第48話
川辺から可憐の家への道-
礼庵は、屯所に戻る総司と島田と別れ、その足で可憐の家に向かった。
礼庵(可憐殿はどうされているだろう?自分がどういう立場に置かれているか、わかっておられるのだろうか?)
それが心配だった。黙っていては、総司に会おうとするだろう。しかし、総司が疑われていることを知ったら…?それでも総司に会おうとするかもしれない。
礼庵(とにかく、家から出ないように言ったほうがいいな。)
可憐の家の前についた礼庵は、ふと何かの視線を感じ振り返った。だが、姿が見えない。
礼庵(…監察か…山崎さんかな?)
礼庵は見えない山崎に微笑んで見せ、門を入った。
「…礼庵先生!」
可憐が、門を入ってきた礼庵を見て驚いていた。出かけるところだったようである。
礼庵「外へ行かれるのですか?」
礼庵が少し眉間にしわを寄せてたずねた。
可憐は、ふと家に振り返り、礼庵の腕を取って門の外へと連れ出した。
そして、家のものが出てこないのを確かめると、
可憐「…総司様にお詫びを…」
と礼庵に言った。
礼庵「それはいけない!」
礼庵は、思わず声を荒げた。
礼庵「あなた自身も狙われているのですよ。あなたに何かあったら、よけいに総司殿に迷惑をかける。」
可憐「…先生…」
可憐の目から涙が溢れて、頬に流れ落ちた。
可憐「総司様に会いたいんです…」
可憐がそう言って、礼庵の胸にしがみついた。
礼庵「可憐殿…」
可憐「どうしても…どうしても総司様にあやまりたいのです!」
礼庵は泣く可憐を抱きしめた。そして大きく息をつくとうなずいた。
礼庵「わかりました。行きましょう。総司殿のところへ…」
可憐、驚いて濡れた顔を上げる。
礼庵「あなたの涙にはかないません。」
礼庵は、そう言って微笑み、可憐を見下ろした。
可憐「先生…ありがとうございます。」
礼庵は、可憐の涙を指でそっと払った。
……
礼庵と可憐は、肩を並べて歩いていた。
礼庵「何があっても私から離れないで。いいですね。」
礼庵が、横を歩いている可憐に言った。可憐がうなずいた。
屯所に向かう道の途中に、長い土塀に挟まれた狭い道がある。そこを差し掛かったとき、前の角から浪人風の男が一人あらわれた。礼庵は思わず可憐の手を握った。
礼庵「手を離さないで…」
可憐が、しっかりと礼庵の手を握り返してきた。
浪人風の男は、二人の前でおもむろに刀を抜いた。
浪人「おぬしは礼庵という医者だな。」
礼庵「そうです。」
浪人「その娘を置いて立ち去れ。そうすれば命は助けてやる。」
可憐が息をのんだ。礼庵は可憐を背中に隠した。
礼庵「いやです。」
浪人が笑った。
浪人「他の男の女のために、命を粗末にするとはおろかな奴だ。素直に言う事を聞け!」
浪人は礼庵に向けて刀の先を向けた。礼庵は振り向き可憐の体を抱いて、反対方向に逃げようとした。すると、そちらからも一人の浪人が立ちはだかった。
礼庵「!?」
可憐「先生!」
可憐がその浪人に袖をつかまれた。二人は一瞬体が離れたが、手はつないだまま離さない。その時、礼庵の後ろにいた浪人が礼庵の脇腹に刀をつきたてた。
可憐「きゃあっっ!」
可憐が思わず声を上げた。礼庵はぐっとこらえて、それでもひるまず可憐の手を引き寄せると、可憐の体を抱きしめ、しゃがみこんだ。
浪人は突き立てていた刀を抜いた。礼庵の脇腹から血が吹き出した。礼庵の体が一瞬のけぞった。
可憐「先生…!」
可憐は、それでも自分の体を離さない礼庵の胸の中で震えていた。
礼庵「離れてはだめ…大丈夫。」
礼庵が痛みをこらえながら言った。
「早くその医者のとどめをささんか!」
「その前に、娘を引き剥がせ!」
浪人がそう言い合っている間に、山崎が角からとびこんできた。
山崎「可憐殿!」
山崎は、その声に驚いて振り返った一人の浪人を頭から叩き斬った。
山崎「!?…先生!」
山崎が、血を流している礼庵に気づいた時、もう一人の浪人が反対側に逃げようとした。その前に隊服を着た中條が角から飛び出してきて、刀を抜いて立ちはだかった。中條は振り下ろされる浪人の刀を跳ね飛ばし、袈裟懸けに浪人の体を斬り落とした。
中條「可憐様の悲鳴が…!…!?礼庵先生!」
中條も礼庵に気づき、山崎に抱えられている礼庵に駆け寄った。
可憐「…私のせいなんです…私のせいで…」
可憐が両手で顔を伏せ、泣きながら言った。
山崎「…お二人が出ていかれたのは見たのだが…その後に可憐殿の父親が出てきたから、いっしょに見張っていた者に指示している間に、二人を見失ってしまって…。もう少し早く来ていたら…こうは…」
山崎が礼庵を介抱しながら言った。
礼庵「…可憐殿を早く家へ…」
礼庵が言った。
礼庵「私はいいから早く…連中がこれであきらめるとは…」
礼庵がそこまで言って顔をしかめた。
可憐「先生!」
可憐が礼庵の手を握った。礼庵が可憐に微笑んだ。
礼庵「…大丈夫…死にやしない。…総司殿に会わせられなくて申し訳ない。」
可憐が泣きながら首を振った。中條がやりきれなくなり、山崎に言った。
中條「山崎さん、可憐殿をお願いします。私は先生を医者へ連れていきますから。」
山崎が中條にうなずいた。
……
中條は礼庵を背中に担いで走った。礼庵の出血がひどい。
礼庵「…私の家へ…」
礼庵が中條の背中でつぶやいた。
中條「しかし…!?」
礼庵「知り合いの医者を婆が呼んでくれるから…。お願い。家へ戻って…」
礼庵の息はとぎれとぎれだった。
中條「…はい…」
礼庵「……」
中條「先生…しっかりしてください。」
礼庵「…ん…」
中條は泣き出しそうになるのを押さえた。礼庵の腕の力が少しずつ抜けていくのがわかった。礼庵がつぶやくように中條に言った。
礼庵「…隊服を汚してしまって…申し訳ない…」
中條「何を言っているんです!そんなことを気にしている場合ではないでしょう!」
礼庵「……」
礼庵の返事がない。礼庵の腕にはもう力がなかった。中條は思わず立ち止った。
中條「…先生?…先生!」
礼庵「……」
やはり返事がなかった。中條はかすかだが、自分の背中で礼庵の心臓が鼓動しているのを確認した。
中條(…急がなければ…!)
中條は再び走り出した。




