第11回桜庭メルの心霊スポット探訪:相来寺 後編
「くっ、熊ぁ!?」
『熊!?』『クマ!?』『でっけぇ!?』
光が収まり目を開けたメルは、目の前の熊を見て絶叫した。
熊の体長はメルの身長の倍はある。大きさから言ってツキノワグマではなくヒグマだ。
しかもただのヒグマではない。熊の毛皮は墨汁で染めたかのように黒く、体の各所にマグマを彷彿とさせる赤熱したラインが走っている。
「グアアアアッ!!」
熊がもう1度咆哮を上げると、夜の空気がビリビリと震えた。
「この子は荒羆。江戸時代に北海道から海を泳いで本州に亘り、人食い熊として畏れられ続けたことで怪異化した大怪異よ」
いつの間にかメルと熊から距離を取っていた魅影が、得意気な口調でそう語る。
「そ、そんな怪異を呼び出して、何をするつもりですか……?」
「あら、決まっているじゃない。荒羆、おやつの時間よ」
魅影のその言葉を合図に、荒羆がその丸太のような腕をメルへと振り下ろした。
「ちょちょちょちょちょっ!?」
突然の戦闘開始に、メルは泡を食って後方へと退避する。
メルを捉えることのできなかった荒羆の腕が、地面へと叩きつけられた。
ドォンッ!!
「いっ!?」
花火が上がったかのような轟音に、メルは思わず耳を塞ぐ。
荒羆が殴りつけた地面には深いクレーターが形成されていた。
「あ、あんなの食らったら、メル挽肉になっちゃいますよ~……」
『ヤバすぎでしょ』『普通の熊でもまず勝てないのに』
荒羆の想像を絶する膂力に震え上がるメル。
そんなメルの様子を見て、魅影は楽しそうに笑っていた。
「ただでさえ日本最強の生物であるヒグマが、更に怪異としての力まで得たのよ。単純な戦闘能力だけなら祟り神に匹敵するかもしれないわ。さあ、あなたに殺せるかしら!?」
「何を悪いお金持ちの娯楽みたいなことしてくれてるんですか!?」
魅影に苦言を呈しつつ、メルは荒羆の腕を掻い潜りながら跳躍する。
そして空中で錐揉み回転しながら、荒羆の首筋へと包丁の刃を叩きつけた。
しかし。
「硬った!?」
荒羆の毛皮は金属かと思うほど硬く、遠心力で強化した刃ですら通る気配が無かった。
荒羆が蚊でも払うかのようにメルに向かって腕を振るう。メルは慌ててそれを躱すと、すぐさま後退して荒羆から距離を取った。
「ガアアアアッ!!」
荒羆は口を大きく開き、空気を震わす咆哮を上げる。
「っ、きゃあっ!?」
するとメルは全身に強い衝撃を受け、大きく後方に吹き飛ばされた。
凄まじい荒羆の咆哮が、衝撃波となってメルを襲ったのだ。
「かはっ!」
『メルちゃん!?』『大丈夫!?』
吹き飛んだメルの体は広場から雑木林へと突っ込み、木の幹に背中から衝突する。肺の空気が一気に吐き出され、メルは息を詰まらせた。
「う、うう……」
全身を強く打ち付けられたメルだが、幸いにも骨はどこも折れていなかった。痛む体を庇いながらふらふらと立ち上がる。
「ま、まさかメルが、遠距離攻撃を躱せないだなんて……」
ドッジボールを得意とし、これまであらゆる遠距離攻撃を回避してきたメル。しかしさしものメルと言えど、不可視かつ広範囲かつ音速の攻撃を回避することは不可能だった。
悔しさから視線を落とすと、ボロボロになった服が視界に入った。衝撃波や木への激突などで、あちこちがほつれてしまっているのだ。
「ああっ!?」
無残な姿になってしまった服に、悲壮な声を上げるメル。
「折角前回は服が無事なまま終われたのに……!」
毎度服がダメになってしまうことに定評のあるメルの配信だが、前回の配信は珍しく服をダメにすることなく終えることができた。そのことにメルは気を良くしていたのだが、今回はまた服がボロボロになってしまった。
「よくも……よくも!」
ボロボロのブラウスの裾を握り締め、メルは荒羆を睨み付ける。またしても服を新調する羽目になってしまったメルの怒りと悲しみは計り知れない。
メルの怒りに呼応して、メルの瞳孔が赤く光り始める。同時に包丁の刃が、紫色の炎を纏った。
(メルちゃん気を付けて!)
