#5.ドラゴンスレイヤー
ここで、話は冒頭へと戻る。
カオルは、絶望の表情のまま、大きく裂けた口へと丸飲みにされようとしていた。
流石にこのような状況下、棒切れカリバーを振る暇すらなく。
ただ、変に冷静になりながら「腹の中で溶かされても復活できるのかな」などと、妙な事を考える。
即死ポイントの回避ならず。
カオルは惨めにも、この世界での残りの時間全てを、ドラゴンの腹の中で過ごす事となってしまった――
――訳でもなく。
ドラゴンの動きがぴた、と、止まる。
「……あれ?」
何が起きたんだ、と思いながら、カオルは目をぱちくりさせ、数秒。
ドラゴンは後ずさるようにしながら長い首を自らの身体の側へと戻し、カオルを……いや、その後ろを見ていた。
「……」
カオルの後ろに立っていたのは、見慣れた黒猫娘であった。
黒髪で、赤い釣り目が愛らしい、サララである。
だが、そのサララが、いつもと違う様子で自分の方を見つめていたのを、カオルは気づいた。
いいや、違うのだ。
ドラゴンもサララも、カオルの事など全く見ていない。
両者が見ていたのは、互いの眼だったのだ。
『――よもや』
そうして、先ほどまで獣が如き鳴き声を発していただけのトカゲの化け物が、唐突に知性的な人の言葉を話し始める。
これにはカオルも驚きと言うか「さっきまでのアレは何だったんだ」という気持ちになり、唖然としてしまっていた。
『このような場所で、仇敵と出会う事になるとは……な』
「あらあら、人の言葉を話せる古代竜がこんな山奥に居ただなんて。ハイキングもしてみるものですねえ」
グルル、と唸るような音を発しながらも引きがちなドラゴンに対し、サララの好戦的な表情。
どう見ても見た目、ドラゴンと獲物になった哀れな猫娘、それとおまけ一人の構図だというのに、互いの視線は全く逸れることなく、むしろ逸れた時こそが決着の時の様な、最終決戦の雰囲気であった。
「最近やけに地震が多いと思ったら、まさかまさか。私が猫にされていたのも、こういうのを狙っての事だったんでしょうかねえ」
『我は先日目覚めたばかり故、詳しき事情は解らぬが――』
一見親しげな間柄の雑談のようにも聞こえるそれは、激しい警戒心と強烈な殺意とのすり合わせ。
双方とも、いかにして攻め込もうかという間合いの取り合いのような、ギスギスとした空気を充満させていた。
情けない事に、カオルはその両者の空気に、一歩も動けずにいたのだ。
『――このような場所で出会ったならば、我らと猫獣人ならば、殺し合わねば……なるまいよ!!』
「――なら、覚悟しなさい!」
最初に飛び掛かったのは、ドラゴンの方であった。
巨体を、まるで空を舞うかのように宙に滑らせ、踊りかかるように巨大な口で噛み砕こうとする。
体格差を考えれば丸飲みにだってできただろうに、わざわざ小柄な猫娘を、である。
「サララ、逃げろっ!!」
驚きながらも、カオルは棒切れに手が伸び、振り上げようとしていた。
だが、ドラゴンは既にカオルの上を飛び越え、サララの間近へと迫っていた。
声は、間に合わない。
「ああっ――」
どのような悲劇か。
あわれ、サララはドラゴンの牙に――
「……弱いわ!!」
――素手で組みつき、閉じようとした牙を、顎ごと分け開いた。
『ぐぎゃぁぁぁぁぁっ!?』
余りに予想外の事に、カオルは開いた口が塞がらない。
何が起きたのかも解らない。
彼は、混乱していた。
サララは、カオルにとって守るべき人ではなかったのか。
助けなきゃいけない、非力な少女だったのではなかったか。
その先入観が音を立て崩れていくのを目の当たりにしていたのだ。
「――この、オオトカゲ如きが! カオル様に手をあげましたね!? 許しませんよ!!」
そのまま、横へ向け投げ放つ。
巨体が地べたに土煙をあげながら叩き付けられ、衝撃に山が揺れる。
ドラゴンは長い首を左右に振り、サララをギロリと睨みつけながら立ち上がり、再び襲い掛かった。
『ぐっ、お、おのれっ! 覚醒さえしていたならば、貴様如きぃぃぃぃぃぃっ!!!』
「封印から覚めたばかりの古代竜なんかが、私に勝てる訳ないでしょうが!!」
『ひぎゃっ――ぐぎぁぁぁぁっ!?』
襲い掛かってきたドラゴンを横へとかわし、腹へ目掛け拳の一突き。
