桜庭メルの心霊スポット探訪番外編:幾世守家 六
一触即発の空気の中、メルは燎火に小声で尋ねる。
「幾世守さん幾世守さん。あの祓器ってどんなものか分かります?」
「……『鯱噛』。刀身に触れたものを、それが何であれ必ず切断するという、強力無比な性質を備えています」
「なんですかそれ、聞いただけでもうズルいじゃないですか」
これまでメルが対峙してきた祓器が玩具に思えるような出鱈目性能だ。
「どうした、来ないのか」
「うるさいで~す。今娘さんと話してるんですからおじさんが入ってこないでくださ~い」
「……ならばこちらから行かせてもらう」
スゥゥゥゥ、と熾紋は独特な呼吸法で大きく息を吸い込む。
「……『益荒』」
そして熾紋が何らかの祓道を発動すると、熾紋の体から強風が吹き荒んだ。
「わっ!?な、何ですかこれ!?」
メルは左手でスカートの裾を押さえ、包丁を持った右手で砂塵から目を守る。
「桜庭さん気を付けてください!父の『益荒』は……」
「遅いな」
気が付くとメルの目の前に、『鯱噛』の刃が迫っていた。
メルが強風によって熾紋から視線を外した一瞬の隙に、熾紋がメルとの距離を零にしたのだ。
「誰が遅いんですか?」
しかし振り下ろされた『鯱噛』がメルを捉えることは無かった。
「……躱したか」
熾紋は顔を上げ、2mほど離れた場所に立つメルを見る。
「愚か者といえども、祟り神を単独で殺すだけのことはあるということか」
「人のこと愚か愚かって……このご時世によくそんな気軽に誹謗中傷できますね!?規制厳しくなってるんですよ!?」
「だが所詮は祓道も使えない素人。多少速く動けたところで祓道師には敵わん」
熾紋が矢継ぎ早にメルへと刀での攻撃を繰り出してくる。
「刀なのに矢継ぎ早ってのはどういう……あっちょっ速っ」
実際軽口など叩いている余裕がないほどに、熾紋の攻撃は素早かった。人間に許された速度を明らかに超えている。
メルは熾紋が先程使用した『益荒』という祓道を、身体能力を大幅に強化するものであると推測した。そうでなければこの速度に説明がつかない。
とはいえ相手が速いからといって、黙って攻撃され続けるようなメルではない。
「ていっ!」
熾紋の攻撃と攻撃の合間を縫うように、メルは包丁を熾紋へと突き出す。
メルの包丁は与える苦痛を著しく増大させる。ほんの僅かな切り傷でも付ければ、熾紋は多大な苦痛を受けることになる。
しかし包丁が熾紋に傷を与えることは無かった。熾紋が攻撃を防いだのではない。メルが自らの意思で攻撃の手を止めたのだ。
「止めたか、勘がいいな」
「……それはどうも」
メルが攻撃を中断した理由。それは熾紋がメルの包丁を『鯱噛』で受け止めようとしたからだ。
燎火曰く、『鯱噛』は刀身に触れたものを問答無用で切断する。つまり包丁を『鯱噛』で受け止められると、包丁の方がスパッと切られてしまう可能性があるのだ。
実際にそのような結果になるのかは、やってみなければ分からない。ただ「そうなるかもしれない」というだけで、メルに攻撃を躊躇わせるには十分だった。
攻撃だけでなく防御に使われても厄介な『鯱噛』という祓器に、メルは舌打ちをしたい気分になった。
「理解したか?お前に勝ち目が無いことを」
迂闊に手を出せないメルを見て、熾紋が再び攻撃に転じる。
素早い突きの連打。メルは反射的に包丁で防ごうとして、慌てて回避行動に切り替えた。
『鯱噛』の攻撃を包丁で防ごうものなら、包丁ごと両断されてしまう。
「やっぱりズルですよ、なんでも斬れる刀なんて……!」
思わず不平を漏らすメル。
何とか熾紋の隙を突いて攻勢に転じようとするも、その度に熾紋が『鯱噛』で防御する姿勢を見せるために上手くいかない。
