桜庭メルの心霊スポット探訪番外編:不朽の桜 後編
不思議な空間から元居た場所へと戻ってきたメル。
視線を落とすと、サクラと話している間は沈黙していたスマホがいつの間にか復活している。
コメント欄にある最新のコメントは、メルが穴に落ちる直前に見たのと同じものだ。サクラが最後に早口で言っていた通り、外の世界では時間がほとんど流れていなかった。
「カロロロロ……」
メルの目の前には、愛憎によって人面蛇の姿へと変じてしまった神、サクラの姉の姿があった。
改めて見てみると、人面蛇の顔立ちはどことなくサクラに似ているように見える。
そして新たに桜の紋章を宿したメルの左目には、人面蛇の体を包み込む黒いオーラのようなものが見えるようになっていた。
(あの黒い光は祟り神の光よ)
「わっ!?」
突然頭の中にサクラの声が響き、メルは跳び上がる。
「さ、サクラさん!?どこですか!?」
(私はあなたの中にいるわ。あなたに霊力を託すついでに、私の心もあなたの中に住まわせてもらったの。背後霊のようなものと思ってくれればいいわ)
「は、背後霊……」
(それと私の声はあなたにしか聞こえていないから、声を出して私と会話をするのは止めた方がいいわ。頭の中に思い浮かべるだけで私には伝わるから、独り言が凄い人だと思われたくなければそうした方がいいわ)
(わ、分かりました。こんな感じですか?)
(そうね、上手よ)
消えたと思っていたサクラが自分の中にいたという急展開だが、メルは「神様だしそんなものか」とすぐに順応した。
(姉の周りに黒い光が見えるようになったのは、私があなたにあげた『桜の瞳』の力よ)
(桜の瞳?)
(ええ。幽霊・怪異・神格・祟り神を色で見分けることができる特殊な目よ)
(そんなものもくれてたんですか?)
(ええ。さっきは時間が足りなくて説明できなかったけれどね)
声を出して行われる通常の会話と異なり、メルとサクラの会話は思考が直接そのまま相手に伝達される。その為通常の会話とは比べ物にならない速さでの情報のやり取りが可能だった。
『メルちゃん髪の色変わってる!?』『ほんとだ』『なんで!?』『サクラさんって誰?』
メルがサクラと脳内で会話している間に、配信のコメント欄にはメルの変化に困惑するいくつもの声が寄せられる。
その中でも特に多いのは、やはりメルの外見の変化に言及するコメントだ。
「皆さん、説明はちょっと後にさせてください!というかメルもまだよく分かって無いことがいっぱいあるんで!とりあえず今は、目の前のこの人を倒します!」
「ハアアアア……!」
人面蛇が灰色の息を吐き出す。その息は万物を石へと変える、触れたら即死の息だ。
(大丈夫。私を信じて)
(はい!)
メルはサクラの声を信じ、灰色の息を敢えて避けることはしなかった。
その場にとどまったメルの体を、灰色の息が包み込む。
『メルちゃん!?』『ヤバくね?』
蛇の息に触れれば石化することは視聴者も理解している。メルを心配する声がコメント欄を埋め尽くす。
しかし。
「……ホントに効かないんだ」
灰色の息がメルを石に変えることは無かった。
メル自身も、メルが着ている服も、メルが手に持っているスマホも、全て無事だ。
『石になってない?』『よかった!!!!』『なんで?』
「皆さんには後で説明すると思いますけど、メルにはもうあの息は効きません!」
サクラから託された霊力を確信できたメルは、そのまま人面蛇の方へと踏み込んで右手の包丁を振るった。
包丁の刃は人面蛇の体を浅く切り裂き、どす黒い血飛沫が噴き上がる。
人面蛇が出血したことに、メルは僅かに目を見開いた。これまでメルが戦ってきた幽霊は、包丁で斬っても出血するようなことは無かった。
(姉は幽霊とは違って肉体を持っているわ。血が流れているから、斬れば出血するわよ)
(そうなんですね)
(それよりも気を付けて。石化の息は効かないけれど、姉の能力は石化の息だけではないわ)
サクラの言葉を証明するかのように、人面蛇に変化が生じる。
メリメリメリッ!と皮膚を突き破る音と共に、人面蛇の胴体から左右一対の腕が生えていた。
「え?」
急に腕が生えてくるという普通の生物にはありえない現象に、呆気にとられるメル。
人面蛇が新たに獲得した手は爬虫類らしく鱗に覆われているが、その構造自体は人間に近い。
そして人面蛇の右手から、まるで鍾乳石が高速で成長するようにして石の剣が出現した。
「カロロロロ!」
「きゃっ!?」
女性が石の剣を振るい、メルはバックステップで剣を回避する。
「何、あの剣……」
(あれも姉の能力の1つよ。姉には鉱物を生み出す力があるの)
(あっ、言ってましたね)
距離を取ったメルを、人面蛇は剣を片手にじっと見つめている。
メルには通用しないことを理解したのか、灰色の息を吐く素振りは無い。
だがその代わりに、人面蛇の周囲の空中に10個を超える拳大の石が出現し、それら全てが銃弾のような速度でメルに向かって飛来した。
「ちょちょちょちょちょ!?」
初めての攻撃パターンに面食らいつつ、メルは小学生時代にドッジボールで培った回避技能で石礫を躱していく。
全ての石を躱したメルだが、気が付くと女性の周囲にはまた十数個の岩が出現していた。
(姉はあの程度の大きさの石なら一瞬で、無尽蔵に生み出すことができるわ)
(それって今の攻撃が無限にできるってことですか!?)
