第56話
礼庵の診療所-
礼庵は思わず中條の方に身体を向けていた。
中條「本当は巡察の後に来るつもりだったのですが…急に門番を言いつけられて、こんな時間に…」
礼庵「…総司殿が…どうしました?」
中條は、ふと礼庵から目をそらして答えた。
中條「僕の勘違いだといいのですが…。沖田先生の顔色がよくないような気がするのです。」
礼庵の予感が当たった。
礼庵「…また、咳が出始めたのですか?」
中條「いえ…咳をしているお姿は見ていませんが…なんとなく…。」
礼庵「…!」
礼庵は、総司が前に「薬を飲んでいない」と言っていたことを思い出した。
しかし、困ったものである。
礼庵は土方に嫌われている。そのため、自分から屯所へ行くことはできないし、かといって、診療所まで来い…というわけにもいかない。
礼庵「中條さん、それとなく総司殿にちゃんと薬を飲んでいるかどうか、聞いてもらえませんか?」
中條「えっ!?」
中條は縁側で飛び上がらんばかりに驚いた。
中條「ぼ、僕にはそんなこと聞けません!」
礼庵「え?どうしてです?」
中條「聞けないから、礼庵先生のところへ来たんじゃないですかー」
中條は今にも泣き出しそうである。
礼庵は苦笑した。
礼庵「困りましたね。…私も、総司殿に説教できる立場ではないから…」
その時、突然寝ていると思っていたシロが小屋から出てきた。そして、塀の方へと鼻を向けて臭いをかぐような様子を見せている。
礼庵「シロ?どうしたの?」
中條は、立ち上がろうとした礼庵を手で制した。
中條「…塀の外に誰か立っています。先生は中へ…」
中條はそう言うと、礼庵を背に隠すようにして縁側から立ち上がった。
そして塀の方へ近づいて行こうとした時、礼庵がふとシロを見ると、シロは塀に両足をかけて尻尾を振っていた。
礼庵はそのシロの様子に、塀の外の人物が誰かわかった。
礼庵「中條さん、大丈夫ですよ。」
中條は「は?」と言って、振り返った。
塀の外ではくすくすと笑っている声がしている。
……
さすがに、総司は中條と違い、塀を乗り越えてくるなんてことはしなかった。
実は、塀の奥に木戸がついているのである。そこを礼庵にあけてもらい、にこにことして入ってきた。
中條の顔色は青くなっていた。
こんな時間に屯所から出て外にいることは、完全な隊規違反である。
総司はシロの縄を放って抱き、頭を撫でながら、縁側で固まっている中條の傍に座った。
総司「中條君がいるとは思いませんでした。常連さんですか?」
総司が冗談交じりにそう言ったが、中條はいっそうかちかちになって答えた。
中條「いえ!…じょ、常連だなんて…そんな…」
総司「帰る時は私と一緒の方がいいですよ。見つかったら、腹を切らされてしまいます。」
総司はシロを撫でながら、そう微笑んで言った。
中條「はっはい。」
中條の顔色に少し朱が混じった。礼庵はそんな二人の姿にくすっと笑った。
総司「礼庵殿、具合はいかがです?」
総司が礼庵にそう尋ねると、ふと礼庵の顔がひきしまった。
礼庵「私のことより、総司殿。…最近、顔色がお悪いようですが、薬はちゃんと飲んでらっしゃいますか?」
総司の手がふと止まった。中條がぎくりとして礼庵を見た。
礼庵「…中條さんは、あなたのことを心配して、ここへ来られているんです。」
総司が驚いた表情で中條を見た。
中條の顔が再び青くなった。
中條「すっすいません。」
思わず謝っている。
総司が微笑んで首を振った。
総司「…すっかり、ばれてしまってるんだなぁ…。」
総司は、再びシロの頭を撫でながら呟いた。
礼庵「まだ、お医者様からいただいたお薬は残っていますか?」
総司「ありますよ。山ほど。」
礼庵「山ほど…ですか…」
礼庵はあきれたように苦笑した。
礼庵「ちゃんと毎日飲んでいないと、治るものも治らないじゃありませんか。あなた一人の身体ではないのです。どうかご自愛を。」
総司「…あなたも…」
総司はそう言って、礼庵に振り返った。
礼庵はどきりとして、その総司の顔を見た。
総司「…あなたにも、同じ言葉を返しますよ。」
礼庵と総司は厳しい表情でしばらく見つめ合っていた。中條は二人の様子を息を呑んで見ている。
やがて二人は同時にぶっと吹き出した。そして笑い出した。
中條は何か拍子抜けして、目を丸くして二人を見比べた。
礼庵は笑いを収めてから言った。
礼庵「怪我人と病人がお互いを気遣ったって、どちらも自分を大事にしなければどうしようもない。」
総司「そういうことです。」
二人はそう言って、再び笑った。
中條は何か、二人の間にある不思議な絆を感じて、ふと微笑んだ。




