第7回桜庭メルの心霊スポット探訪:ジメ子さん 中編
「赤い光……」
『赤い光?』『そんなのある?』
「あ、これメルにしか見えてないやつです」
『なにそれ怖い』『お前がもうホラーじゃん』
その赤い光はメルの左目、桜の瞳でのみ見えたものだ。
桜の瞳に映る赤色の光は怪異の光。つまり雨の向こうにいるのは、これまで遭遇したような幽霊ではなく怪異ということだ。
(サクラさんサクラさん)
(なぁに、メルちゃん)
(そもそも怪異って何なんですか?幽霊とは違うんですか?)
(ええ。幽霊は死んだ生物の魂が死後もこの世界に留まったもの、つまり生物の延長線上の存在よ。でも怪異はそうじゃない)
(というと?)
(怪異というのは例えば、死んだ生物が別個の存在として生まれ変わったものや、人間の怖れが生んだもの、それから自然の中から自然に発生したものとか。とにかく普通の生物とは明確に異なる由来を持つ存在を怪異と呼ぶの)
(う~ん……分かったような分からないような)
(まあ実を言うと、幽霊と怪異をはっきり区別する必要は無いわ。そもそも幽霊も怪異も多様過ぎて一纏めにはできないもの。桜の瞳で見える色が違うだけと割り切っても問題ないと思うわ)
(そうなんですか?ならそうします)
考えなくてもいいことは考えない。それがメルの主義だった。
「とりあえず、向こうに何かいるみたいなので行ってみますね」
メルは視聴者にそう言ってから、赤い光の方へと歩いていく。
近付いてみると、赤い光に包まれていたのは人型の何かだった。
一瞬また幽霊かと思ったメルだが、幽霊ではないことはメル自身の左目が証明している。
「幽霊、じゃなさそうだし……人間?でも、右腕が……?」
人型の怪異は、普通の人間と比較して右腕が異常だった。シルエットがやけに刺々しい。
メルが更に怪異に近付くと、その具体的な容姿が見えてくる。
怪異は黒い髪を腰の辺りまで伸ばした、メルより少し年下の少女のように見えた。メルに背中を向けているので、顔はまだ分からない。白一色の制服のような服を身に纏っており、メルはお嬢様学校の生徒のような印象を受けた。
そして刺々しいシルエットの右腕は、やはり人間のそれとは大きく異なる外見をしていた。怪異の右腕は鎧のような黒い甲殻に覆われ、その各所が鋭利に尖っている。
「おお……右腕カッコいい……」
『カッコいいか?』『カッコ良くは無いだろ』『カッコいいかも……?』
見方によっては特撮ヒーローのスーツの一部のように見えなくもない怪異の右腕は、メルの心の琴線に触れた。
そしてメルが思わず漏らした声に反応したのか、怪異がゆっくりとメルの方へと振り返る。
怪異はあどけなさが残る可愛らしい顔立ちをしていたが、右目とその周辺だけが人間とは大きく異なっていた。
右目の周囲は「黒く焼け爛れた」ような質感で、紫色の瞳からは炎のように揺らめく光が立ち昇っている。
「は、初めまして、桜庭メルです」
怪異と目が合ったメルは、何を言うべきか分からずにとりあえず自己紹介をした。
「……あなたは、私も殺すの?」
「は、はい?」
「あなたが殺してきた何人もの幽霊と同じように、私のことも殺すの?」
「ど、どうしてそのことを……」
これまでに何人もの幽霊を葬ってきたことを言い当てられ、僅かに動揺を見せるメル。しかし「怪異だからそういうこともあるのか」と勝手に納得することで、すぐに平静を取り戻した。
「メルは何もされなければ殺したりはしませんけど」
「……信じられない」
「え?」
「殺される前に……殺す!!」
怪異は突然異形の右手を振りかざし、メルに殴りかかってきた。
「ちょちょちょっ!?」
メルは泡を食って上体を逸らし、辛うじて右腕を回避する。ブォンッ!!と風切り音を立てた右腕は、まともに受ければただでは済まない威力だ。
