第90話
屯所から礼庵の診療所へ向かう道-
一番隊に巡察があったが、総司は当然の如く、中條を休ませた。
巡察を見送る中條に、総司は「礼庵殿の診療所へ行って、1日ゆっくり休むように」と言いつけておいた。巡察後、総司は中條の様子をみるために、礼庵の診療所へ向かっていた。
総司「こんにちわ。」
たまたま玄関にいた賄いの婆が「おこしやす」と頭を下げ、礼庵を呼びに行った。
間もなく礼庵が出て来た。
礼庵「これは、総司殿。」
総司「中條君は?」
礼庵「え?今しがた帰られましたよ。お会いになりませんでしたか?」
総司「!?…いや…気づかなかった…」
礼庵が笑った。
礼庵「あの大きな中條さんに気づかないわけはないでしょうから、どこかへ行かれたのかもしれませんね。さぁ、どうぞお入りください。」
総司は一瞬遠慮しようとしたが、中條の具合を聞かねばならないと思い、はき物を脱いで上がった。
……
礼庵「中條さんの腕の怪我は大したことはありません。もうかなり治っていましたから、明日から巡察に出しても支障はないと思います。」
総司「そうですか…」
礼庵「それよりも心の傷でしょうね。」
総司は、ぎくりとして表情を堅くした。
礼庵「話をお聞きしました。かなり落ち込んでおられましたよ。あなたに見限られたと思っているようです。」
総司「!…見限るだなんて、そんな…」
礼庵「私もそんなことはないと言ったんですよ。でも…あの人には戻る家もないし、新選組のためだけに生きていますからね。それにあなたから叱られたとなれば、そう思うのも仕方がないかもしれません。」
総司「……」
礼庵「昨夜よく眠れなかったご様子だったから、少し横になっていきなさい…と言ったんですが、いつもの笑顔を見せて「大丈夫です」と言って、帰っていかれたんですよ。」
総司「そうでしたか…ご迷惑をおかけしました。」
礼庵「とんでもない…私にはこれくらいのことしかできませんから…」
二人は、しばらく黙っている。
総司「…どうもありがとう…屯所へ戻ります。中條君も戻っているかもしれないし…」
礼庵「そうですね。」
礼庵が、総司を玄関まで見送りながら言った。
礼庵「ああ、総司殿、ひとつだけ。」
総司「?」
礼庵「中條さんのあの性格は、なかなか変えられないと思いますよ。」
総司は苦笑してうなずいて、診療所を出た。
……
屯所に戻って大部屋を覗いてみたが、中條は戻っていなかった。
かしこまる隊士達に中條のことを聞いてみたが、誰も知らないと答える。
総司(どこへ行ったのだろう…?)
総司は再び屯所を出て、探すことにした。
……
総司は、川辺の方へ向かって歩いて行った。
総司(…やっぱりここにいたか…)
中條が川辺に腰をかけているのを見て、総司はほっとした。
…しかし、声をかけようかどうしようかとまどっていた。
中條は川に向かってぼんやりとした様子で座っている。
大きな背中を丸くして、うなだれている様子だった。
総司の脳裏に、礼庵の言葉がよみがえった。
『…あの人には戻る家もないし、新選組のためだけに生きていますからね。それにあなたから叱られたとなれば…』
総司(彼がよかれと思ってしたことをすべて否定してしまったからな。でも…ああ言わなければ…)
中條は繊細な神経の持ち主だが、それで自暴自棄になるような男ではないことは、総司が一番よくわかっているつもりである。
その夜、何が起こるかも知らずに、総司は中條に声をかけないまま屯所へ戻った。