(そうね)
(もおおおお!!)
いつまでも石を飛ばされ続けては堪らない。そう考えたメルは石礫を躱しつつ、一気呵成に人面蛇との距離を詰めた。
「カロロッ!」
懐に潜り込んだメルに対し、人面蛇は右手の石剣を振るう。
メルは石剣を包丁で受け止め……
「くぅっ!?」
ようとしたところを、咄嗟に石剣の側面を弾いて受け流す方法に切り替えた。
(危なかったわね)
(受け止めてたら両腕逝ってました……)
流石は祟り神と言うべきか、人面蛇の膂力は尋常では無かった。
仮にあのままメルが石剣を受け止めようものなら、メルの両腕の骨は無残に粉砕されていただろう。
しかし実際はメルが攻撃を受け流したことで、逆に人面蛇の方が体勢を崩して隙を晒してしまっていた。
「えいっ!」
気の抜けた掛け声と共に振るわれた包丁が、人面蛇の首を半ばから断ち切った。
傷口から噴水のように血が噴き出し、メルの体にも降りかかる。
「カ……カロ……」
人面蛇は石剣を取り落とし、ぐらりと大きく体勢を崩した。首を斬れば命にかかわるのは、人間も祟り神も変わらないらしい。
「そぉいっ!」
更にメルは返す刀でもう1度人面蛇の首に包丁を叩きつける。
元より半ばまで断ち切られていた人面蛇の首は、2度目の刃を受けて胴体から完全に切り離された。
「カ……」
宙を舞った首が地面に落ち、首を失った胴体が力を失って地面に倒れ伏す。
「か、勝った……?」
人面蛇の首を落とした後も、メルはしばらく構えた包丁を下ろさなかった。祟り神という存在が、首を落としただけで死に至るのか分からなかったからだ。
注意深く人面蛇の様子を観察していると、人面蛇が祟り神であることを示す黒い光が徐々に弱まり始めた。
(これって……)
(ええ、姉の命が尽きかけている証拠ね。ありがとう)
(ど、どういたしまして……?)
姉を殺して感謝されるという状況の奇異さに、メルは戸惑いを覚えた。
程なくして人面蛇を包む黒い光は完全に消失し、死体がまるで自らの息を浴びたかのように石に変化した。そして何かに壊されるでもなく独りでに砕け散る。
すると粉々になった石の死体の残骸から、黄金色の光の球体がふわりと浮かび上がた。
メルの目線よりも少し上の高さにまで浮上した光の球体はその形を変化させ、やがて1人の女性を形作った。
「あなたは……」
黄金色の光に包まれたその女性は、十二単のような和風の服に身を包み、天女の羽衣のような薄い布を纏っている。
足まで伸びた長い髪はまるで本物の純金のような金色で、そして何よりその顔立ちはサクラによく似ていた。
「……ありがとう、と言うべきでしょうね」
女性は表情を動かさずに口を開く。顔だけでなくその声もサクラによく似ていた。
「その髪に、その瞳……妹が、あなたに力を託したのね」
「妹……てことは、あなたがサクラさんの?」
「サクラ……?ああ、あなたにはサクラと名乗ったのね。ええ、その通り。私はあなたがサクラと呼んでいるものの姉よ。名前は……そうね、あの子がサクラと名乗ったなら、私はイワオにしておこうかしら」
「イワオ……?」
なんかあんまり人の名前っぽくないな、と思ったメルだが、それを口には出さなかった。
「イワオさん、正気に戻ったんですか?」
「そうね。あなたが肉体を殺してくれたおかげで、魂だけはかつての心を取り戻せたわ」
それからイワオは、首を小さく傾げてメルに尋ねた。
「あなたの中に、妹がいるの?」
「あっ、はい、います。ちょっと待ってくださいね……」
メルは自分の中のサクラに呼びかける。
(サクラさん。お姉さん正気に戻ったみたいですし、何か伝えたいこととかあります?)
(そうね……少し、あなたの口を貸してもらえるかしら?)
(え?……よく分からないですけど、どうぞ?)
