#19.カルナス冬祭り!
事件が落ち着いてから、一月ほどが経過していた。
この頃になるとカルナスの街はもうずいぶん活気を取り戻していて、人々の笑顔も少しずつ見ることができるようになっていた。
何ら不安に怯えることなく子供と手をつなぎ買い物をする母親達。
街の悲壮の中、結婚を控えていたカップルもようやく結ばれる事が出来て、祝福の赤い花が街のところどころで振り撒かれていた。
そんな、冬なのに優しい風の吹く街の中。
カオルは兵隊さんにお呼ばれされ、のんびりとティーショップでくつろいでいた。
オルレアン村に居た頃からよく相談に乗ってもらったりしていたので、今回もまた、ゆったりとした気分に浸りながら、二人、近況報告などしていたのだ。
「――それで、サララちゃんは怒らなかったのかい?」
「めっちゃ怒ってたよ。ベラドンナの顔を見るやいきなり『浮気者!』とか言いながら顔を引っ掻いてきてさあ……おかげでこの有様」
「ははは、そりゃまあ、サララちゃんの気持ちも解らないでもないな」
「ちぇっ、兵隊さんもサララの味方かよ。納得いかねぇなあ、もう」
顔に三本のミミズ腫れを残すカオルは、珍しくも笑い転げそうになっている兵隊さんを見やりながら「そんなに笑わないでくれよ」とつまらなさそうな顔をしていた。
兵隊さんも「すまないすまない」と、なんとか笑いをこらえようとするのだが、カオルの顔を見るたびに笑いが隠せない様子だったので、カオルはもう諦めた。
「女将さんとか聖女様とかさ、皆してこの顔見ると笑うんだぜ。そんで、サララの話すると納得しながら更に笑うの。ひでぇよ皆」
「まあ、そう拗ねるなよ。仲直りはできたんだろう?」
「そりゃまあ、な。だけどさ、兵隊さんは知らないかもしれないけど、サララって時々こういう時あるんだよなあ。こっちの話全く聞こうとしないでいきなりブチ切れてさ、きーきー泣きながら引っ掻いてくるんだぜ? 堪らねぇよ」
「まあ、女の子はそういう理不尽なところはあるな。別にサララちゃんだからって訳じゃないと思うぞ?」
「そうなのかい? この世界の女の子は可愛い子多いなあって思ったけど、そういう所は向こうとあんまり変わらなさそうっていうか――あー」
こちらに来る前の世界を思い出しながらに、そもそも、自分はそんな機会すらまともになかったのだと思い出す。
こちらにきてから、女の子と触れ合う機会、話す回数は飛躍的に増え、サララという大切な存在もできたカオルであったが。
そもそも、こちらに来てからの経験しか彼にはなかったのだ。
女の子を語るほどに豊富な経験がある訳でもなかった。
良く知りもせずに語ろうとしていたことに若干のテレを感じ、口ごもる。
「しかし、君に女の子の愚痴を聞かされることになるとは思いもしなかったな」
どこか嬉しそうに笑うこの兵隊さんは、カオルから見ても「余裕あるよなあこの人」と、ある種の理想の大人のような印象を受けた。
歳自体は少し上くらいのお兄さんなのだろうが、大人びた余裕とモテる男なりの自信が共存しているように見えたのだ。
「そういう兵隊さんは、どうなんだよ?」
「どうって?」
「女の子で悩んだ事とか、結構あるんじゃないかと思ってさ」
自分が笑われるだけというのも癪だったので、カオルも言い返してしまう。
ただ、言い返してから「リア充の愚痴なんて聞かされても鬱陶しいだけじゃん」と、自分の発言を即後悔していたが。
存外、兵隊さんは浮かれたような顔はせず「いいや」と、割と神妙な顔で首を横に振っていた。
「私は全然だよ。今まで女の子にモテた事なんて一度もないからな」
「ははっ、ナイスジョーク」
「いやいや、冗談ではなくてな」
兵隊さんは謙遜が上手い男だった。
あるいはカオル以上に鈍感なのか。
そういえば、と以前サララが言っていた事を思い出す。
『兵隊さんは鈍感な人ですから、そのままじゃアイネさんの想いは報われないかもですねえ』
不思議とその大半が魚料理を食べている時とセットで思い出せるのがサララとの会話なのだが、この時もやはり、獲ったばかりのシラカワを二人で食べている時を思い出していた。
(となると、これは素で言ってるのか……アイネさん、可哀想にな)
「……?」
「それじゃ、一度も女の子といい感じになった事はないの?」
「うむ。ないな……ああいや、一度だけ、泣いていた女の子を励ます為に色々言った事はあるがね。もう8年も昔の話だし、会ったのも一度きりだからな」
