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私のめんどくさい幽霊さん  作者: 未礼
番外編

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25/28

番外編、怖がりな彼女 前編

書籍発売記念の番外編です。

一二三文庫さまより発売中。




 日花と喧嘩をした。久しぶりのそこそこ大きな喧嘩だった。

 元々はただの意見の相違だったが、どちらも強い意志の元主張を曲げないので、喧嘩になった。

 車の助手席で黙り込んでいる日花の横顔をちらりと見て、蛍明はため息をついた。


 事の発端は、買い物だ。

 ただの買い物ではなく、家具や家電を一緒に見に来ていた。

 そう、彼女と一緒に暮らすことになったのだ。結婚ではなく、いわゆる同棲だ。

 日花の就職先がマンションから微妙に遠く電車の乗り換えが不便で、一年我慢したが限界だったらしい。社会人になったというのに親所有のマンションに住み光熱費を負担させているということも気にしていたようで、これを機に完全な独り立ちをすることにしたようだ。

 そこへずっと同棲を切り出そうとしていた蛍明と、彼女のひとり暮らしを心配する彼女の家族が加わり、すったもんだの末、結婚を前提としたふたり暮らしが実現した。

 蛍明の実家への挨拶も済ませ、一ヶ月後、ふたりの短い夏休みを利用して引っ越しをすることになっている。

 それに合わせて、蛍明と日花は足りない家具や家電を買うために出かけていたのだ。

 前日から日花を家に招き、ふたりではしゃぎながら買い物リストを作ったり、間取りに家具を当てはめてみたり、それはもう買い物を楽しみにしていた。

 インテリアには仕事柄蛍明の方が知識もこだわりもある。日花はシンプルで使いやすくて予算の範囲なら何でもいいと任せてくれたので、下調べは完璧だ。


「何個か目星つけてきたから、実際に見てみて日花が気に入ったら買お」


 何か所も店を回るからと借りたレンタカーに乗り込みながら、蛍明は言う。


「うん、分かった」


 珍しく早起きした彼女の上機嫌な返事を合図に、蛍明は車を出発させた。

 大きな買い物は、ソファとダイニングテーブルセット、あとはベッドくらいだ。

 日花は父親が仕事に使っていた部屋をそのまま借りていて、家具家電はほとんどが父親のものだ。ほしいものは好きに持って行けと言われたらしいが、セレブ御用達ブランドのダイニングテーブルセットや七桁万円のソファやクレーン搬入必須の高級ベッドなどは、1LDKのごく平均的なマンションで新生活を始めようとしているふたりには、余りにも荷が重たすぎた。結局彼女はオーブンレンジと気に入っている皿数枚――怖くて値段は聞いていない――をもらう予定らしい。

 蛍明は生活できる必要最低限の家具家電は揃えていたが、ベッドは安上がりに済ませてしまったせいか、まだ四年しか使っていないというのにもうがたが来ていて処分する予定だ。

 椅子が二脚の小さなダイニングテーブルセットを買って、座り心地のいいソファを少しだけ奮発して買って、あとは日用品やバスグッズなど、買い物リスト通りに買い揃えていく。

 昼食を食べてからもいくつか店を回って、おやつに喫茶店でケーキを食べてから、ふたりは最後の目的地に向かって車を発車させた。


「職場が近くなったら、仕事から帰ってきたあとにのんびりする時間もできるだろうね」

「せやなぁ、仕事帰りに同僚とちょっと飲みに行ったりもできるな。男とふたりでは行かんといてほしいけど」

「大丈夫だよ。飲みに行くような人はいないから」

「え、大丈夫? お前ちゃんとみんなと仲良くできとる?」


 小学生の娘にするような心配の仕方をしてしまい、横顔にじっと日花の視線を感じる。


「お昼は一緒に食べたりしてるから大丈夫。もちろん女の人とね」

「そうやったらええけど」


 大の大人にこんな心配は不要だと思うが、なにせ彼女は訳ありだ。

 その幽霊が見えるという特殊な体質のせいで、彼女があまり人と深く関わりたがらないことは知っていた。秘密を知られ嫌われるのが怖いと、彼女はいつも怯えている。


「上手くやってるよ。大学の時だって、ちゃんと友達はいたでしょう。今も仲良くしてもらってるし」

「まあそやな」


 よっぽどこの話題は嫌だったのだろう、日花が話を変えるように少し大きな声を出す。


「早く帰れるようになったら、推し映画鑑賞会をするから、一緒に見ようね」

「ええよ」


 彼女のクローゼットには、買うだけ買ってまだ見ていない推しのDVDが山ほど積んである。


「新居、収納はまあまああるけど、お前の推し活グッズの収納場所がなぁ」

「蛍明の釣りグッズの収納場所もね」


 からかってやろうと思っていたのに即座に言い返されて、ぐうの音も出なくなった。


「あと、おもしろパンツコレクションも多すぎ。タンス一段全部パンツじゃない」

「あれは勘弁してください……高一の時から集めてるんです……」

「趣味の物は決めた範囲に収まるだけ、ってふたりで決めた約束、ちゃんと守らないとね」

「善処します」


あははと笑って、日花は「私も」と答える。


「楽しいね。どんな暮らしになるかなって想像しながら準備するの」


 どんな顔でそんな可愛いことを言っているのかとちらりと横顔を見ると、想像通りの可愛い顔だった。

 赤信号で止まって、日花を振り返る。気付いて顔を上げた彼女に素早くキスをして、何食わぬ顔で前を見た。


「もー……」


 いつも外でこういうことをするともう少し怒るが、今日は「もー」だけだ。もしかするといつもなら「馬鹿じゃないの?」と虫けらを見るような冷たい目で一蹴されるようなあんなお願いやこんなお願いも、今日なら聞いてもらえるかもしれない。


