#9.討伐成功!?
テントからの怪しげな声に警戒を強めるカオルたちの前に現れたのは……大柄な中年男だった。
筋肉質な腕と、酒太りの腹。
それだけならばどこにでもいる男なのだが、顔だけ、明らかに様子が異なっていた。
『う……うぁ……』
だらしがなく涎が滴る口元。
眼はどんより濁っていて、汚らしく目やにがいくつもついたままになっていた。
何より異常なのはその臭い。
目に入っただけで、カオルも兵隊さんも、サララ同様鼻や口元を押さえずにはいられぬほど、きつい体臭。
「……お前がガウロか? 止まれ。止まるんだ」
『うぼぁ……ああっ』
前に立つ兵隊さんが、剣を構えながら大男に問いかける。
だが……男は呻き声をあげながら近づくばかりで答えない。
『あぁー……』
やがてふらふらと頭を揺らし……兵隊さんに向け駆け出し、左手を振り上げた。
「兵隊さんっ」
ガウロがどのような状態なのかはカオルにも解らなかったが、とにかく危険な気がしたのだ。
咄嗟に声を張り上げたが、兵隊さんは既に反応していて、振り下ろされたガウロの拳を避けた。
「――今のは攻撃とみなしたぞ! ガウロ!!」
今までカオル達に見せたこともない険しい目つきになり、兵隊さんはガウロの横をすり抜け真後ろへ。
『ぐがぁっ! うがぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
「ふんっ!」
正気とも思えぬ声を張り上げながら腕を振り回すガウロ。
だが、兵隊さんはその腕が自身に当たるより早く切り落とす。
びしゃりと血の舞う音。ぼとり、腕が落ちる。
『ぐがあああっ! ばああああっ!!』
それだけでは戦意喪失しないのか、ガウロは暴れ回る。
まるで糸か何かで振り回される操り人形かのように。
そう、子供に振り回される人形のように、無造作に腕を振り回そうとして、兵隊さんに斬りつけられていくのだ。
『ぐびゃぁぁぁぁぁぁっ!!』
「くっ、この――」
だが、斬られても斬られても倒れない。
肉が千切れ骨が絶たれようと、口から涎を垂らしながら、まるで狂った獣のように暴れまわるのだ。
兵隊さんもこんな相手は初めてだったのか、やり難そうな顔をして、体当たりしようとするガウロを避ける。
どうにも、終わりが見えない。
――ネクロマンサーという奴は、普通の剣では倒せないんじゃないか?
カオルはそんな疑問を抱き、ずっと構えていた棒切れで、慎重に狙いを定める。
狙うのは、ガウロの頭。
もしかしたら頭じゃなくてもいいのかもしれないが、とにかく頭で一発KOしてしまいたかったのだ。
兵隊さんが近くにいるからそれが中々狙えなかったが……ガウロの突進をかわそうと兵隊さんが大きく離れ、チャンスが訪れた。
すかさず投擲のモーションに移り……投げつける!