「8年前じゃなあ……まあいいや、その話はこれくらいにしてさ。女の愚痴以外の話も聞いてくれよ」
「ああ、もちろんだとも。この店で飲める紅茶は中々美味いからな。いくらでも話が聞けるよ」
「違いないぜ」
カルナスに来て、この世界で初めて飲んだ紅茶は、元居た世界のソレとそう違いない味わいだった。
元々そんなに紅茶を好んでいた訳ではないカオルだったが、麦茶と水ばかりの世界から一気に元の世界に近づいたような気がして、途端にすごく上等な、とても美味しいモノのように感じられたのだ。
やや大き目で指が疲れる、あまり洗練された形ではないティーカップから漂う香り。
これが、カオルをノスタルジックな気持ちにさせてくれる。
青年は、鼻先から癒やされていた。
「いや、参っちまったよ。どこから来たのかって言われたって、俺、自分の元居た世界の名前とか知らねーし」
話題は変わる。
のんびりと紅茶の香り漂う店内。
他に客は居ないのか、男二人だけながら、のんびりとした時間は、なんとも愉しく過ぎていた。
今カオルが話しているのは、ベラドンナが仲間になって少し後の出来事。
聖女様によってあの髭の魔人が封印された事を聞きつけ、この国をまとめている偉い王様の遣いがこの街に訪れたのだ。
「それにしても、あのちょび髭の衛兵隊長、まさか『魔人』だったとはな……」
「なんか、方々を騒がせてた迷惑な奴だったんだって? 猫の呪いがどうとか言ってたからろくでもない奴だとは思ってたけどさ……」
「悪魔という時点でロクでもないだろうが、魔人ともなるとその規模もすごいらしいな。いや、私も人づてに聞いた話だ。詳しくは解らないがね」
「とんでもないのが居たもんだよなあ」
聖女様曰く、あのちょび髭はとんでもない大物だったのだ。
衛兵隊長の振りなどしていたが、世界各地で暴れ回り、方々で凶悪な呪いを振り撒いていた『魔人』という、『魔王』の側近の一人だったのだとか。
これはカオルが夢に出てきた女神様の話をすっかり忘れていたので聞いてから思い出したのだが、その魔王の側近とやらを偶然カオルが倒したとの事で、聖女様よりの報告書によってこれを知った国王もこの偉業には驚かされ、急遽遣いを寄越したとの話であった。
「しかし猫化の呪いとは恐ろしいな……一歩間違えれば、君や我々は猫にされていたかもしれない訳だ」
「ああ、まあ、なあ……」
この魔人が扱う中で特に厄介な呪いの一つとして、『猫化の呪い』というものがある。
その呪いを受けたが最後、猫にされてしまった人間は、特別な儀式を経なくては元に戻すことができず、これが可能なのが猫獣人の王族のみという話であった。
その猫獣人も、姫君が城内で襲撃を受け、この魔人の手によって猫の姿に変えられ行方知れずになっていたというのだから、恐ろしい話であるが。
同時にカオルは「またしてやられたぜ」と、苦笑いを隠せなかった。
(あの猫娘め、被ってたのは猫の皮だけじゃなかったんだな)
今までそんな素振り一つ見せなかったが、ぴたりとその事情に当てはまりそうな猫娘が近くにいた為、カオルは騙されたような気持ちになっていたのだ。
それ自体を怒るつもりはないが、ただただ、女性という存在の強かさにまたしてもやられた気になっていた。
「まあ色々とあれこれ根掘り葉掘り聞かれてさ、結構疲れちゃったよ。偉い人と話すのって、結構疲れるんだなあ」
「ああ、それは解る気がするよ。私も結構、質問攻めにあったし、ね……」
今回の一件に関しては、何もカオルだけが質疑の対象になった訳ではなかったのだ。
相棒であるサララは勿論の事、衛兵として女悪魔討伐に向かい、子供達を救出した兵隊たちは例外なく、王の遣いと面会していた。
特に兵隊さんはカオルと親しい事、他の兵達をまとめあげ、功績著しい事などから質問攻めを受けたらしい。
カオルほどぐんにょりとはしていなかったが、眉を下げ、困ったように笑っていた。
「でも、関わってよかったと思ってる。質問攻めは疲れたけどさ、あの時、女将さんに声を掛けなかったらって思うと、怖くて仕方ないよ」
「……ああ。君達のその勇気が、今の私を、この街を生かしてくれている。それは間違いないな」
賑わう街並みを眺めながら、ぽそり呟いたカオルの言葉に、兵隊さんは感慨深そうに頷いた。
あの時あの瞬間、カオル達が通りかからなかったら。
