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第19回桜庭メルの心霊スポット探訪:不帰池 前編

 「皆さんこんにちは~!心霊系ストリーマーの~!桜庭メルで~す!」


 配信が始まり、いつになく大きな声を張り上げるメル。

 しかしそれだけ声を上げても、視聴者には囁き声ほどの音量でしか届かない。


 「今日は~!不帰池という場所に来てま~す!ここでは~!ボートに乗ってると幽霊が出るといわれているので~!確かめに来たんですが~!」


 メルが背後にある大きな池、不帰池を振り返る。

 不帰池には滝のような豪雨が降り注ぎ、吹き荒れる暴風によって水面がうねりにうねっていた。

 池のほとりに停泊している数台のスワンボートはぐわんぐわんと揺れ動き、受付には当然の如く臨時休業のお知らせが張り出されている。

 メルはくるりとカメラに向き直った。


 「詰んでま~す!!」

 『草』『確かにこれは詰んでる』『何だってこんな雨の日に……』


 不帰池は地元では有名なデートスポットの1つだ。不帰池のスワンボートに一緒に乗ったカップルは決して別れることは無くなると言われている。

 しかしその一方で、不帰池には幽霊が出るという噂もあった。スワンボートに乗っていると水面から無数の白い手が現れ、池の中に引きずり込まれるという噂だ。

 メルは今日、その幽霊の噂を確かめるためにこの不帰池にやって来た。しかしいざ来てみると、突然の暴風雨によってご覧の有様だ。


 「天気予報では晴れだったんですけど~……きゃああああ!?」

 『うわっ』『もう台風中継じゃん』『外出てて大丈夫?』


 暴風によってメルが差していたビニール傘が裏返る。元々雨が強すぎるあまり大して役立ってはいなかった傘だが、これで完全にただの荷物になってしまった。

 コメントでも言われている通り、最早心霊配信というよりも台風中継のような有様だ。


 「ちょっ、ちょっと1回移動しま~す!」


 ゲリラ豪雨もかくやという雨の強さに耐えかね、メルは池の前から逃げるように移動する。

 屋根のある場所を求めて公園内をひた走り、見つけた四阿に駆け込んだ。


 「ふぅ~……雨す~ごいですね~……」


 そう言ってメルはブラウスの袖で顔の水滴を拭う。しかしブラウスも大量の水を吸っているため、これ以上の水分を吸収することはできなかった。取り出したハンカチでも結果は同じことだ。