メルの脳内にサクラの声が響く。
(包丁の呪詛の力が引き出されているわ!怒る気持ちは分かるけれど、ひとまず怒りを抑えて)
(好都合じゃないですか)
(……え?)
(この状態なら、多分あの怪異も斬れると思うんです)
呪いの包丁は紫の炎を纏うことで、攻撃力が格段に上昇する。以前に同じことが起こった際には、通常の包丁の刃を弾き返す甲殻を持った怪異の体を、紫の炎を纏った包丁は容易く両断した。
荒羆の毛皮は包丁の刃を通さなかったが、紫の炎を纏っていれば切断できる可能性は充分ある。
(それは……そうかもしれないけれど……)
(どっちにしても普通の包丁だとあの怪異には効きません。呪いの力でも、使える物は使わなきゃ)
(……そうね。呪いを怖れてメルちゃんが死んでしまったら意味がないもの)
呪物の力を利用することに消極的だったサクラも、背に腹は代えられないとして最終的には頷いた。
「グルル……」
荒羆は唸り声を上げながらゆっくりとメルに近付いてくる。口の端からはぼたぼたと涎が滴っていた。
メルは迫り来る荒羆に向かって、姿勢を低く走り出した。
地を這うようにして距離を詰めるメルに対し、荒羆は腕を大きく振り上げる。
「隙ありっ!」
それはメルの狙い通りの行動だった。
荒羆が腕を振り下ろすのと同時にメルは跳躍し、荒羆の腕とすれ違うようにして錐揉み回転しながら跳び上がる。
メルが持つ包丁の炎が紫色の螺旋を描いた。
「てやあああっ!!」
メルが包丁を横薙ぎに振るい、直後に血飛沫が舞う。
荒羆の首筋には、一文字の傷が刻まれていた。
「グアアアアッ!!」
悲鳴と怒号が混じった絶叫を上げる荒羆。
「浅い……!」
メルは表情に悔しさを滲ませる。
荒羆の首を斬り落とすつもりで放った一撃だったが、実際には浅い傷を付けただけだった。出血量はかなりのものだが、あれでは致命傷には程遠い。
荒羆は怒りで瞳をぎらつかせながらメルを見下ろし、顎を大きく開いた。
「あっやばっ!」
「ガアアアアッ!!」
荒羆が咆哮による衝撃波を放つのと、メルがプロ野球選手さながらのスライディングで荒羆の股下を通り抜けるのは、ほぼ同時だった。
衝撃波によって地面の落ち葉は舞い上がり、木々は強風に吹かれたように激しく揺れ、細い枝が次々と折れて上空へ巻き上げられていく。
しかし荒羆の背後に回ったメルは、衝撃波の影響をほとんど受けなかった。肌が僅かにひりついた程度だ。
「危なかったぁ……!」
1度目の衝撃波を食らった際、メルは吹き飛ばされながらも、荒羆の後方に衝撃波の影響が及んでいないことを看破していた。
しかし回避方法を理解しているからといって実際に回避できるとは限らないので、無事回避できたことにメルは胸を撫で下ろす。
「グルル……」
メルが背後に回ったことの副次的な効果として、荒羆はメルの姿を見失っていた。
数秒もすれば背後のメルに気が付くだろうが、その数秒の隙はあまりにも大きい。
メルは静かに跳躍し、紫の炎を纏う包丁を振り被る。そして荒羆の首筋の一文字の傷目掛け、包丁で切りつけるのではなくその切っ先を突き刺した。
「ガアアアアッ!?」
刃が首に全て埋没するほど深々と突き刺された包丁に、荒羆は喉がはち切れんばかりの悲鳴を上げる。
メルが包丁を横にスライドさせるようにして引き抜くと、傷口から間欠泉の如く噴き出した血がメルの全身を赤く染め上げた。
「ガ、ァ……」
白目を剥いた荒羆が、ゆっくりと前のめりに倒れていく。その巨体は徐々に灰のように崩れ始めていた。
メルの「桜の瞳」にも、荒羆の体を包む赤い光が徐々に弱まっていくのが見える。
「ふ~……殺したぁ……いたた」
『すげぇ!』『熊殺してて草』『熊って包丁で殺せるもんなの?』
緊張を解いたメルは、思い出したように全身の打撲の痛みに襲われる。
パチ、パチ、パチと、ゆっくりとした拍手の音が聞こえた。
「お見事だわ。本当に荒羆を倒してしまうだなんて」
そう言いながら近づいてきた魅影に、メルは包丁の切っ先を向ける。包丁が纏っていた紫の炎は既に消失し、メルの瞳孔も元の色に戻っていた。
「荒羆を失ってしまったのは悲しいけれど、それに見合うだけの価値はあったわ」
「一体どういうつもりですか?何のためにメルをあのバケモノと戦わせたんですか?」