するとメルの両目が桜色に輝き、口が独りでに動き出した。
「久し振りね、お姉ちゃん」
「そうね。ざっと1000年ぶりかしら」
「そうね、それくらいになるわ」
人間とはスケールの違う会話を、メルの口を介して交わすサクラとイワオ。1000年ぶりの姉妹の会話だ。
「迷惑をかけたわね。あなたにも、その子にも……村の人達にも」
「お姉ちゃんが殺した人達はもう戻ってこないわ。お姉ちゃんにできるのは、殺してしまったよりもずっと多くの人達を未来永劫守り続けることよ」
「そうね。私がもう1度生まれたら、その時にはきっと人々を守り続けましょう」
サクラとイワオの会話に、メルは内心首を傾げた。2人の口振りは、まるでイワオが生まれ変わることを前提としているかのようだ。
するとメルの疑問に、サクラが脳内会話で答えてくれた。
(命を落とした祟り神はね、長い時間を掛けて生まれ変わるのよ。祟り神といえども神様には違いないから、真の意味で滅びることは無いの)
(そうなんですか!?すご~い)
(生まれ変わった祟り神は魂が浄化されて元の神格に戻ることができるから、祟り神にとって命を落とすことは救済でもあるのよ)
(祟りロンダリングですね)
(祟りロンダリング……?)
メルの謎のワードセンスに困惑しつつ、説明を終えたサクラは姉との会話に戻る。
「それからお姉ちゃん。お姉ちゃんを止めてくれたこの子には、もっときちんとお礼をするのよ」
「ええ、そうするわ」
「……私から言いたいことはそれくらいかしら」
「そう。ならいつか、あなたが黄泉に来るときにまた会いましょう」
そのやり取りを最後に、メルの瞳は元の色に戻り、口の動きが止まった。
(あれ、もういいんですか?)
(ええ。元より姉とはもう話せないものだと思っていたもの。最後にもう1度姉の声が聞けただけでも充分だわ)
(ならいいんですけど……)
メルとしてはもう少し色々話した方がいいのではないかと思ったが、サクラは充分満足していた。
「ねえ、あなた。お名前は?」
「あっ、さ、桜庭メルです」
「そう。メルちゃん、祟り神に身を窶した私を殺してくれて、最後に正気を取り戻させてくれてありがとう。お礼になるかは分からないけれど、今の私が渡せるものの中で最も貴重なものをあなたにあげるわ」
イワオが右の掌を上に向ける。すると掌の上に光が集まり、黄色い宝石が生成された。
「この宝石が今の時代でも価値のあるものかは分からないけれど……」
「わぁ~!イエローダイヤモンドですか?」
「イエローダイヤモンド……?今の名前は分からないけれど、受け取ってもらえるかしら」
「いいんですか?」
イワオの掌からイエローダイヤモンドが浮かび上がり、ふわふわとシャボン玉のような動きでメルの方へと移動する。
そうしてメルが受け取ったイエローダイヤモンドは、ちょうどメルの掌にすっぽりと収まる大きさだった。
「ありがとうございます、大事にします」
色の濃いイエローダイヤモンドというのはかなり高価な宝石で、大きさが拳大ともなればその価値は計り知れない。
しかしメルはその辺のことをあまりよく分かっていなかった。
「さて、そろそろお別れかしら」
イワオの体が徐々に希薄になり始める。
肉体が滅び、霊力をメルに託したことで、いよいよ存在が消滅し始めているのだ。
「最後に1つ。メルちゃんのその剣……」
「剣?これは包丁ですよ?」
「そう。その包丁、元々呪物だったようだけれど……それは祟り神を殺し、祟り神の血を啜った刃よ。どんな呪いが宿ってもおかしくないわ。メルちゃんがこの先穏やかに天寿を全うしたいのならば、一刻も早く手放すことね」
「でも、これが無いと心霊スポット探訪できないんですよ」
「そう……なら、頑張って」
その言葉を最後に、イワオは空気に溶け込むようにして消滅した。
(……さようなら、お姉ちゃん)
メルは何も言わず、イワオがいた空間を見つめる。
『何この展開』『何がどうなってるんだ』『頼むから説明をしてくれ』
そんなメルの意識を引き戻したのは、怒濤の展開に完全に置いてけぼりになっていた視聴者達のコメントだった。
『メルずっと何やってんの?』『なんで髪の色変わってんの?』『これアーカイブ残せる?』『そもそも桜探すって話じゃなかった?』『さっきの女の人誰?』
視聴者からの様々な質問が、コメント欄に次々と流れてくる。
ただでさえ展開が急だった上に、メルがサクラから事情を説明され霊力を託されている場面は配信されていない。その為配信を見ている視聴者には本当に何ひとつ情報が届いていないのだ。
「えーっと……メルも何から説明したらいいのか分からないんですけどぉ……」
一から説明しようとすれば確実に長時間になる上、説明したところで視聴者達に信じてもらえるかも分からない。
メルはしばらくの間、どうするべきかあれこれと頭を悩ませ、
「……よし。今度動画か配信のどっちかで今回の件について説明するんで、とりあえず今日の配信はここまでにしようと思います!」
メルは問題を先送りにした。




