第十四話
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由香が立ち上がると川辺にいた部員たちは倒れていた。奇声とも音波とも思えるものを発していた形跡は微塵もなく、皆すやすやと眠っているようであった。
『あの人が助けてくれたんだ……』
その姿は目にすることはなかったが、間違いなく『彼女』が介在したと由香は本能的に感じた。
そんな時である、土手の上から宏の声が聞こえてきた。
「由香!!!」
由香は宏を見ると、やっとのことで日常の現実に戻ったことを確信した。
*
宏は由香に近寄ると、その場に倒れこんでいるブラスバント部の部員を見て声を上げた。
「夢魔にやられたのか……」
かつての由香と同じような状態の部員たちは青白い顔で倒れていた。宏は状況を確認するべく一人ずつ声をかけてまわってみたが、みな静かな寝息を立てるだけで目を開けるものはいなかった。だがその中で1人だけ異様な形相を見せて虚空を睨んでいる少女がいた。
「絵里ちゃん……」
由香が不安げな声でそう言うといつの間にかあらわれた可憐な少女が口を開いた。
『その絵里という娘が今回の原因だ。副島洋子の死にあてられた結果、心の隙間に夢魔が入り込み、その触手に絡めとられた。そして彼女を媒介として夢魔はその触手を他の娘たちに手を伸ばした。』
少女がそう言うとしゃがれた声が続いた。
『他の娘たちは救うことができたが、元凶となった絵里という娘は厳しい状態だ。下手をすると二度と正気をとりもどさんかもしれん』
しゃがれた声の話は絵里という少女に死よりも恐ろしい事態が生じたことを知らしめていた。
『この娘の夢の中に残されていた欠片をいくつかよりあわせてみたが……副島洋子との関係は相当深かったようだ』
しゃがれた声がそう言うと可憐な少女が続いた。
『いじめの加害者として、副島洋子も鈴木絵里も罪悪感をもっていたようだな……中島美紀を死に追い込んだ自責の念がありありと窺えた。二人はその事で苦しみ、互いに悩みを共有したようだ』
可憐な少女は淡々と続けた。
『自殺した副島洋子、そして今回の絵里という娘、すべて同じ夢魔の触手にからめられた形跡があった。だが……それらはいずれも『根』から生じた『枝』でしかなかった。ある意味この二人も夢魔より侵食された被害者だな』
少女はそう言うと宏を切れるような目で見つめた。
『夢魔を生み出す元凶になっている根を見つけない限りは再び同じことが起こる。』
言われた宏と由香は呆然とした。
『次の犠牲者が出るだろうな』
しゃがれた声が楽しげにそういった時である、救急車とパトカーのサイレンが二人の耳に入ってきた。
『根源は必ず近くにあるはずだ。』
少女はその言葉を残すといつの間にか消えていた。
*
由香と宏は河川敷で倒れているブラスバンド部の部員が救急車に運ばれる様をみていたが、その二人に声をかけてくる人物がいた。
「また君か……」
声をかけてきたのは宏の取り調べをした安倍という若い刑事であった。
「現場でいあわせるとは……どういうことかな?」
安倍はねめつけるような目で宏たちを見ると事情聴取するべく二人の前に近寄った。
*
宏は夢魔の話をしても信じてもらえると思わず黙っていたが、由香は逆に話すことで糸口を切り開こうとした。
「全部、夢魔が悪いんです……心の隙間に入ってきて……今回の事件も夢魔が原因です!!」
由香が興奮した面持ちで話すと安倍は大きく気を吐いた。
「そんなたわごと、通じると思ってるの。警察おちょくってんのかよ!!」
安倍が強い口調で反論すると由香が噛みついた。
「調べもしないで、何言ってんのよ!!」
15歳の少女に激高された安倍は思わず体をのけぞらせた。
「見えないからって……これだけのことが起こってるのに……わからないなんて……警察役なんて立たずじゃない!!」
由香はそう言うとしゃがみこんで泣きだした。
「すいません、由香は病み上がりなんです……まだ精神が落ち着かなくて……」
宏は由香をフォローするとその肩を抱いた。
「あとで事情はきかせてもらうからな!」
由香を泣かせたことにバツが悪くなった安倍は二人に帰っていいと顎で示唆した。そしてため息を吐くと現場にむかった。
*
「由香、大丈夫か……」
宏が声をかけると由香は何事もなかったかのような表情を見せた。その顔には涙の痕などみじんもない。
「うまいこと、抜けれたでしょ!」
宏が驚いた様子を見せると由香が続けた。
「あたしの演技!!」
「えっ?」
「お兄ちゃん、演劇部なのにわかんないわけ?」
言われた宏はポカンと口を開けた。
「お前、さっき泣いたのは……」
「嘘に決まってんじゃん」
あっけらかんと言う由香に宏は度肝を抜かれた。
「それより、夢魔の根を探しましょう」
由香はそう言うと真顔に戻った。
「これ、見て!」
由香はそう言うと宏にスマホを見せた。
「これ、お前のじゃないぞ……」
宏はそう言うとあることに気付いた。
「もしかして、これ、鈴木絵里のスマホ……」
由香は頷いた。
「何か見つかると思うよ……きっと」
宏は『マズイ』という思いに駆られた。現場から証拠になるものを勝手に持ち出したことが警察にわかればただでは済まないと思ったからである。だが、それと同時に夢魔に関する手がかりが得られのではないかという思いにも駆られた。
