[65] 紋章と領域の魔術師
謁見の間から、場所を移した一行。
スカイとシルバースノーの間が、険悪なようです。
暗い部屋の中で、シルバースノーの金色の瞳がジッとスカイの背中を見つめていた。スカイの自室に戻った後、直ぐにもっと上の階まで上っていた。ここは、城の正面から見れば、東の外れに当たる。
昔、スカイの母が生きていた頃、身体の弱った母が流行り病かもしれないと疑いを掛けられ、療養に使っていた部屋の奥にある、リネン室だった。ここが、一番城の中心から離れている場所だった。
もう何年もの間使われていない部屋は、布の古くなったすえたような匂いだけが残っていた。
「なぜ? そんなに怒る事かしら。闇の妖精に取り込まれようとしてたティルズを助ける事が、いけないことなの? そんなのおかしいわ」
スカイは振り返ると、シルバースノーを睨んで、その腕をキツクつかんだ。
「いけないかだって。いけないさ。お前は……いや、シルバースノー、君はソラルディアの王となる私の婚約者であり、妻になる身。危険な事はしないで欲しい。わきまえろと言っているんだ」
シルバースノーが、溜め息をついた。
「スカイ……私はその辺のお姫様じゃないのよ。神々の竜、あなたにだって負けない程の魔力と、力を持っている。私に危険など有りはしないわ。馬鹿にしないでっ」
「馬鹿に等していないっ私はっ」
スカイとシルバースノーの間に、ローショが割って入った。
「スカイ様、シルバー様、落ち着いてください。今はお二人が争われている場合ではございません」
ムッとした表情でスカイがローショを見た。
「ローショ、私はティルズを助けた事を怒っているのではないぞ。もっと慎重に事を運ばなければ……っウィンガーッ近付くんじゃない!!」
スカイの叫び声に、女王へと手を伸ばしかけていたウィンガーの肩がビクッと大きく揺れた。
「ウィンガー、母上の中には闇の妖精が入り込んでいる。近付くのは危険だ。気持ちは分かるが離れていろ」
ウィンガーの瞳が、迷っているように揺れ動いている。危険なのは承知していた。でも、今の母の状態は、生きているのかさえ分からないほど動く気配がない。もう死んでしまったのではないかと不安になってしまう。
シルバースノーは、ウィンガーの傍らに跪き、そっと肩を抱いた。
「ウィンガー、母上の中の闇の妖精は、私のドラゴンブレスで眠らせてあるのよ。母上は生きている。大丈夫だから」
「でも……なぜ、母上の中に閉じ込めるの? 早く出してくれれば良いのに。そうすれば、母上は元に戻れるのに……」
「そうね……」
スカイが、ウィンガーの前にかがみこんだ。
「ウィンガー、母上はどのくらいの間、闇の妖精に取り込まれているか分からない。状態によれば、危険なのだ。闇の妖精に深く取り込まれた人間を治すには、癒し手だけでは無理だ。心の癒し手が必要なんだよ」
ウィンガーの瞳が大きく開かれる。
「では、兄上っ今直ぐに、心の癒し手リクの所に戻りましょう」
スカイは、首を振った。
「ダメだ。空の紋章を守らねばならない。それが、使命だ。それに、リクでさえ治すことが可能かどうかは分からない」
そう言ったスカイは、立ち上がって背を向けた。弟を見ていると、甘い言葉を掛けてしまいそうだった。闇の妖精に取り込まれていた期間はかなりのものだろう。既にウィンガーの母親は身も心も失ってしまっている可能性のほうが大きい。
それまで黙っていたティルズが、ローショの横まで来てそっと翼に触れた。
「お前が生まれた時の驚きは忘れられない。背中の金のウロコは、空を飛ぶ竜そのものだった。私は恐れた……何かの災いの元かと……しかし、お前の母は信じた。いつか、お前は何かを成し遂げる子だと……」
ローショは、父に頭を下げた。
「申し訳ありません。この様な姿で……しかし、母上が信じてくださった通り、私は使命を真っ当いたします」
「ああ、先程から話を聞いていると、スカイ様とお前は、かなり不思議な同志と共に旅をしているらしいな。心の癒し手リク? 心の癒し手ならば、大地の魔術師ではないか……はるか昔から、しばらくの間、大地の魔術師は現れていないと聞いているが……」