「ふふっ、それはないしょ」
魅影は唇に人差し指を当てて妖しく微笑んだ。
「答えるつもりがないなら、無理矢理にでも聞き出しますけど?」
「まあ怖い。乱暴なことをされる前に、そろそろお暇しようかしら」
「お暇できると思いますか?あなたのせいでメルの衣装は一式ダメになったんですけど?」
服をボロボロにした元凶である魅影を、メルはおめおめ逃がすつもりは無かった。
しかし。
「ええ、お暇できると思うわ」
魅影の体が、まるで見えない糸に持ち上げられるかのようにふわりと宙に浮きあがった。
「えっ、ええっ!?」
人間が宙に浮くという超常現象に、メルは呆気に取られてしまう。
「さようなら、桜庭メルさん。また近い内にお会いしましょう?」
メルが動けないでいる間に、魅影は手を振りながらその高度をどんどん増していく。
そして空に浮かぶ月に吸い込まれるようにして、魅影の姿は見えなくなってしまった。
「人間が……空を、飛んだ……?」
メルは空を見上げたまま呆然と呟く。
「まあ……そういう人もいるか~」
しかしメルはすぐに受け入れて納得した。幽霊だって実在するし、魔法使いめいた祓道師という人間にも会ったことがあるのだ。人間が空を飛ぶくらいどうということはない。
(サクラさん、怪異使いってどういう人達なんですか?)
メルは脳内で、怪異使いのことをサクラに尋ねた。メルより遥かに豊富な知識を持つサクラならば、怪異使いのことも知っているだろうと考えたのだ。
(ごめんなさい。怪異使いというのは私も知らなかったのよ)
(えっ、そうなんですか?)
しかしサクラの返事は芳しくなかった。
(単に私が聞いたことが無いだけなのか、それとも私が神様だった1000年前には怪異使いというのは存在していなかったのか……)
(サクラさんにも知らないことってあるんですね~)
(それは勿論あるわよ、私に全知の権能は無いもの。ただ、見ていて1つ分かったことならあるわ)
(分かったこと?)
(ええ。あの常夜見魅影という人間は、かなり怪異に近い存在ね)
サクラの言葉の意味が分からず、メルは首を傾げた。
(怪異に近いってどういうことですか?)
(あの子は人間でありながら、怪異のような性質を備えている。空を飛んだのも恐らく怪異的な能力ね)
(へ~、超能力者ってことですか?)
(そうね、結果としては超能力のようなものになるわね)
(魔法使いの次は超能力者か~)
前回今回と立て続けに厄介そうな人物と知り合ってしまったことに、メルは溜息を吐く。
(常夜見さん、近い内にまた会いましょうって言ってましたよね。また会いに来るつもりなのかなぁ)
(そうでしょうね)
(はぁ~……とりあえず、配信は終わりにしましょうか)
相来寺に幽霊が出るというのは、魅影のでっちあげだった。それが判明し、魅影もこの場を去った今、これ以上配信を続ける理由がない。
メルはサクラが構えるカメラに向かって話し始めた。
「え~っとですね。今回は何と言いますか、その……ガセネタを掴まされてたみたいで。申し訳ないんですけど、今日の配信はここまでということに……」
『え~』『残念』『仕方ないか』『まあ見たいもんは見れたしな』
メルが配信の唐突な終了を宣言するも、視聴者からの否定的な意見は少なかった。
というのも大半の視聴者にとってメルの配信に求めているのは、ホラーではなくド派手なアクションなのだ。そういった点では、メルが荒羆を殺した時点で需要は満たされている。
「なんかまた厄介そうな人と知り合っちゃいましたけど、これ以上厄介なことにはなってほしくないですね……」
『あの子可愛かったからまた出てきてほしい』
「ちょっとぉ!メルだって可愛いじゃないですか!」
『それはそう』『確かに』『メルも可愛いよ』
「っ……」
『照れるなら最初から言わなきゃいいのに』
「とっ、という訳で!皆さん次回の配信でまたお会いしましょう!それじゃあこの辺で、バイバ~イ!」
『照れてる照れてる』『声裏返ってるぞ』
顔を真っ赤にしたメルは、逃げるようにこの日の配信を終了した。
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