「――どりゃぁっ!」
『ぶばぁっ!?』
一撃必殺。ガウロの顔面にクリーンヒットした棒切れカリバーは、遺憾なくその威力を発揮した。
べこり、顔の半分がへこみ、どう、と倒れるガウロ。
「よくやったカオル……しかし、生きてるか?」
すかさず兵隊さんがガウロの背を足で押さえつけ、腕を引いて脈をとる。
そうして数秒。目を閉じ、首を横に振った。
「……死んでるな。というより、冷たくなるのが早すぎるな」
「そ、そういうもんなのか?」
「ああ、いくら死人が冷たくなるとは言っても、これはちょっと早すぎる気がする。それにこの臭いは……」
ガウロから漂う体臭は、もはや腐臭と言っても過言ではない強烈な物であった。
だが、その臭いの所為で、カオルも兵隊さんも気づけなかったのだ。
「……カオル様、兵隊さん。多分、たくさん死んでますよ」
テントへ向けて指さすサララ。
戦いの最中、カオルも兵隊さんもサララにまで目を向けていられなかったが、いつしか蒼白な表情に変わっていた。
サララは馬車へも視線を向け、やがて視線を落とす。
「たくさん死んでる……? まさかっ!」
「さっきはガウロの臭いがきつすぎて気づきませんでしたけど……馬車やテントから、酷い血の臭いが……」
目を伏せながら、えずきそうになるのをなんとか抑えるサララ。
兵隊さんはすぐさまテントの中を確認した。
カオルも、それに合わせて馬車の扉を開け、中を見る。
「こ、これは……」
「うげ……なんだこれ」
どちらも、内容は同じであった。
血みどろになった寝具。ぐしゃぐしゃにひしゃげた大量の肉片や骨。
ところどころ医療器具のようなハサミやらナイフやらが転がっていたが、これも血にまみれていた。
人間の、元死体。
ネクロマンサーに弄り回された人間の末路が、そこにあったのだ。
「これ、全部商人の人たちのかな……」
「恐らくは……しかし、それにしては痕跡が馬車とテントの中に集中していたのが妙だが」
いったいここで何が起きたのか。
朝までは普通に人が居たはずのここに、なぜこんな悲劇が起きたのか。
三人が三人とも、「何故、いつ?」と、湧いて出た疑問を隠すこともできずにいた。
「カオル様、あの袋、なんでしょうか……?」
グロテスクを通り越したような空間の中、サララは馬車の奥に、大き目の麻袋が二つ転がっていたのに気づく。
なんとか吐き気も収まったらしく、幾分落ち着いたらしいが、やはりその顔色は青かった。
「ん、ちょっと見てみるか……」
カオル自身、そんな光景と、気付ける程度に解放された腐臭にいつ吐いてもおかしくない状態だったが、サララの手前なんとか耐え、馬車へと踏み入る。
「気を付けてくれ。まだ何か潜んでるかもしれない」
ガウロらしき男は倒せたが、それだけにとどまらないかもしれない危険もあった。
兵隊さんの声に「ああ」とだけ答え、注意深く足元の肉や骨を踏みしめ、奥の麻袋へと手を伸ばす。
何が飛び出てもいいように棒切れを構えながら。
ゆっくりと、震える手で袋の紐を解き……中身を開いた。
「あっ――兵隊さんっ、兵隊さんっ!」
それが見えて、カオルはすぐに声を張り上げ、兵隊さんを呼ぶ。
何事か、と兵隊さんも駆け寄る。
「どうしたカオル! 何があった!」
「レイチェルだっ! レイチェルが入ってた!!」
やけに大きな麻袋だと思っていたカオルであったが、その中に入っていたのは、行方不明のレイチェルだった。
ネクロマンサーの関与が疑われていたレイチェルの失踪。
ここにきて、決定的な証拠が発見されたと言える。
「ほんとだ……レイチェルっ、レイチェルっ、しっかりしなさい!」
まだ陽が出ていたのが幸いしてか、馬車の中はレイチェルの顔が確認できる程度には明るかった。
兵隊さんが頬を軽くはたきながら声を掛け、それでも目を覚まさない為に脈をとる。
「……生きてる?」
「ああ、少なくとも死んではいない。とりあえず、安全なところに運ぼう」
「そうだな……こっちの麻袋も確認していいか?」
「うむ。もしかしたらそちらにも誰か入っているかもしれないしな」
レイチェル生存。これには三人とも、ほっと胸をなでおろした。
まだネクロマンサーに何をされていたのかは解らないが、少なくとも死んではいないのだ。
それだけでも救いがあると言える。
「こっちの袋は……あれ、この人、占い師の人じゃね?」
もう片方の麻袋を開けたカオルは、そこに入っていた人の顔を見て、それが占い師の女性だと気づく。
独特の目元以外を隠した紺色一色のいでたちは、カオルにも印象深かったのだ。
こちらも兵隊さんが脈をとり、生存を確認する。
馬車とテントだけでいったい何人が死んだのかは解らないが、少なくとも二名、生存者がいたことになる。
これが不幸中の幸いと取るべきかは難しいものの……カオルたちは、生存者二人をなんとかして村まで連れて帰り、療養施設のある教会へと預けた。