 トレードマークの1つである黒マスクも、既に大量の水を吸ってべちゃべちゃになっている。呼吸が塞がる上に不快なことこの上ないので、メルはマスクを剥ぎ取った。


 「今朝の天気予報では雲1つ無い快晴って言ってたんですけどね~」

 『確かに急にエグいくらい降り出したよな』『異常気象かな』

 「うわ~、皆さん見てくださいよこれ」


 メルがカメラに向けてスカートの裾を絞って見せる。するとスカートが吸っていた雨水がばしゃばしゃと音を立てて地面に落ちた。


 『うわぁ……』『めっちゃ水吸ってんじゃん』『雑巾絞ってるみたい』

 「今のメル、全身どこ絞ってもきっとこんな感じですよ~……体が重いです~……」


 全身の服が大量の水を吸い、メルは鉛を纏っているような錯覚を覚えた。


 『スマホは濡れて大丈夫なん?』

 「あっ、スマホは大丈夫です。めちゃめちゃ防水なんで」

 『めちゃめちゃ防水って何?』

 「にしてもこれ、どうしましょうか……今日の配信はボート乗って幽霊探すつもりしかなかったので、ボート乗れないと何にも始まらないんですけど……」

 『この雨の中じゃ他にやれることもないしなぁ』『中止にはしないの?』

 「中止はね~、なるべくしたくないんですよ。配信するって予告しちゃいましたし、折角見に来てくれた視聴者さんにも申し訳ないですし……」


 それはメルなりのストリーマーとしてのポリシーのようなものだった。こうして配信を見に来てコメントを書いてくれている視聴者がいる以上は、安易に中止にはしたくない。


 『そんなにびしょ濡れで大丈夫?』『メルちゃん風邪ひかないように気を付けて!』

 「あはは、ありがとうございます~」


 コメント欄には、雨に打たれてずぶ濡れになったメルを心配する声も散見された。


 「でも確かに、このままだと冷えちゃいますよね……」


 今はまだ何ともないが、時間が経ってメルの服に含まれる水が蒸発し始めれば、気化冷却でどんどん体温が奪われてしまう。

 そうなればコメントの心配通り、メルは風邪をひいてしまうかもしれない。


 「どうしよう……あっ!いいこと思いつきました!」

 『えっ』『何だろう、嫌な予感がする』『どうせロクでもないことだろ』

 「ちょっと!なんでそんなこと言うんですか!」


 メルの思いついた「いいこと」を全く信用していない視聴者達に、メルは頬を膨らませて不満を露にする。


 『じゃあ試しに何思い付いたのか言ってみ?』

 「ふふん、メルの天才的発想に腰を抜かさないように気を付けてくださいよ?」

 『そういうのいいから』『はよ言え』

 「何か視聴者さん冷たくないですか?まあいいですけど……」


 んんっ、と咳払いをしてから、メルは思いついた「いいこと」を話し始めた。


 「濡れてると体が冷えちゃうのって、水が蒸発する時に熱を持っていくからじゃないですか?」

 『うん』『そうだね』

 「だから水が蒸発しなければ、理論上は濡れたままでも寒くはならないはずなんですよ」

 『うん……うん?』『そうかな?』『なんか雲行き怪しくなってきたな』

 「だから雨に打たれ続ければ、体は濡れっぱなしで水が蒸発しないので、きっと体が冷えないと思うんです!どうですか、これすごくないですか!?」

 『何を言ってるんだお前は』『正気か?』『反論したいけど文系だからできねぇ』『なんかヤバいこと言ってる?』


 メルの思い付きに対し、視聴者達の反応は概ね否定的だった。だが視聴者が否定的な程度ではメルは止まらない。


 「そうだ!折角雨の中に出ていくなら、池の周りグルグル回って幽霊出てこないか試してみましょうか。ただ濡れるだけよりもそっちの方が建設的ですよね!」

 『わざわざ雨に濡れに行く時点で建設的ではないだろ』『何を建設するつもりだお前は』

 「それじゃあ遅くなりましたけど、第19回桜庭メルの心霊スポット探訪、始めていきましょう!」

 『おいまさか』『ちょっと待てって』


 視聴者達の制止には耳を貸さず、メルは四阿の中から豪雨降りしきる屋外へと飛び出していった。


 「ひゃ~~~~!」


 かけっこをする子供のような嬌声を上げながら、雨の中を満面の笑みで走るメル。完全に童心に帰っている。

 地面は雨のせいで非常に滑りやすくなっているが、メルはその程度物ともせずに不帰池のほとりまで戻ってきた。


 「それでは~!今から池の周りを~!グルグル回ってみようと思いま~す!」


 雨音に搔き消されないよう、メルは声を張り上げる。


 『もう傘すら差してないじゃん』『マジで何やってんだコイツ』


 視聴者のコメントも機械音声で読み上げられているが、そちらは完全に雨音に消されてメルの耳には届いていない。


 「行きま~す!」


 メルは転落防止の柵に沿って池の外周を歩き始める。幽霊を探すという名目があるため、先程のように走ったりはしない。


 『雨の日に傘も差さないで池の周り歩いてるずぶ濡れの女怖すぎるだろ』『今のメルが新しい都市伝説になりそう』


 メル本人は楽しんでいるが、今のメルを傍目に見ると相当に不気味だ。幸いなのは豪雨のせいで人気が皆無であり、視聴者以外に目撃者がいなかったことか。


 「あっ、あれ!皆さん見てください!」


 しばらく池沿いを歩いていたメルは、池の水面に何かを見つけて立ち止まった。


 「あそこ、何か人の手みたいなものが浮かんでませんか?ほら、あそこ!見えますかね?」

 『見えない』『見えない』『雨でなーんも見えない』『逆によくメルは見えてんな』


 分厚い雨のカーテンによって、視聴者には水面の様子が碌に見えていない。しかしメルの類稀な視力(両目2.0)は、人間のものと思われる白い手が水面から伸びているのをしっかりと捉えていた。


