#8.押しかけ潜伏兵隊さんの部屋
「いやあ助かったぜ、突然押しかけちゃってごめんな」
昼前。
カオル達が彼の宿舎へと訪れたのは、幸いにして彼が他の隊長と交代する前日であった。
いつ姫君が来てもいいようにと、それなりの格好で過ごしていた彼は、突然押しかけて来たカオル達にも驚くことなく速やかに部屋に入れ、現状に至る。
カオルは当然ながら、その後ろに立つ、白いヴェールを被った少女にも目配せをする。
先程までは白いツバ付きの帽子を被っていたのだが、どうやら念入りに顔を隠しているつもりらしかった。
白いヴェールで顔を隠すのは王族に近い貴族や大富豪など、ごく限られた階層の令嬢がするものなので、あまり隠せているものでもないが。
「サララちゃんから手紙が来て、君が城兵らに追われているという事は知っているが……そちらが?」
「ああ、そうだぜ。この娘がこの国のお姫様、ステラ王女だ」
彼が目を向けると、あせあせとカオルの後ろへ隠れてしまう。
ヴェールの所為で顔だちは見えないままだが、「何やら警戒されているらしい」と、がくりとしてしまう。
(……人見知りするのはまだ直っていないようだな。まあ、無理もないか)
風の噂では『聡明な方である』だとか『大陸一の美姫だ』とか、色々な話を聞いていた彼ではあったが。
実物はまだまだ少女そのままの、儚げな印象を感じさせる華奢な姫君であった。
良くも悪くも思い出のままでホッとしたが、同時に寂しさも覚える。
「よろしくお願いします。姫様」
「あ……! は、はい、よろしく、お願いします……」
話しかけてみればびくりと震え、怯えたように視線を逸らしたりしてくる。
まるで初対面の頃のような対応に、彼は少しばかり残念な気持ちになっていた。
(……前に会ったのは随分昔だ。姫君も多忙な日々の中、忘れておられるのだろうな)
一応彼女がまだ幼い頃に一度だけ会った事があるのだが、「どうも忘れられているらしい」、と、苦笑する。
平民の顔など一々覚えているはずもないのだからと、彼なりに適当な理由をつけて紛らわせたが、顔を忘れられるというのは存外、ショックでもあった。
「サララからの手紙が来てたってのは知らなかったけど、兵隊さんはどこまで事情を知ってるんだ?」
「君が姫様を城から連れ出し、城兵隊に追われている、というところまでしか知らないな。君達が何故城から出たのか、ここにいるのかも解らない。私はただサララちゃんから、君がここに来た時に助けてやって欲しいと頼まれただけでね」
「そっか……解った。まずは事情から説明するぜ。お姫様もそれでいいよな?」
「……はい。それで、いい、です」
視線を向けると固まってしまい、ぎこちなく答える姫君。
彼としては以前に見たままの様子で「変わりないのはいい事なのだろうか」と思ったものだが、言及したりはせず、カオルの話を待った。
そうして三十分ほど、カオルの説明が続いた。
説明と言っても最初の五分ほどであらかたの説明は終わっていて、残りの時間は全て馬車旅での苦労話がほとんどであったが。
どちらかというと彼としては、カオルが話している最中ずっと自分の事をじーっと見ているお姫様の方が気になって仕方なかったのだが。
さりげなくベッド上も占拠されていた。
ちゃんとカオルと二人分、椅子を用意した筈なのに、当たり前のようにお姫様に座られている。
確かに椅子よりは座り心地はいいのだろうが、お姫様をそんなところに座らせているというのは、彼としては正直、いけない事をしているようでハラハラしてしまっていた。
主には不遜とか、そういう意味合いで。
「――とにかく、こんな感じなんだけど。兵隊さん、話ちゃんと聞いてたか……?」
「うん? あ、ああ。聞いてたさ。もちろん。はは」
それとなく姫君へと視線を向けていただけのつもりだったが、カオル視点での彼は姫君の方ばかり見ていて上の空のように映ってしまっていた。
(大丈夫なのかよ……なんか、今日の兵隊さんはちょっと変だなあ。疲れてるのかな……?)
