聞きたいのよ……とくにショットガンの女子の事」
さおりは心底そう思っているらしくその顔は真剣であった。由香はそれを見て再び夢魔の話を整理しだした。
「私が夢魔に喰われた時、助けてくれた女の子は名前もわからないし、自分のことは何も話さないんだ。とにかく雰囲気が……何て言いうか……触れられないオーラ見たいのがあって……」
「触れられないオーラ?」
「うん、すごく怖いんだ……」
由香がそう言うとさおりは切り口を変えた。
「じゃあ、夢魔はどう、どんなふうにして侵食してくるの?」
由香は睡眠障害に落ちいったときのことを細かに話した。
「罪悪感、恐怖、呵責……いろんな思いがごちゃまぜになるんだ……それから精神のバランスが崩れて……理性が働かなくなる……」
さおりは由香の様子を見て神妙な顔をした。
「さおりちゃんはどうだった……同じような感じになった?」
由香が河原で倒れた時のことをさおりに尋ねると、さおりは首を縦に振った。
「そこまでひどくないけど……似たような感覚はあったと思う……」
さおりの同意に由香はホッとした表情を見せた。気をよくした由香は先ほどの病室でのことをさおりに相談することにした。
「さっき病院でね……絵里ちゃんが指をさしたんだけど……指差した所に何があったんだろ?」
言われたさおりは首をかしげた。
「病室の外には絵里ちゃんのお母さんとさおりちゃんのお母さんしかいなかったし……」
由香が反芻するようにそう言った時である、由香は何やら心の琴線に触れるものを直感した。
『まさか……』
由香がそう思った瞬間である。
『………あれ……急に眠気が……』
「どうしたの、由香ちゃん?」
心配したさおりが肩を揺らして尋ねたが、由香の意識は飛ぶようにして薄れた。
*
宏が自宅に帰ってから6時間……由香が帰ってくる様子はなかった。メールも電話もつながらず宏の脳裏に不安感が生じ始めた。
『また、何かあったのか……』
夢魔という不可思議な存在との戦いを乗り越えたとはいえ、いまだその存在が消えたわけではない。むしろその本丸ともいうべき存在は姿を消したまま深く沈降している。
宏はスマホの画面を見ながら唇を噛んだ。
『ひょっとしたら病院か……』
宏はそう判断すると由香を探すべく自転車に飛び乗った。
*
妙に風が強く自転車をこぐのがつらかった。
『由香は見舞いに行った可能性がある。絵里っていう子に会うために……』
宏がそんなことを思っているとどこからともなくしゃがれた声が聞こえてきた。
『宏、いるぞ、やつらが。それにかすかだがお前の妹の匂いも感じる!』
しゃがれた声はそう言うと気味の悪い笑い声をあげた。
『病院は本丸かもしれん』
しゃがれた声がそう言うと再び声をかけた。
『急げ、今なら間に合う!』
宏は懐に入った牡丹の髪飾りが震えるの感じるとペダルを全力で漕いだ。
今回はこう着状態がとけて新たな展開が生まれました。
刑事の安倍と伊藤の関係はあやしくなり、そして由香は気を失います。はたしてこの後、物語はどうなるのでしょう……
次回から後半にはいりますが、その前にちょっとしたダイジェストと人物紹介を挟みたいと思います。