熾紋に傷の1つも付けることすらできないまま、メルは熾紋の一方的な攻撃を許してしまう。
「うあっ……!?」
そして遂に、メルの体に『鯱噛』の刃が届いてしまった。首を狙った攻撃を躱しきれず、左肩を斬りつけられてしまったのだ。
とは言っても傷自体は大したものではなく、左腕の動きに支障は出ない程度だ。だがメルは思わず傷口を右手で押さえ、その頬には冷や汗が伝った。
「気持ち悪い刀ですね……」
『鯱噛』による攻撃は、これまでメルが受けてきた攻撃とは明らかに性質が異なっていた。
例えば煌羅の『亀骨』で体を斬られた時などは、メルは「刃物に斬りつけられた」という感触を明確に感じていた。体に刃が食い込み、肉が切り裂かれていく痛みは、メルの体と脳に焼き付いている。
しかし『鯱噛』で斬られた瞬間、メルは「斬られた」という感触を全く感じなかったのだ。
メルが感じたのは、『鯱噛』の刃に触れた体の部分が空気に置き換わってしまったかのような錯覚。それは言うなれば「切断」ではなく「消滅」だった。
体の一部が消滅するという悍ましさに、メルは背筋が薄ら寒くなった。
「『鯱噛』で斬られるのは怖ろしいだろう」
メルの内心を見透かしたように熾紋が語りかける。
「『鯱噛』の刃は厳密には触れたものを必ず切断するのではない。触れたものを消滅させるのだ。斬られる度に体の一部が空気に置き換わるような感覚に苛まれ、やがて肉体と大気の区別がつかなくなる。『鯱噛』で斬られた者はその傷で命を落とさずとも、肉体が消えゆく恐怖に心を殺されるのだ。そうなりたくなければ、大人しく『鯱噛』の刃を受け入れろ。抵抗しなければ、一撃で首を刎ね飛ばしてやる」
「……確かに、この感覚は怖いです。それは認めます」
メルは熾紋の言葉を否定することはしなかった。
「あなたの刀はとっても強いです。メルがこれまで戦った祓器の中でいっちばん強い。そしてその刀を使いこなすあなたは、最強の祓道師って呼ばれるだけのことはあるんだと思います。でも……」
メルは抱いた恐怖を心の中でねじ伏せて、強い眼差しを熾紋に向ける。
「メルの方が、もっと強いっ!!」
啖呵と同時にメルは包丁を振り被る。
「同じことを……」
熾紋はこれまでと同じように『鯱噛』で防御態勢を取る。
「なっ!?」
しかし次の瞬間、熾紋の体勢が大きく崩れた。
「引っ掛かりましたね」
黒マスクの下で、メルはしてやったりと笑う。
メルは包丁を振り下ろすと見せかけ、熾紋の左脚に強烈なローキックを叩き込んだのだ。
熾紋は包丁に集中し、足元が疎かになっていたために、このフェイントは鮮やかなほど見事に決まった。
「こんなフェイントに引っ掛かるなんて、意外と素直なんです、ねっ!」
続け様にメルが放った回し蹴りが、体勢を崩した熾紋の顔面に直撃する。
「ぐああっ!?」
10m以上吹き飛ぶ熾紋。ドクドクと流れ出る鼻血が、その軌道に合わせてアーチを描いた。
「ぐっ、ぐおっ……」
どうにか体を起こし、ゆっくりと立ち上がる熾紋。三半規管をかなり揺らされているはずだが、それでも立ち上がってくるのは流石最強の祓道師といったところだ。
とはいえダメージは少なくなく、立っているのがやっとの様子の熾紋。今が攻め時だと判断したメルは、一気に熾紋との距離を詰めた。
「てやああっ!」
「くっ……」
熾紋は『鯱噛』を振ってメルを迎撃しようとするが、回し蹴りで負ったダメージのためにその動きは精彩を欠いている。
熾紋が刀を振り抜くよりも先に、メルの鋭い蹴りが熾紋の右手を捉えた。
「ぐあっ!?」
熾紋の手から離れ、放物線を描いて飛んでいく『鯱噛』。
「形勢逆転、ですね」
