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私のめんどくさい幽霊さん  作者: 未礼
番外編

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27/28

番外編、彼シャツ

コミカライズ記念番外編

 



 唇にキスされる感触で目が覚めた。

 ゆっくりと目を開いたが、キスをした人はもう部屋にはいない。

 隣の部屋から小さな物音がしていて、日花は二度寝の誘惑と戦って珍しく勝利し、ゆっくりと体を起こした。

 大きく伸びをしてよたよたと扉に向かう。引き戸を開いた先、キッチンに立っていた蛍明はもうすでにスーツを身に着けていて、日花を見て目を真ん丸にした。


「おっ、珍し。もう起きたん。今日土曜やで」

「う」


 土日のどちらかは出勤することが多い彼とは違い、日花は原則土日は休みだ。

 近付いてきた蛍明が腰をかがめ、唇を押し付ける。さっきと同じ感触だった。


「おはよ」

「……はよ」


 一緒に暮らし始めてもうすぐ一ヶ月。朝起きた時にすぐそばに蛍明がいることが、まだ少し照れくさくて嬉しい。それは目の前で目を細めた彼も同じなのだろう。


「昨日買ったパン食べるやろ?」

「ん」

「トースターで焼く?」

「おねがい」

「オッケー」


 キッチンに戻った蛍明を見送ったが、さすがに仕事に行かない自分がこれから仕事の彼に任せきりで、ダイニングテーブルでふんぞり返っているわけにはいかない。

 洗濯機でも回すかと洗面所に入って、洗面台に置かれたジョウロが目に入った。

 ベランダにある家庭菜園用のジョウロだ。水やりを忘れないように彼が置いたのだろう。

 押しグッズを買いすぎて金欠になった時用の非常食として育て始めたハーブや野菜だったが、試行錯誤を経てなかなか立派に育てることができるようになってきた。

 そこに興味を持ったものには凝りに凝りまくる蛍明が参戦し、ベランダの一角には小さいながらも立派な家庭菜園が出来上がっていた。

 先に水をあげておこうと蛇口をひねる。そしてふと自分の姿を見下ろした。

 タンクトップと、下半身には下着しか身に着けていないこの格好では、さすがにベランダには出られない。

 目に付いたのは洗濯かごに引っかかっている蛍明がさっきまで着ていたTシャツだ。それを拝借して、満杯になって今にも零れそうなジョウロを手によたよたとベランダへと向かった。

 掃き出し窓を開いて、むわっと流れ込んできた暑い熱気に気後れしながらも、蛍明のサイズに合わせた大きめのサンダルを履いてベランダに出る。そして大きなものから小さなものまで並んだプランターに、順番に水をあげていった。

 きゅうりとピーマンはまだもう少し。ズッキーニは明日には初収穫できそうだ。ミニトマトは鈴なりになっている。

 片手いっぱいにミニトマトを収穫した頃には、黒髪が熱を吸収して熱くなってきた。そろそろ部屋に戻ろうと思った時だ。


「うわっ、床に水こぼしとるやん、もぉ」


 室内から聞こえてきた声に「ごめん」と返す。戻ろうと空になったジョウロを手に取ると、同じタイミングで蛍明がベランダに顔を出した。


「朝ご飯できっ」


 勢いよく言葉を切って、彼は目をくわっと剥く。


「お前、アホ! アホちゃう!」

「……何が」

「そんなカッコで外出るやつおるか!」


 自分がどんな格好をしていたかすっかり忘れて体を見下ろす。そういえば蛍明のTシャツを着ていた。

 彼もゆったりと着ているTシャツなので、日花にとっては太ももの真ん中まであるワンピースのようなものだ。下着は一切見えていない。もし見えていたとしても、手すりはコンクリート製で胸の高さまである。隣の部屋のベランダとは隣接していない作りのマンションだし、近くにここを見下ろせる高さの建物もない。


「見えないよ」

「見えとらへんくても!」

「外じゃない」

「どう考えても外や!」


 ジョウロを日花から取り上げて、蛍明は「はよ中入り! 熱中症なるで!」と部屋の中に入っていった。まるでお母さんだなと、一緒に暮らし始めてからもう片手では数えきれないほど口に出したことをまた思って、日花も部屋に戻った。

 取れたてのミニトマトを洗って、そのいくつかをそれぞれの朝食の皿にのせる。戻ってきた蛍明と一緒にダイニングテーブルに座り、「いただきます」と手を合わせた。

 彼の機嫌はまだ直っていないようだ。


「蛍明だって、下着とTシャツでベランダに出てたじゃない」

「俺はセンシティブじゃない。お前のそれはセンシティブ」

「パンツ丸見えは充分センシティブだよ」

「彼シャツのほうがセンシティブに決まっとるやろ!」


 パンをむしゃっと食べて、咀嚼して飲み込んで、それから蛍明は本音を叫んだ。


「俺の前以外でそんなカッコすんなっていう漫画のイケメンがようする嫉妬や!」

「へー」

「なんで俺が仕事の日に限ってそんな可愛いカッコしとんねん!」

「蛍明の服だよ」

「俺の服をお前が着とるのが可愛いの!」


 せっかくパン屋で買ったちょっと高くて美味しいパンを五口ほどで完食して、蛍明は肘をついて額を手で覆い、深い深いため息をついた。


「俺が帰ってくるまでその格好でおって」

「出かけるから無理」

「帰ってきてからもう一回着て」

「洗濯するし」

「新しいやつ出していいから着て!」


 パンをちぎって口に入れる。ふた口目で蛍明がちらりとこちらを見るので、同じように肘をついて組んだ手に顎を乗せた。


「いいけど」


 その返事に蛍明が「やったー!」と大喜びする。大体茶番だ。蛍明は日花が大抵のことは許すことを知っているし、日花も蛍明が本当に嫌なことはしないと知っている。

 ただ、それが楽しくて仕方がない。


「さあ! 仕事頑張ろ!」


 蛍明はごちそうさまと手を合わせて食器をキッチンへ運ぶ。

 本当に嬉しそうなその背中を見ながら、彼が持っている情緒も吹っ飛ぶような面白い柄のTシャツを着て、どんな反応をするのか見てやろうと日花はこっそりと決めた。




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