第89話
総司は、一人の新人隊士の相手をしていた。
容赦ない突きに、隊士はなんども転ぶ。しかしすぐに「立てっ!」と怒号が飛ぶ。
その隊士は何度も転んでは立たされ、壁にうちつけられ、最後にはぜいぜいと息をついたまま動かなくなった。
山野「すっかり元通りだね。」
見ていた山野が隣の中條に声をかけた。中條は「ええ」と答えた。その顔が少し青いのに山野は気づいた。
山野「中條さん?…どうしたんです?」
中條「!…いえ。なんでも…」
山野「顔色が悪いですよ。…どうしました?」
中條「いえ、なんでも…」
その時、伍長の怒号が飛んだ。
伍長「そこ!私語は慎め!」
山野と中條は、あわてて口をつぐみ頭を下げた。
総司「…中條君、久しぶりにやろうか。」
総司のことばに、中條がぎくりとした表情になった。
しかし、中條は返事をすると、道場の中央へ出た。
二人は決まった礼をすませると、竹刀を構えた。
総司(何かおかしいな…)
総司も何かを感じていた。いつもの中條の気合いが感じられない。
総司からしかけてみると、中條はいつもの調子でうち返してきた。力は相変わらず強い。…が、よく手元を見ると、竹刀をほぼ右手だけで持っているという感じである。左手は添えているだけだった。
総司は、意識してその左手の篭手を取った。中條は「あっ」と言って、竹刀を右手で握り締めたまま、その場にすくんでしまった。
総司は「これまで」と言った。
総司「中條君…あとで私の部屋へ来なさい。」
中條は、はっと総司の顔を見てから「はい」と答えた。
……
総司が、自室で不機嫌な様子で座っている。
やがて、ふすまの外から声がした。
中條「中條です。」
総司「…お入りなさい。」
中條はふすまをあけ、両手をつき頭を下げて入った。
総司「…左腕をみせてごらん。」
中條「!?」
中條はぎくりとした表情で、その場に固まった。
総司「御用改めの時に斬られたのですね。どうして、そのことを黙っていたのです?」
中條「……」
総司「治療は?」
中條「礼庵先生に…」
総司「じゃぁ、礼庵殿は知っているのですね。」
中條「!先生には、ちゃんと沖田先生にご報告するようにと言われたんです。…でも…」
中條は黙り込んだ。
総司「私に怒られるとでも思ったのかい?」
中條「違います!…もし怪我をしたことが先生に知れたら…しばらく巡察に出してもらえないと思って…」
総司の目がつりあがった。
中條「ご迷惑をおかけしたくなかったんです。少しでも隊のお役に立ちたいと思って…」
総司「何をばかなことを!」
総司が、中條に怒鳴るのは初めてであった。元々総司は稽古のとき以外に人を怒鳴るようなことはない。中條は驚いた表情で総司を見た。
総司「たとえ、力の強いあなたでも怪我をしていては、動きが鈍る…。そのために、他の隊士達に迷惑をかけたらどうします?…怪我をした人を巡察に出さないのは、その人を気遣って巡察に出さないのではない。皆の足手まといにならないために休ませるのです。中條君でも同じです。…あなたは、最近自分勝手な行動をとりすぎます。それが隊のためだと思っているようですが、それは大きな勘違いですよ。…そのことをわきまえてください。今後、あなたが勝手なことをした時には、それなりの罰を受けてもらいます。」
中條は下を向いたまま黙って聞き入っている。
総司「…わかりましたね。」
中條は、その場にひれ伏すように頭を下げた。そして「申し訳ありませんでした」と涙声で言った。
総司「わかってくださったのなら結構です。部屋へお戻りなさい。」
中條は、もう一度頭を下げて立ちあがり、部屋を出て行った。
総司は、正座をしたまましばらくその場にすくむようにして座っていた。膝の上で握り締めていた両手を開くと、びっしょりと汗をかいていた。
総司「…中條君、すまない…。…でも、こうまで言わないと、君はずっと自分を犠牲にし続けてしまうだろう?」
総司はそう呟き、大きくため息をついた。