「何ですかいきなり!?殺しますよ!」
「やっぱり……!」
怪異が放つ右ストレートを、メルは包丁の腹で受け止める。
「くぅっ!?」
しかし防御して尚怪異の拳の威力は凄まじく、メルの華奢な体は大きく後方へと吹き飛ばされた。
10mほど宙を舞ったメルは、空中で体勢を整えて何とか両足で着地する。
「あの右腕、食らったら多分普通に死にますね……気を付けないと」
包丁を通じて感じた怪異の腕力に、メルの頬を冷や汗が伝う。
怪異の拳は受け止めた包丁が壊れていてもおかしくないほどの威力だったが、幸いにして包丁は無事だった。
「死ねぇっ!!」
怪異が絶叫しながら右腕をメルに向ける。
すると怪異の掌から、黒いビームが放たれた。
「何それ!?」
メルは怪異が掌を向けた時点で警戒していたため、辛うじて回避行動を取ることができた。
黒いビームはメルの毛先を僅かに掠めたが、逆に言えばメルが負ったダメージはそのごく僅かなものだった。
「あっぶなぁ……!」
メルの心臓がバクバクと早鐘を打つ。
怪異が放ったビームの速度は言うまでもなく光速。メルが事前に怪異の手の動きを注視していなければ、きっとメルはビームに反応すらできなかった。
深呼吸をして心臓を落ち着かせようと試みるメルに対し、怪異は再び右手を向ける。
「ちょ待っ」
メルが反射的に口にした制止の言葉を言い終えるより前に、怪異が再びビームを放った。
「あぶないってぇ!」
タネが割れた2回目は、初撃よりも幾分か余裕を持って動くことができた。
しかしその幾分の余裕も、光速のビームが相手では誤差同然。結局は紙一重の回避になってしまう。
「死ね!死ね!死ね!死ねぇぇっ!!」
「ちょ、やめて、やっ、あっ、やめろぉ!?」
次々と放たれるビームに、メルは絶叫しながらぴょんぴょんと跳ね回る。
『なんで避けれるんだよ』
「メルはドッジボールが得意なのでっ、きゃあっ!?」
曲芸めいた動きで怪異の攻撃を躱し続けるメルだが、それは決していつまでも続けられるようなことではない。
メルは現在、怪異の右手の動きを注意深く観察してビームの軌道を予測し、ビームが放たれる直前に軌道を外れることで光速の攻撃を回避している。
逆に言えばビームが放たれてしまった後では、メルは避けることができない。光速なのだから当然だ。
つまりメルの回避行動が一瞬でも遅れれば、その瞬間メルはたちまちビームの餌食になってしまう。1度でもしくじれば即座に死が待ち受ける、命がけの綱渡りだ。
そしてその綱渡りを成功させ続けたとしても、メルの体力にも限界がある。今はまだ余裕があるが、怪異のビーム攻撃が止まない限り、メルはジリ貧だった。
「はぁ、はぁ……」
しかしそんなメルに好機が訪れる。
怪異が息を荒げながら右腕を下ろし、メルへのビームが途切れたのだ。
先に持久力が切れたのは、メルではなく怪異の方だった。
「今度はメルの番っ!」
メルは雨に濡れた地面を蹴り、目にも留まらぬ速さで怪異との距離を詰める。
懐に潜り込んだメルに怪異が反応するよりも先に、メルは怪異の右肩目掛けて包丁を振り抜いた。
包丁の刃は怪異の右肩を深く切り裂き、大量の血液が噴出した。
「ぎゃあああっ!!」
悲鳴を上げて肩を押さえる怪異。骨まで断ち切られるほど深い傷によって(怪異に人間と同じく骨があるのかは不明だが)、異形の右腕は千切れかかっている。
これでもう右腕は使い物にならない。メルはそう確信した。
しかし。
「えっ……」
傷口からボコボコと黒い泡が湧出したかと思うと、あっという間に傷口が元通りに塞がってしまった。
怪異は怒りに満ちた表情で、治ったばかりの右腕を振り上げる。
「それはズルでしょ!?」