 「あれ絶対幽霊ですよ!だってこんな大雨の日に池の中にいるなんておかしいですもん!」

 『こんな大雨の日に傘差さないで池の周り歩き回ってるお前も充分おかしいよ』


 メルは「桜の瞳」を通して水面の腕を観察する。すると白い腕は青色の光で縁取られているように見えた。

 青色の光ということは、やはりあの腕は幽霊で間違いない。


 「あっ、増えた」


 メルが見ていた腕の隣から、もう1本白い腕が伸びてくる。その直後に少し離れた場所から3本目の腕が現れた。

 その後も次々と水面から何本もの腕が現れ、気が付くと水面は無数の白い腕によって埋め尽くされた。

 当然その全てが幽霊だ。


 『うわっ』『マジで手じゃん』『キモッ』


 腕が大量に現れたことで、視聴者達も腕の存在を認識することができた。

 しばらくは海中の昆布のようにゆらゆらと揺れ動いていた腕達だが、やがて腕の持ち主達が姿を現した。

 白一色の死に装束に身を包んだ、年齢も性別もばらばらの幽霊達。それらが全員メルのいるほとりへと池の中を進んでくる。


 「お~、何するつもりなんでしょう」


 迫り来る幽霊の群衆を目の当たりにしても、メルは暢気のものだった。


 「こっちに来い……」「こっち来て……」「こっちおいで……」


 幽霊達は口々にメルを誘いながら、続々と池から上がってくる。


 「えっ?なんて言いました?」


 しかしこの豪雨の中、幽霊達の幽かな声はメルの耳には届かなかった。


 「こっち来て……」「おいで……」「おいでよ……」「こっちへ……」「早く……」「早くおいで……」「来なよ……」「こっち来い……」「早く来いよ!」


 池から上がった幽霊は、鬼のような形相でメルへ掴みかかってくる。


 「ちょっ、ちょっと!?」


 あっという間にメルは5~6人の幽霊にしがみつかれる。幽霊達はそのままメルの体を池の方へと引っ張り始めた。

 どうやらメルを池の中に引きずり込むつもりらしい。


 「ああもうっ!」


 メルは素早くスカートの下から包丁を取り出し、まとわりつく幽霊達を纏めて薙ぎ払う。

 包丁に撫で斬りにされた幽霊達は、悲鳴すら上げる間もなく消滅した。


 「こっち来い……」「おいで……」「おいでよ……」「来いよ……」「こっち来なよ……」


 幽霊達は同族が瞬殺されたことを意にも介さず、次々と池から上がってはメルに掴みかかってくる。

 メルが包丁を振るえばまとめて数体消し飛ばせるほど脆弱な幽霊だが、数が多いのが厄介だ。

 斬っても斬っても新手がすぐに池から現れ、メルに群がってくる。


 「触らないでくださいっ、寒いですっ!」


 幽霊は物質的な肉体を持たないため、触れようと思っても体をすり抜けてしまう。だが何も感じないのかというとそうではなく、幽霊と触れると氷に触ったようなひんやりした感触がある。

 そしてそのひんやり感は、全身ずぶ濡れのメルにとってはかなり致命的だ。


 「いやぁ~っ!来ないでぇ~っ!」


 ガタガタと体を震わせながら、メルは迫り来る幽霊達に包丁を振り回す。


 『過去一で幽霊怖がってて草』『幽霊って触ると寒いんか、初めて知ったわ』『怖がり方に対して太刀筋が的確過ぎるだろ』


 絶対に寒い思いをしたくないメルは、幽霊達が体に触れることが無いよう、正確無比に幽霊達を消し飛ばしていく。

 そうしてメルが殺した幽霊の数が50を超えた頃。


 「ひゃあっ!?」


 突然池から大きな水柱が上がった。

 大量の水飛沫の中から現れたのは、巨大な魚の怪物だった。全身がぬらぬらとした深緑色の鱗に覆われ、出目金のように飛び出た両目がぎょろぎょろと動いている。そして怪物の口の中には鋭い牙がびっしりと並んでいた。


 「あれは……」


 怪物の姿を見た瞬間、メルは半ば無意識に呟く。


 (メルちゃん、あれを知ってるの?)