ティルズは、ウィンガーの傍に寄った。
「ウィンガー皇子。あなた様は、空の城の王となるお方。母上よりも、もしかすると父上よりも、空の紋章を守らねばならぬのが、あなたの使命」
ティルズの瞳は、決して厳しくなく、優しい光を宿している。
「大地の魔術師同様、空の魔術師もおらぬ今、それぞれの城の王が、その身を投げ打ってでも守らねばならぬのです」
その場の皆が、首を傾げた。スカイが、ティルズに詰め寄った。
「領域の魔術師と紋章は繋がりがあるのか?」
ティルズは、ゆっくりと頷いた。
「領域の魔術師のみが、本来の紋章の姿を現すことができるのです。この事は、領域の王のみが受け継ぐ秘め事。私のような王に仕える者の中で、たった一人それを打ち明けられる……この様な事が起きなければ、私も墓場まで持っていったものを……」
ティルズは、まるで秘密を明かした自分を恥じるかのように、目を伏せた。スカイは、考え込むようにしながら天井を向いた。ウィンガーは、兄とティルズを代わる代わる見つめていたが、ティルズの固く結んだままの口元に目を止めた。
ティルズに近付き、ローブの袖を引っ張るようにしているウィンガーの手は震えていた。
「ティルズ……ごめんなさい。私がききわけがなかったから……ティルズを困らせてしまった……」
「皇子、気になさるな……これは全て……ティルズの不甲斐なさから起きた事。もっと、城の情勢に気を配っていたなら……女王様もこのような……」
ティルズとウィンガーを見つめながら、ローショがスカイのもとに寄った。
「スカイ様、先程から気なる事がございます」
「なんだ……」
「城の警備の状態もかなり手薄ですし、女王がいなくなって時間もたっていると言うのに、他の闇の妖精が動く気配がありません。私の耳も、シルバー様同様、人の数倍はよく聞こえるのです。騒ぎが起こっている様子は、全くありません」
スカイの眉が、ピクッと上がった。古いシーツやベットカバーなどのリネンの上に寝ている女王を、スカイはジッと観察した。
やはり、女王は全く動く気配はない。
「ローショ、気を緩めないでおこう。お前と私だけでも……」
「はい……」
スカイは、ティルズとウィンガーを立ち上がらせ、そこで待つように言うと、扉の前に移動した。
「私は、一人で最上階の紋章の間まで上がる。ローショとスノーは三人を抱えて外から上がってきてくれ。私が、紋章の間の扉を父上に開けて頂く。その後、お前達は窓から入ってくればいい」
ローショが、スカイに走りよって腕を掴んだ。
「なりませんっ! お一人でなど、私が参ります」
スカイはローショの目をジッと見つめ返した。
「スノーが4人を運ぶのか? 竜の姿に戻って? それでは目立ちすぎる」
「それでも、スカイ様お一人を、おとりにするわけには参りません」
ローショは一歩も引く様子はなく、スカイの腕を強く握っていた。
「スノー様には、黒竜になって頂きます。失礼は承知の上です」
ローショは、スカイの腕をつかんだまま、シルバースノーに向き直った。
「ローショ、失礼などではないわ。私、この城の裏手に潜入するときは、青竜だったのよ」
ローショは、小さく頷いた。
「スカイ様……おとりになるなら、私のほうが適任でしょう。今の私なら、腕力はスカイ様を遥かに上回ります。魔力にしても、スカイ様に近いほど持っておりますっ」
スカイが、ローショに握られていない方の手をあげて、ローショの言葉を制した。
「はァ……剣の腕前はお前の方が遥かに上だ。分かった……降参だ。共に行こう」
「そんなつもりでは……申し訳ありません……」
ローショは、スカイの前に跪いた。
「私のほうが勝っているなどと思っているのではっ……しかし、この役目は私のほうが適任でっ……」
ローショは、言葉を途中で切った。スカイとローショは、互いに少しの間見詰め合っていた。
「もういい、分かっている、長い付き合いだ。さァ、行こう、ローショ」
ローショは、深く頭を下げ立ち上がった。
「スノーッ、私達が最上階に近付いたら、三人を連れて上がって来い。闇の妖精には注意を怠るなっ」
