第74話
京の町中--
中條はさっき買ったばかりの干菓子の入った袋を持って、鼻歌混じりに歩いていた。
さえに会いにいくつもりである。
殺伐とした日日を送っている中條にとって、あの集落にいくことが唯一の楽しみとなっていた。
中條「(あの病気の赤ちゃんも様子を見に行こう…。)」
そう思ったとき、何かせき込むような声がしたような気がした。
聞きなれたその声…
中條「!…沖田先生!?」
中條はあわててあたりを見渡した。そして、今通り過ぎた路地まで戻り、その奥を除き込むと背を向けて座り込んでいる侍の姿を見た。
紛れもなく、総司であった。
中條「沖田先生!!」
中條があわてて駆け寄り、総司の背をさすった。総司の咳はなかなか治まらない。
総司はせき込みながら手を上げ、中條に「行け」と言うように振った。
中條「いやです!」
中條はそう言って、総司の背をさすり続ける。最近、総司は一度せき込むと、治まるまで時間がかかるようになっていた。
そして、このところ調子がいい時と悪い時の差が激しくなっている。
総司「…ありがとう…」
総司がやっと咳を収めて中條に向いた。
総司「もう行っていいですよ…。休みのときまで手を取らせるわけにはいかない…。」
中條「いえ…一緒に屯所まで戻ります。」
総司は、中條の手元を見た。
総司「…あの集落に行くんだね?」
中條「えっ!?…いえ…その…」
総司「いや、いい…。早く行ってやって欲しい。…きっと君を待っていますよ。」
中條「先生…もしかして先生も、行くおつもりだったのでは…?」
総司「そのつもりでしたが…こんな状態ではいけないな…。…後で、あの病気の赤ん坊の様子を教えてください。部屋に戻って待っていますから。」
中條「…先生…」
中條は躊躇した。このまま総司を独りで屯所に戻らせるわけにはいかなかった。
総司は、そんな中條の気持ちを知ったのか微笑んで言った。
総司「大丈夫ですよ。…一度咳込んだら、再び咳込むまでに時間がかかるから。」
そんなはずはないことを中條にもわかっている。が、屯所へ一緒に戻ることは許してもらえそうにはなかった。
中條「わかりました。…では、赤ん坊の様子を見てまいります。どうぞ、気をつけてお帰りになってください。」
総司は微笑んでうなずいた。中條は後ろ髪を引かれる思いで、踵を返し走り出した。
とにかく集落へ行き、赤ん坊の様子を見たらすぐに戻ってくることにしたのである。
集落につくと、すぐに赤ん坊の様子を見に行った。赤ん坊が元気なことを確認すると、そのまま足早に集落を去ろうとした。
すると、集落を出る井戸の傍で、洗濯を始めたばかりのさえの姿があった。
中條「さえ…!」
さえは、頬を染めて中條を見た。
さえ「…にいさま…」
中條「今から…洗濯かい?」
さえ「はい」
中條はさえの手を見て驚いた。ひどいあかぎれである。それなのにさえは、平気で赤子の汚れたおむつを洗っていた。
中條はいたたまれなくなって、さえの横に座り、洗物の桶を自分の前にすべらせた。
さえ「!?…」
中條「僕が洗ってあげるよ。得意なんだ。」
さえ「…でも…」
中條「いいんだ。横で見ておいで。」
さえは、頬を染めてうなずいた。しかし、後で親に怒られるといけないので、さえに洗い方を教える振りをしながら洗った。
やがて、中條とさえの周りに子ども達が集まってきた。そして中條の洗い方を見ながら、一緒になって洗濯をしはじめた。皆楽しそうにしている。中條は、総司のことも気になっていたが、すぐに立ち去ることもできずに、子供たちの洗濯を手伝った。
やがて皆の洗濯が終わった。さえが中條に丁寧に頭をさげた。
中條「他人行儀だね。また来るよ。」
中條はそう言って、さえの手を取った。
中條「…あかぎれに効く薬を、お医者様からもらってくるからね。・・それまで痛いだろうけど…」
中條は何か胸につまって、その後の言葉が出なかった。さえが不思議そうな顔をして見上げている。
中條「…そうだ・・これ・・忘れるところだった。」
中條は袂に入れていた干菓子をさえの手に乗せた。
中條「弟さんと食べて…」
さえは嬉しそうにうなずき、走り去って行った。
中條はしばらくその場を動けなかった。