「ふっふふ……」

「……何? やらしい笑い方」

「俺の婚約者が世界一可愛いなと思って」

「そう、ありがと」


 いつものように彼女は素気無く返事をする。

 しかしわざとなのか無意識なのか、蛍明が贈った左手の薬指の指輪に触れたのは見逃さなかった。

 働いて、慎ましやかに暮らして、休みの日は遊びに行ったり家でのんびりしたり、たまには旅行に行って、お金がたまれば結婚して、家を買って。

 ふたりで額を寄せ合いながら話し合い、未来を語り合った。

 日花と出会い、もう何十回も同じ言葉を使ったような気がするが、今が人生の絶頂に違いない。おそらくこれからも何度もそう言いそうだ。


「……俺がもし宇宙飛行士になったら、宇宙一可愛いって言ったれんのに」

「もしかしたら蛍明好みの美人な宇宙人に出会うかもしれないよ」

「お前が宇宙一可愛いに決まっとるやろ!」

「信号、青だよ」


 頭に思い浮かんでいた美女宇宙人を掻き消して、車を発進させる。

 次の目的地までは十分ほどだった。


「着いたで」


 今日最後の買い物はベッドだ。

 陽はすでに傾いていて、助手席でうとうとし始めていた日花を起こし、手を引いて広い店内に入る。

 ここはベッドフレームや寝具も幅広く取り扱っている。それらを買い、新居に配送してもらえるように頼めば、買い物の大部分は終わりだ。

あとは夏休みが無事に取れるように仕事を終わらせ、引っ越しの準備を終わらせるだけだ。そのふたつは楽しくはない作業だ。


「ベッドの下に収納がついてるのもいいね」

「せやな。季節外れの服とかも入れれるな」


 きょろきょろと辺りを見渡していた日花が、ふらりと別の売り場へ行こうとする。その腕を掴んで引いた。


「こっちやで」

「こっちでしょ」


 そういって日花が指差したのは、シングルベッドの並ぶコーナーだ。

 対して蛍明が向かおうとしていたのは、ダブルベッドの並ぶコーナーで。

 視線を合わせて、目を瞬かせる。

 その時初めて、買い物リストに記した『ふたりのベッド』を、お互いが別々の意味でとらえていたのだと知った。

 日花が驚いた声をあげる。


「私、寝相が悪すぎるでしょ? だから別のベッドに寝た方がいい」

「いやいや、俺もうお前に殴られるのも蹴られるのも慣れたから。ダブルかクイーンがいい」


 日花はまさか反対されるなんて思わなかったという顔で眉を寄せた。


「私は柔らかいマットレスが好きで、蛍明は固いマットレスが好きで、身長や体重から見てもそれが体に合ってるって昨日一緒に調べたでしょ? だから別々に買うんだと思ってた」

「俺も柔らかくていい」

「駄目だよ。蛍明、もうアラサーなんだから、体に合うものを使わないとあっという間にがたが来るよ」

「まだ二六ですぅ!」

「来月二七ね」


 じりじりとにじり寄る。対して彼女は遠ざかっていく。


「私、シングルにして真ん中にナイトテーブルを置くつもりだった」

「そんなんビジネスホテルのツインルームやん!」

「そう。ツインに一緒に泊まった時は、お互い平和だったでしょ?」


 まるで幽霊でも見るかのような視線で日花を見る。ある意味幽霊より恐ろしい。幸せ絶頂の結婚秒読みカップルが、なぜビジホのツインにしなければならないのだ。

 店員を味方につけようと辺りを見渡したが、接客するタイミングを見計らって近付いていきていたはずの店員は、話が長くなりそうな気配を察したのか言い争いに巻き込まれたくなかったのかいつの間にか遠くにいる。

 加勢は諦めて、日花と対峙する。


「それなら、クイーンサイズのベッドフレームにセミシングルのマットレスふたつ並べればいい。そうすればそれぞれ好きなマットレスが買える」

「地面が続いていればどこまでも転がっていくのは知ってるでしょう? 今度こそ突き落とすよ」


 今朝、タオルケットを体に巻きつけようとして転がってきた彼女に、あやうく突き落とされかけたことを思い出して言葉に詰まる。

 それでも、これまで何度もお互いの家に泊まったが、離れて寝ようなんて言われたことはなかった。どうして突然そんなことを言い出したのか、ただ戸惑う。


「いちゃつきたい時はどないすんねん!」

「いちゃつきたいと思った人が相手のベッドに行けばいいでしょ」

「毎日いちゃつきたいから毎日お前のベッドに行くからベッドは一台でいい」

「馬鹿じゃないの」

「馬鹿って言うなアホ!」

「アホって言うな馬鹿!」


 その後も色んなベッドを試しながら言い争いは続いたが、結局話し合いは決裂だ。あとはベッドだけだったというのに、帰路につくことになった。


 ――そして冒頭に戻る。




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