時間的にはまだ早いし、休日だから大丈夫だろうと安堵していたカオルだったが、あまり本調子ではなさそうなこの衛兵隊長殿に、一株の不安を感じてしまっていた。
確かに、ステラ王女はとても目立つ容姿をしている。
ヴェールで顔は隠れてはいるが、見ただけでお姫様お姫様しているし、仕草も上品。
そこにいるだけで高貴なオーラじみたものまで感じさせる。
カオルだって逃避行の最中、特に意味もなく凝視してしまっていた事も一度や二度ではないが。
それにしても、話の最中に視線を逸らされるのは若干、気になってしまうのだ。
イラつくほどではないが、大切な話の最中なのだから、ちゃんと聞いていて欲しいとも思う。
「しばらくの間、俺とお姫様は表に出られないからさ……兵隊さんには、悪いけど俺達が対策を考えるまでの間、どうにか時間を稼いでほしいんだ。街に城兵隊が来た時に、なんとか誤魔化してさ」
「……」
「兵隊さん?」
「いや、なんでもない。解った。君達が城兵隊に見つからない様、上手くかわしてみせるよ」
相変わらず時々視線が逸れるが、話そのものは頭に入っているらしく、その答えは淀みない。
胸を張りながらにかりと笑って見せてくれるところなど、いつもの彼そのもので、カオルは心底ほっとする。
「~~~~っ!!!」
そうして、兵隊さんが笑った途端に姫君が頬を押さえて真っ赤になっていた事などは、カオルにも知れていなかったが。
その後、今後の予定について話し合おうとしていたところで、部下からの緊急の呼び出しを受け、兵隊さんは兵舎へと向かってしまう。
後に残されたのはカオルと姫君。
窓を開けると覗かれる危険があるという事で、日中ではあるがカーテンが閉められ、薄暗い部屋をランプの炎が照らす。
冬場という事で締め切りでも違和感はあるまいが、陽射しを受けられない冬の屋内はとても寒く、カオルはブルルと震えてしまった。
「ちょっと寒いな。お姫様、ここは冷えるし、兵隊さんが戻るまで下の暖炉のところに――」
行かないか、と言おうとしたところで、姫君がプルプルと震えているのが見えた。
よほど寒いのかと思ったカオルではあったが、よくよく見るとヴェールの隙間から見える口元は笑っているようにも見える。
――これはアレか。またいつもの病気か。
馬車旅でいつも傍に居たカオルにとって、姫君のその表情は、最早見慣れたモノとなってしまっていた。
「……あの方でした」
「あの方?」
「はい。あの方でした」
「そ、そうか……良かったな」
「……はい!」
言葉数こそ少ないが。
姫君は力強くそう答えると、ぎゅっとベッドカバーを握り……やがて、顔から倒れ込んでいく。
「~~~~っ!! これが! あの方の! ベッド……!!」
そのまま手足をばたつかせたり、枕に顔をうずめたり、匂いをかいだりしていた。
美少女だから気持ち悪くは映らないが、とてもではないが持ち主には見せられない光景である。
「ああ、なんて素敵な……! まるであの方に包まれているかのよう!! 想像した以上に、身体が……心が癒されていくのを感じます……!!」
「あー、まあ、うん、そっか……」
「やぁん! それにあの表情! どんな大人びた男性になったのかと思っていましたが、あんなに素敵な方になっていたなんて! しかもあの笑顔! 胸を射抜かれて殺されてしまうのかと思いました! カオル様、私、女に生まれてよかったと思っています!!」
「そうか……俺は男に生まれてよかったと思うよ。うん」
「私もですわ! カオル様が女性だったなら……ヤキモチで大変なことになっていたかもしれませんもの!」
大変初対面と印象が異なるが、お姫様はこちらがデフォルトである。
元々純粋な性格で、かつ初恋の男性を一途に想い続けた結果、想いばかりが募ってどんどんそれを抑えられなくなっていた、との説明を本人から聞いていたカオルではあったが、このようなシーンを逃走劇の最中毎日のように見ていて、カオルは最早慣れていた。
「でも……でも……! ああ、ここがあの方のお部屋……私、これからここで生活するのですね……まるで夢のよう」
「まあ、あの人がお姫様の知ってた人で良かったよ。違ってたら、ちょっと大変だったもんな」
「そうですね……これも偶然という物なのでしょうか。それとも……やっぱり私とあの方は結ばれる運命に……? きゃーっ!!」
ノリが完全に恋する乙女なので、カオルにはついていけないものとなっていた。
辛うじて理性的に会話することはできるらしいが、とにかく事あるごとにきゃーきゃー黄色い声をあげては枕やら毛布やらの匂いをかいだり顔をこすりつけたりと、美少女でなければ絵的にも許されない行為を繰り返している。
既に一連の行動から顔を覆い隠していたヴェールはどこかへなくなっていたが、その顔は随分緩んだものになっていた。
(すごく可愛いんだけど、やってる事がまんまストーカーってのがちょっとなあ……このお姫様の場合、権力までもってるのが洒落にならねぇんだよなあ)
最初こそ多少表現方法が独特なだけで、年齢相応に恋に恋するようなお姫様なのかと思っていたカオルであったが、その愛が重過ぎると気づいた時から、どちらかというと恐怖や呆れの方が前に出てくるようになっていた。
応援してあげたいという気が全く起きないのだ。
後が怖いので相槌くらいは打つが。
カオルは既に権力に屈してしまっていた。事なかれ主義者だった。お姫様の前ではそうならざるを得なかった。
権力とは怖いものなのだと、彼はそれとなく理解した。
初恋の人とのこれからの生活に舞い上がっているお姫様を前に、カオルは「これからどうしよう」と、早くも途方に暮れ始めていた。
せめて最初のまま、とてもシリアスにお城の問題を解決する話なら良かったのに、蓋を開けてみればこれである。酷すぎた。
今となっては「これが原因で結婚相手酷いのしかいなかったんじゃねぇの?」と思い始めてしまっていた。
しかし、今更投げ出せない。
最早カオルは追われる身であり、事件を解決せずに投げ出すという事は、自分が捕まるという事に他ならない。
折角カルナスでは英雄になれたのに、さほど経たずに犯罪者に転身、などというのは流石に彼も避けたかった。
これに関しては、お姫様をさらった時点で軽く手遅れな感もあったが。
そんな状況もあり、カオルは「とにかくやるしかねぇ」という諦観の元、まだだらしがない顔のままのお姫様を見て、額を押さえていた。