理不尽としか思えないような怪異の回復能力に悲鳴を上げつつ、メルはその場から離脱する。
一瞬遅れて振り下ろされた異形の右腕は、地面のアスファルトを容易く粉砕した。
ゾッとするような威力だが、大振りの攻撃だったために空振りの後の隙が大きい。そしてその隙を見逃すメルではない。
「てやっ!」
メルは怪異の背後に回ってジャンプし、錐揉み回転しながら怪異の右肩を3度斬り付ける。
包丁の刃を3度受けたことで怪異の右腕は肩から完全に切り離され、放物線を描いて少し離れた地面に落ちた。
「ああああああっ!!」
怪異は腕を失った肩を押さえて絶叫する。
地面に落ちた腕はすぐに灰のようになって消滅し、同時に肩の傷口からはボコボコと泡が噴き出して、少しずつ新たな右腕が生え始めていた。
「これでも治るの!?」
重症がたちまち完治するほどの回復能力を持つ怪異と言えど、腕を完全に斬り落とせば再生することは無いだろう、というメルの見立てだったのだが、当てが外れてしまった。
しかし完全に無意味ということもなく、右腕の再生には明らかに時間がかかっている。右腕の破壊力とビームを一時的に無力化できたことは大きな成果と言える。
「くうぅっ……!!」
怪異は右肩を押さえながらゆっくりと立ち上がり、憎々しげにメルを睨み付ける。
そのまま怒りに任せてメルへと襲い掛かってくる……かと思いきや。
「ううっ……う、あああっ!」
突如、怪異が頭を押さえて苦しみ始めた。
「なっ、何……?」
メルは怪異の頭には攻撃していない。怪異が苦しむ原因が分からず、メルは一旦様子を窺う。
「う……うぅっ……」
ぶるぶると体を震わせながら、覚束ない足取りでよろめく怪異。
すると、怪異の体に変化が起こった。と言っても、その変化を知覚できたのはメルだけだ。
怪異が怪異であることを示す、メルの「桜の瞳」でのみ見ることができる赤い光。その光の中に、少しずつ青色の光が混ざり始めたのだ。
「青……?」
メルは首を傾げる。
サクラから聞いた話では、「桜の瞳」で見える青色の光は、それが幽霊であることを示す光だ。怪異の周囲には見えるはずがない。
(サクラさん、どういうことですか?)
(もしかしたら、あの怪異には幽霊が憑りついているのかもしれないわ)
(憑りつく?)
(ええ。幽霊の中には、何らかの目的があって人間に憑依するものがいるわ。憑りついた人間を呪って苦しめる背後霊や、憑りついた人間を他の幽霊から守る背後霊みたいにね)
(サクラさんみたいな感じでですか?)
(そう思ってくれていいわ。そして幽霊に憑りつかれた人間を桜の瞳で見ると、幽霊と同じように青色の光が見えるの。だから幽霊が怪異に憑りついた場合は、あんな風に赤と青が入り混じったように見えるんじゃないかしら)
(でもそれだったら、最初から赤と青の光が見えてるんじゃないんですか?メル、さっきまでは赤い光しか見えなかったんですけど)
(……怪異の力の方が強いから幽霊の光が塗り潰されていたのか、それとも幽霊が自分の存在を隠していたのかしら。正直、私にもよく分からないわ。怪異に憑りついた幽霊なんて初めて見るもの)
メルとサクラが脳内で会話をしている間にも、怪異の周囲の青い光は徐々に大きくなっていく。
そして赤と青の光の量がほぼ等しくなったところで、怪異の体から青い光が切り離された。
そうして現れたのは、青い光に包まれたスーツ姿の若い女性の幽霊。
「ひいいいっ!」
女性の幽霊はメルに背中を向け、一目散にどこかへと走り去っていく。
「あ、あれ?私は……」
残された怪異の方はというと、何やら夢から覚めたような少し惚けた表情を浮かべていた。
「……え、どういう状況?」
『知らねぇよ』『俺らの方が知りてぇよ』
メルと視聴者は当然の如く困惑した。