サララのか細い腕のどこにそんな力が宿っていたのか、それだけでドラゴンは痛ましい悲鳴をあげ始める。
ぴくぴくと震え、悶絶しながらよろめき、倒れ込むドラゴンに、サララは容赦しなかった。
「楽に死ねると思わないで! 私のカオル様に手を出した罪を死にながら贖いなさい!」
『ふぐっ――ぴっ、やめっ――ぐ……がっふぁ――ごぷぁっ』
「……うわぁ」
それは、凄惨過ぎるシーンであった。
子供にはとてもお見せ出来ないショッキングなシーンであった。
小山を思わせる巨大なドラゴンを、このサララという黒猫娘は、蹴りあげ、殴りつけ、拳で牙を圧し折り、肘打ちで足を叩き潰し、その細腕で首を締め上げていた。
『ギヒッ――グォォォォォォォォォォォォォォォォッ――!!!』
締め上げられている骨が、秒ごとにばきりばきりと派手な音を鳴らし、ドラゴンに断末魔めいた絶叫を叫ばせる。
だが、サララはまだ止めない。
完全に首の骨をへし折った後も、まだ身体が痙攣しているからと言わんばかりに首を更に捻じ曲げ、ばきり、顎の関節と首との接続部をねじ砕いていた。
怒りの原因がカオルへの攻撃にある以上、サララは一切容赦がなかった。
そも、ドラゴンは最初から詰んでいたと言える。
『――グヒュッ』
首が変な方向に曲がりきった後、しばし痙攣していたドラゴンは、やがて奇妙な声のような何かを漏らし、それからはピクリとも動かなくなった。
彼は、さっさと逃げるべきだったのだ。
変なプライドだとか伝統意識だとかはかなぐり捨て、涙目になってすぐに飛び去って逃げれば、流石にサララも空までは飛べないのだから、逃げ切れたというのに。
愚かにも戦いを挑んでしまったドラゴンは、猫獣人という天敵の前に為す術もなく打ちのめされ、モノ言わぬ躯となっていった。
「ふぅ……変な汗かいちゃった」
後に残ったのは、一仕事終えたようなすっきりした顔のサララと、その戦いを見て全力で引いていたカオルと、それからかつて古代竜と呼ばれていた肉の山であった。
長い首と顎とを圧し折られた肉山は、それまでの恐ろしげな風貌など最早感じさせず、ただのぐんにゃりとした何かになり果てていた。
「……あ、カオル様、大丈夫でしたか? お怪我とかは?」
「いや、怪我とかはないけどさ……しょんべん漏らしそう」
「ええっ!? おトイレ行ってきたんじゃなかったんですか?」
安堵の末か、それともサララ自身が脅威に思えてしまったのか。
カオルは情けない事に、失禁寸前となってしまっていた。
だが、サララのツッコミがいつも通り過ぎて、若干、平常心が戻る。
「ああ、すまね……その、助けてくれたんだよな。ありがと」
「いえいえ~。ほら、サララ、役に立ちましたでしょう? 私が居てよかったじゃないですか~」
「うん、ほんとな……今回に関してはマジで感謝しかねぇわ」
こうして話している間に、ドラゴンに襲われた恐怖よりは、「生きてまたこの子と会えてよかった」とか「サララが無事でよかった」という気持ちの方が上回り、段々といつもの調子が戻ってきていた。
この辺り、カオルも大分メンタル面で強くなっており、ショッキングな出来事でも、ある程度順序だてて受け入れることができるようになっていたのだ。
人とは存外、それに相応しい環境に置かれれば成長するものである。
「でもお前、あんな強かったのか。知らなかったぜ」
勝手にか弱い女の子だと思い込んでいたため、サララのこの度の活躍は、カオルにとって予想外過ぎた。
その予想外のおかげで二人の今があるのだから悪い事ではないのだが、やはり、カオルはこの黒猫娘の事をよく知らなかったのだ。
「んぅー? ああ、強くはないですよ? 私、基本的にはか弱い猫娘です」
「いやいや、流石に騙されないぜ。ドラゴン一方的に殴ってたじゃん。蹴ってたじゃん」
この期に及んで猫を被るのか、と、サララの返答が茶化したように見えたカオルは思わずツッコミを入れるが。
サララは苦笑いしながら「本当ですって」と、手を振り振り、ドラゴンの傍まで歩く。
「私達猫獣人って、ずーっと昔に、『ドラゴンスレイヤー』として女神様に作られた種族なんですよ。だから、ほら――」
「ん……? うぉっ」
柔らかそうなサララの指先であったが、ドラゴンに近づいた途端、『シャッ』と、鋭い爪が飛び出ていた。