 (サクラさん。はい、5回目の配信の時だったかな、前に身投げ橋ってところで、あれと似たような怪物を見たことがあるんです)


 不帰池から現れた怪物は、メルが以前身投げ橋で遭遇したものとよく似ていた。完全に同一という訳ではないが、同種であることは明らかだ。


 『何だアレ!?』『なんかアイツ前も見たことない?』『身投げ橋の時に出てきたやつ?』


 視聴者の中にも、あの怪異に見覚えのある者が何人かいるようだった。


 (サクラさんもあれのこと知ってるんですか?)

 (ええ。あれは和邇(ワニ)と呼ばれる、広い淡水の水場に生息する人食いの怪異よ。捕食した人間の肉体は栄養として消費し、残った魂を幽霊として使役して、更なる餌を水の中に引きずり込むの。放っておくと犠牲者が倍々に増えていく厄介な怪異だわ)

 (幽霊として使役……ってことは、ここの幽霊達はみんなあの怪異の手下ってことですか?)

 (そうね。といっても和邇の力で無理矢理従わされているだけだけれど)

 (……それはちょっと可哀想ですね)


 和邇に肉体を食われ、死後もその魂を和邇のいいように使われる。そんな幽霊達に対し、メルは同情の気持ちが湧いた。


 (和邇を殺せば犠牲者達の魂も解放されるはずよ)

 (あの怪異を殺せばいいってことですよね?分かりました)


 サクラと話すメルの前で、和邇が大きく口を開く。

 するとまるで巨大な掃除機のように、和邇の口から吸い込む力が発せられた。


 「きゃあっ!?」


 和邇の強力な吸気によって、メルの体が和邇の方へと引っ張られていく。

 同時に和邇の吸い込みが風となってメルの全身の水分を蒸発させ、メルの体温を急速に奪い始めた。


 「ちょっ!?寒いからやめてください!」


 メルは吸い込まれないように踏ん張りながら、和邇に向かって猛然と抗議する。

 しかし和邇がメルの抗議に耳を貸すはずもない。


 「やめてって……言ってるでしょお!?」


 尚も吸引を止めない和邇に対し、メルは右手の包丁をぶん投げた。

 ドッジボールによって培われた投擲能力によって包丁は回転しながら和邇に飛んでいき、そのまま和邇の左目に深々と突き刺さった。


 「あっ武器投げちゃった!」

 『な~にやってんだ』


 投擲した後で我に返るがもう遅い。メルは衝動的に武器を手放してしまった。

 和邇は左目の苦痛でのたうち回っているが、未だに絶命する様子はない。和邇を殺すには更なる攻撃が必要になるだろう。


 「う~ん、どうしましょ……」


 和邇が吸い込みを止めたので、メルも踏ん張るのを止めて善後策を考える。

 真っ先に思い付くのは、和邇の巨体に飛び移って包丁を回収することだ。しかし和邇のぬらぬらした鱗は見るからに滑りやすい。飛び移って足を滑らせ池に落下、というのはいただけなかった。


 「ん~……あっそうだ」


 少しの間考え込んだメルは、有効と思われる作戦を思いついた。


 「包丁の力使いましょっか」


 次の瞬間、メルの瞳が赤い光を放つ。同時に和邇の左目に刺さった包丁から、紫色の炎が噴出した。


 『それ遠隔でもできんの!?』『包丁持ってなくてもあの火出せるんだ……』


 祟り神をも殺すほどの強力な呪詛が、和邇の頭蓋の内側を破壊し尽くす。

 和邇は苦痛に悶える暇もなく絶命し、その体は池のほとりに打ち上げられた。

 そして和邇が息絶えるのと同時に、メルの周囲にいた幽霊達が一斉に消滅した。先程サクラが言っていたように、和邇の絶命に伴って使役されていた幽霊達の魂が解放されたのだ。


 「あっ、ラッキ~」


 和邇の死体が陸に打ち上がったことで、メルは楽に包丁を回収することができた。

 メルが左目から包丁を引き抜くと、和邇の死体はボロボロと炭のように崩れ去っていく。そしてその残骸は豪雨によって流され、和邇がいた痕跡はあっという間に無くなってしまった。


 「ふ~、殺したぁ~」


 戦闘を終えたメルが一息吐いて、包丁を太もものホルダーへと戻そうとしたその時。

 パチパチパチ、と拍手の音が聞こえてきた。

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次回は明日更新します

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