シルバースノーはキュッと唇を結ぶと大きく頷いた。
スカイは、足早にシルバースノーに近寄ると、耳元に口を寄せた。
「愛しているよ……」
スカイの囁きに、なぜか眉をひそめ、シルバースノーはスカイを睨みつけた。
その後直ぐに、スカイはローショと共に扉を開け、謁見の間のある城の中心部へと続く廊下に走り出た。シルバースノーは、黒竜になってウィンガーとティルズ、それに女王を運んでくれることだろう、とスカイは思った。自分の頼みを、素直に聞き入れてくれるといいが……と少しだけ心配しながら。
部屋を出たそこには、人っ子一人おらず、何も邪魔する者はいない。それは謁見の間に近付いても変わらず、二人を阻む者はいなかった。
スカイが、呟いた。
「やはりな……」
ローショが怪訝な表情を浮かべた。
「どういうことでしょ……」
「こう言うことだ……」
スカイはそれ以上何も言わなかった。
謁見の間を過ぎると、城の使用人たちが、何かから逃れるように一塊になって倒れていた。スカイは、そっと使用人たちに近付く。わずかな呼吸音が聞こえてくる。
「死んではいない」
「ですが、かなり弱っています。気を吸い取られたようです」
「……」
スカイは悲しげに首を振った。
「私達には、全てを癒してやる事はできない。闇の妖精の仕業だ。リクがこの場にいてくれたら……」
ローショも辛そうな表情を浮かべる。
「しかし、今は……スカイ様、今は何もできません……」
「いやっ身体も衰弱している、そうだ身体だけでも癒してやろう」
ローショは、スカイの肩に手を置き、首を振ってその案を否定した。
「それは、無理です。この人数を癒している時間はないのではありませんか? 急がなければ、シルバー様の背に乗っている闇の妖精が、私達が思っている以上の事をしでかしてしまうかもしれない」
スカイが、クッと言って唇を噛んだ。
「私は、この城の皇子でありながら、この者達に何もしてやれないのか……」
ローショは、既に謁見の間の奥にある階段へと歩を進めていた。
「スカイ様、参りましょう」
「ああ、それにしてもローショ、お前は私の考えが読めるようだな?」
ローショは、大きく首を振る。
「いいえ、先程も申しましたが、私の聴力はシルバー様と同じ竜のもの、スカイ様がシルバー様におっしゃった事は聞こえておりました」
「あァ、そうだった……では、話が早いな」
スカイは、今一度使用人たちに視線を戻し、その場を離れがたい様子を見せたが、意を決して歩き出した。シルバースノーには、女王が何かをしようとするだろうが、危険が大きすぎない限り、放っておけと言ってきた。自分の頼みを、シルバースノーが素直に聞いてくれる事を願うスカイだった。
二人は、城の最上階へと続く階段を前方に神経を集中させながら走りあがった。上に昇って行くにしたがって、カツンカツンという人が階段を上り下りする、複数の音が重なり合って、聞こえてき始めた。
スカイが眉をひそめた。
「この音からすると、かなりの人数がいるな……」
「敵はいないと踏んでいたのですが」
スカイも頷いた。
「ああ、私も敵は女王の中にいる闇の妖精一体のみと思っていた」
「しかし、闇の妖精は分裂する事ができます。体力は消耗しますが、奴はその方法を取ったのかもしれません……」
スカイは、苦い表情になった。
「私の判断が間違っていたと言う事かッ紋章の間に正面から入るには、かなり時間がかかりそうだな。一旦、外に出て、スノーと合流して窓から侵入するかっだな……」
ローショが一瞬考えてから、スカイよりも前に出た。
「いえ、一度私が見て参ります。突破できるほどの人数なら、そのまま突っ切りましょう」
「そうだな、だが、私も一緒に行こう。お前が報告に戻る、手間が省ける」
ローショは、スカイから目を逸らし、苦笑いをした。
「スカイ様が、私の言う事を聞いてくださったのは、3歳までなのを忘れていました」
二人は、静かに階段を昇りはじめた。
スカイの判断は間違っていたのでしょうか?
そうなれば、シルバースノーたちに危険は及ばないのか……紋章の間に入ることが出来るのでしょうか?