面倒ごとだからと女将さんに声をかけず、見て見ぬ振りをしていたならば。
カオルはそう考えると、怖くて仕方なかった。
盗賊やドラゴンの時もそうだが、その時自分が動いたことで解決した事よりも、動かなかった結果を考えて、「動いてよかったなあ」と思えたのだ。
動かなければ、この、かけがえのない光景が永遠に失われていたのかもしれないのだから。
そうしてまた、正面を見る。
兵隊さんも、善い顔で街を眺めていた。この顔である。
この優しい顔をした兵隊さんが、もしかしたら死んでしまったかもしれないのだ。
ベラドンナだって、悲しい気持ちを抱えたまま、狂ったままに子供をさらい続けたかもしれないと思うと、やはりあの時、自分が動いたことは正解だったのだと思えた。
今が幸せで、良かった、と。
「なあ、兵隊さん。俺さ、大分英雄っぽくなってきてねぇ?」
だから、胸を張って彼の顔を見る事が出来た。
自分は、この人の役に立てたに違いないと。
この人の助けになったに違いないと、そう思いながら、どや顔で笑って見せる。
兵隊さんは兵隊さんできょとんとした顔をしていたが、やがて含みを持たせた笑いを見せて「ああ、そうだな」と、笑い返してくれていた。
「今の君は、誰がどうみても英雄だと思うよ。私が保証しよう」
そんな、嬉しい事を言ってくれたのだ。
カオルは、今までで何度目かも解らない、胸をこみ上げる気持ちに満たされていった。
「おぉ……おおぉぉぉ!!! やったー! 兵隊さんに認められたぞ!!」
そんな、子供じみたリアクションしか取れなかったカオルであったが。
気取ったところなど何一つない、純粋な気持ちがそのまま表れていた。
「おお、こんなところにいたのかカオル! それに衛兵隊長殿も!」
そのまま、自分達がお城へ招待されたことを伝えたり、逆に村の衛兵からこの街の衛兵隊長へと出世した事などを伝えられたりと近況を話し合った二人であったが。
刻一刻と賑わいが増してゆく通りから現れたコルルカ老により、話は一旦中断された。
「コルルカさん、どうしたんだい? なんか、街中、すごい賑やかになってるけど」
「ははは、いやな、カオルとサララちゃんがもうすぐ旅立つのだと聞いてな、街の衆が、『それなら二人が旅立つ前に冬祭りを見せてやろう』と、まあそういう気になってくれてのう。急遽祭りが執り行われることになったんじゃよ!」
「えぇっ!? 祭りって、今からかい?」
「その通りじゃ。いや、ワシも驚かされたがな、街の衆の熱気がすごくて! 今年はもうだめかと思っておったが、この分だと今まで以上に賑やかな祭りになってくれそうじゃわい!」
「おおお……カルナスの冬祭りとはまた。懐かしいですな。私も子供の頃、一度だけ見たことがありましたが……」
「うむ、うむ! そんなだからのう、皆には楽しんでもらいたい。ワシも、街を発つ前にいい思い出ができそうだわい……カオル、お前さんとサララちゃんの活躍は忘れんよ。それに、この街の為に勇気を振り絞ってくれた、五人の兵隊さんの話も、な」
「……そう言われると照れくさいけど」
「いやはや。あの時は無我夢中でしたが。そう言ってもらえると光栄です」
どんどんと熱気の増してゆく街を見ながらに。
三人は、膨らんでゆく期待と希望に、目を輝かせていた。
この街の幸福は、そう、永遠であるかのように。
幸せそうに手をつなぐ恋人達や、心から愉しそうに両親と共に街を歩く子供達に、心底ほっとしながら。
冬の祭りは、それはもう、大層賑やかに、人々を幸せな日常へと連れ戻してくれた。
それから二日後。
カオルとサララは再び馬車に乗り込み、兵隊さんや街の衆に見送られながら、別れの挨拶などをしていた。
カオルとしてはこのような別れは二度目だったのでそれほどしんみりとしたものではなかったが。
それでも、遠くなっていくカルナスの街を見るにつれ、目元がおぼつかなくなり、腕で隠してしまう。
「また会えますよ」
ぽんぽん、と、優しく背中を叩いてくれるサララに「解っているさ」と強がることも忘れない。
「今度は一直線だ。馬車も間違えようもないから、乗ってるだけで着くぜ」
なんとか顔をあげて、皮肉にもならないような皮肉を思い付きで返して、にぃ、と笑って見せる。
そうして目元をごしごしと擦ってから、もう一度街の方角を見つめ。
今度は笑いながら「またな」と一言、笑って告げた。