「メルちゃん頑張れ~!!」
メルはここぞとばかりに包丁を突き出す。
『鯱噛』を失った熾紋には最早、メルの包丁を防ぐ手立てはない。
メルは自分がされたのと同じように、熾紋の左肩を包丁で貫いた。
「っぐああああああああっ!?」
包丁によってもたらされる凄まじい苦痛に、熾紋が獣のような絶叫を上げる。
幾世守家当主としてのプライドか、泣き叫んで暴れるような真似はしない。だがその代わりに、傷口を押さえたまま石像のように動かなくなってしまった。
そんな熾紋の背後から、メルがするりと首に腕を掛ける。
「ぐっ、が……」
そのまま頸動脈を締め上げられても、熾紋は絶大な苦痛のために碌な抵抗もできない。
程なくして熾紋はあっさりと意識を失った。
「あなたは敵ですけど、幾世守さんのお父さんですから。とりあえず生かしておいてあげます」
そのまま熾紋の首を折ることもできたメルだが、そうはしなかった。熾紋を生かしておく理由は無いが、娘の目の前で父親を殺すのは可哀想だと思ったのだ。
「さてと……でもこれで終わりじゃないんですよね、幾世守さん?」
「はい。幾世守家の最高権力者は父ではなくお館様ですから」
幾世守家当主の座に就いている熾紋だが、燎火の話では当主とは「お館様」なる存在の傀儡のようなものだ。
メルが幾世守家と決着をつけるには、お館様に会う他ない。
「お館様は普段は屋敷の大広間の奥にいらっしゃいます」
「じゃあそこに行ってみましょう。案内お願いします」
メルは燎火と短い打ち合わせを終えると、地面に寝かせておいた煌羅の側に移動した。
「煌羅さん……」
メルが名前を呼んでも、煌羅は目を開かない。そんな煌羅に対し、メルは更に語り掛ける。
「さっき、メルちゃん頑張れ~!!って言ってましたよね?」
「……」
煌羅は目を開かない。ただ心なしか唇がプルプル震えているように見える。
メルは燎火の方を振り返った。
「メルちゃん頑張れ~!!って言ってましたよね?」
「言ってましたね……」
そしてもう1度視線を煌羅に向ける。
「燎火さんからの証言もあるんですけど」
「……」
「起きてますよね?」
「……はい、起きてます」
観念したように煌羅が目を開いた。
「いつから起きてたんですか?」
「え~……っとぉ……爛おばさんに会う少し前から?」
「かなり前から起きてましたね!?」
メルはてっきり、煌羅は熾紋との戦闘中に目を覚ましたものだと思っていた。しかし実際にはそれよりも遥かに前のタイミングで、既に煌羅は意識を取り戻していたようだ。
「なんでもっと早く言ってくれなかったんですか?」
「……ごめんなさい!その、メルちゃんに抱っこされてるのが嬉しくて、つい……」
心の底から申し訳なさそうな表情を浮かべる煌羅に、メルは溜息を吐いた。
「どっちにしろ今の煌羅さんは歩けるような状態じゃないんですから、意識があっても無くても抱っこくらいしますよ」
「えっ、ホント!?」
「全くもう、心配させないでくださいよ~」
「……ごめんなさい」
悪戯がバレた子供のように縮こまる煌羅。
「……まあ、意識が戻ってよかったです」
「メルちゃん……!」
「ほら、さっさと大広間行きますよ。燎火さんも掴まってください」
メルは煌羅を抱え上げ、燎火を背負う。
そしていよいよ、幾世守家の屋敷へと侵入していった。
【ちょこっと解説】
『益荒』は身体能力を大幅に強化する祓道で、同じような効果を持つ『鬨』の上位の祓道です。
格としては『礫火天狗』と同格で、非常に強力ですが使い手は限られています。
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次回は明日更新します