その爪でドラゴンの表面を引っ掻くと、するりと、まるでハムでも切るかのように分厚い鱗が、そしてその下の皮膚と肉が薄切りにされ零れ落ちていた。
「――こんな感じに、ドラゴンの近くに立つと大幅に身体能力が跳ね上がりまして。でも、これって対ドラゴンだけだから~」
「お、おいっ」
「えへへ、大丈夫ですって」
今度はカオルのもとにまで戻って、カオルのほっぺたを同じ指先で引っ掻く。
思わず目を瞑ってしまったカオルであったが、頬に伝わる感触は、少女の繊細な指先そのもの。
柔らかく温かで、痛みなど微塵も感じなかった。
「あれ……痛く、ねぇな?」
「でしょう? 私、対人ではすごく無力です」
怖くないでしょう? と、愛らしい笑顔を向ける猫娘。
カオルも納得し、小さく頷く。
それに満足してか、サララはカオルの手を取り、自分のほっぺたに当てていた。
「――でも、さっき『逃げろ』って言ってくれたの。ちょっと格好良かったですね。ああいうのは素敵だと思うので、遠慮なく言ってくれていいですよ?」
指先よりも柔らかな頬が、うっすら朱色に染まっていたのには、カオルも気づいていた。
サララなりの照れ隠しなのだろう。照れ隠しに直球を使ってしまう子なのだと、この時ようやくカオルは理解した。
だから、カオルはいつものように笑うのだ。
「まあ、勝手に守ろうと思ってたからな。サララのところに行かないように逃げ回ってたつもりなんだが……でも、あれだな。この辺の山ってのは、ああいうのが当たり前のようにうろついてるもんなのか?」
カオルとしては、『今みたいなのが普通に遭遇するモンスターです』などと言われれば、今後は二度と山に来ようと思わないのだが。
サララというと、眉を下げながら「そんなまさか」と手を振り振り、苦笑いしていた。
「そんなに強くない、トカゲの化け物でしかない野良ドラゴンみたいなのはたまーに人目に触れるところに現れたりしますけど、今の奴みたいな古代竜は滅多に出てこないですよ。と言うか、こんなところに封印されてたなんて初めて知りました。びっくりですよ」
「ああ、そうなんだ……その、古代竜ってのは、強いのか?」
「んー、猫獣人なら、完全に覚醒しきる前ならご覧の通りですね。覚醒しちゃうと一人だと手間取るかなあ」
覚醒というものがカオルには未だよく解らない単語だったが、それでも無理ではなく手間取る程度というのが恐ろしい話だった。
サララ、ドラゴン相手だとものすごく強い。
「因みに、猫獣人に頼らないと倒せないくらい強いのか?」
「どうでしょうねえ。古代竜が暴れ回ってた時代なんかはその名の通り古代なので、覚醒した古代竜相手に数万人単位で足止めしつつ、カタパルトとかで投石して消耗させて、魔法使いが一斉砲撃して地道にダメージを稼いで、一月くらいかけて疲弊させてから封印してーってやってたみたいですけど」
「めっちゃ消耗戦じゃん」
「大国が傾くレベルの総力戦ですね。勝てないと国が滅びたので当時の人達はそれこそ上から下まで全てを懸けての戦いになってたみたいですが。でも、そこまでやっても殺せずに封印止まり。しかもその封印も、所詮人間の施したものだから、定期的に壊れて復活させちゃうという――」
古代の人間たちにとってはそれしか方法が無かったのかもしれないが、それにしてもやるせない話であった。
実際、封印されていたドラゴンが現れたのが今回の一件なのだろうから。
「でもあれ……ていう事は、サララがここで倒せなかったら、村がすげぇヤバかったって事?」
「そうなりますね。村というか、この辺りの国が相当不味い事になってたと思います。現代は、まだいくらかは対ドラゴン戦の対策が構築され始めてるから、流石に国が滅亡するレベルの存在ではなくなったと思いますけど……」
「……サララ、ついてきてよかったな、ほんと」
「本当ですよ~。ついてこなかったら、村は滅びて国は大変なことになってて、しかもカオル様も帰らぬ人になってるところでした。割と洒落にならないです。いやあ、偶然ってすごいですねえ」
怖い怖い、と、おどけながらも自分の肩を抱きながら笑って見せるサララ。
ただの偶然とはいいがたい何かを感じてはいたが、カオルも確かに「そうだな」と大きく頷き、ひとまずはこの幸運を喜んだ。