「このままじゃ埒が明かないし……それに警察も役に立たないだろうし、これからさらに被害が拡大するなら、多少のことは目をつぶらないと」
由香は宏に嫌疑をかけた警察を全く信頼してないようで自分で夢魔の根を見つけようと躍起になっていた。
「私たちの虐めが生み出したんだよ、夢魔は……」
由香はそう言うと声を詰まらせた。
「寄ってたかって美紀ちゃんを虐めて……耐える美紀ちゃんを見て嘲笑って……きっと罰があたったんだよ……私たち。それに……おにいちゃんにも迷惑かけたしね……関係ない人まで巻き込んでいくんだよ、きっと……」
由香はそう言うとキリッとした表情を見せた。
「だけどこれ以上は許さない!!」
由香は虐めの加害者として浅ましさを昇華するべく夢魔との対峙を決意すると鈴木絵里の携帯を手に取った。
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幸運にも鈴木絵里の携帯にロックはかかっていなかった。2人はすぐさまアクセス履歴にあたるとそれらしきものが複数出てきた。
「これだな……多分」
絵里のメールには副島洋子と秘密めいた会話が複数あった。
「絵里ちゃん……先生と……」
鈴木絵里は副島洋子と頻繁に連絡を取っていた。それは中島美紀が事故でなくなる以前からであった。
「虐める方法や……タイミング……お互いに確認し合ってる……」
由香がそう言うと宏は疑問をぶつけた
「副島先生は虐めをけしかけた首謀者じゃない……それに鈴木絵里もちがう。」
宏は可憐な少女が言っていたことを思いだして首をかしげた。
「でも、首謀者は俺たちの近くにいるって……」
「じゃあ、誰が夢魔の根なの?」
「わからないよ……」
宏はそう言うと何か手がかりを見つけるべく別の画面を見た。
「見てみろ、由香」
宏に促された由香は二人のやり取りを覗いた。そこには中島美紀に対する虐めの過失を悔やむ内容が見て取れた。
「先生も、絵里ちゃんも苦しでたんだ……」
人としての良心が残っていたのだろう、2人の中島美紀にたいする呵責は由香にとって身につまされるものがあった。
「由香、感傷に浸るよりも、夢魔につながる手がかりを探そう」
宏に促された由香は強く頷くとSNSのやり取りに目をやった。
「特に不審なものは……ないわ。友達とのやりとりと……あとは部活の連絡だけだね」
言われた宏は画面を見た。
「……何もないな……」
鈴木絵里のやり取りはこれといったものはなく同級生との他愛ないものばかりであった。
だが、その中で気になることが一つあった。
「妙に呼び出しが多いな……これお前の部活の部長だろ」
言われた絵里は悩むことなく即答した。
「絵里ちゃんは2年生のリーダーで来年、部長になるかもしれないから……部長は引継ぎみたいな感じでいろいろ教えてたみたい。」
「そうなのか……」
宏は由香の話に耳を傾けた。
「それに部長もさっき運ばれてたから……夢魔とは関係ないんじゃないかな……多分、被害者だとおもうよ」
言われた宏は頭を抱えた。
「じゃあ、誰なんだ……夢魔の根とかかわりがあるのは……」
宏は渋い表情を浮かべる他なかった。
*
一方、同じころ、現場検証を終えた安倍は相棒に報告するべく伊藤の待つ車へと足を向けた。
『面倒なことは全部、こっちに持ってくるんだもんな、伊藤さん』
伊藤は捜査や取り調べには協力的だが、庶務的なことや興味のない事件にはほとんど非協力的でそうしたものは安倍に任せる傾向があった。
『もうちょっと働いてくれないかな……』
安倍はそんなことを思いながら止めてあるセダンに目をやった。その時である、いつになく声を潜めて話す伊藤の様子が目に映った。
『あれ、伊藤さん、誰かと話してるのか……』
いつもなら平然と伊藤に声をかけるのだが、なぜか会話の内容が気になった安倍は伊藤の死角から聞き耳を立てた。
*
「もしもし、私です。」
伊藤は妙にかしこまった口調で電話に出ていた。
「はい、例の件ですが、遺書に関しては……こちらでおさえました」
『えっ……遺書……何の話だ』
安倍はまったくの想定外の単語に自分の耳を疑った。
「そちらに『迷惑』がかかる恐れはありません」
伊藤は目を細めると煙草を吸った。
「大丈夫です……処理しますので……」
伊藤はそう言うと何食わぬ顔で続けた。
「では、後はよろしくお願いします」
伊藤は恭しくそう言うと電話を切った。
『何なんだ……遺書って……』
安倍は電話の相手も気になったが、それ以上に『遺書』という単語に危機感を感じた。
『伊藤さん……現場の証拠を……まさか……』
伊藤とは2年間コンビを組み、ともに事件を解決してきた。伊藤はアクが強く、その風貌は時にヤクザにも見えるが、犯罪者に手心を加えたり、汚職に身を落とすような刑事ではなかった。
『いや、伊藤さんはそんなことをする人間じゃない……きっと今の電話は何か別の案件だろう……』
安倍はそう思いなおすと何事もなかったかのように伊藤のセダンへと足を向けた。だが、その心には小さなさざ波が立っていた。
夢魔の『根』となる存在が見つからず途方に暮れる宏と由香でしたが……可憐な少女は元凶が近くに存在すると断言します。夢魔の根となる存在は、いったい誰なんでしょうか……
そして安倍という若い刑事は上司である伊藤に何やら秘密めいたものがあると感づきます……この伊藤という人物はいかなる秘密を持っているのでしょうか……




