大学生・黒鐘智慧理の私生活 5
常夜見家諜知衆が占術によって特定した荒星の襲来予想時間である20時の少し前。
「不帰池、か……」
出現予想地点である不帰池に燎火と共にやってきた煌羅は、その表情を曇らせた。
「どうかしましたか?煌羅さん」
「前にさ、メルちゃんもこの不帰池で配信してたことあったよね」
「ああ、そうですね」
燎火も煌羅もメルの配信は欠かさずチェックしている。そのためメルが配信で訪れた場所には見覚えがあった。
「メルちゃんが不帰池で配信した時はさ、すっごい大雨が降ってて……その大雨は常夜見魅影が連れてきた祟り神のせいで……祟り神を倒すメルちゃん、カッコよかったなぁ……」
愁いを帯びた瞳で池を眺める煌羅。
「……大丈夫ですよ、煌羅さん。桜庭さんの記憶はきっと戻ります」
記憶を失う前のメルに思いを馳せている煌羅を、燎火は優しく慰める。
「何せあの常夜見魅影が桜庭さんの記憶を取り戻すべく奔走しているのですから。非常に癪ではありますが、あの女は大抵の無茶は押し通す女です」
燎火達幾世守家にとって魅影は不倶戴天の敵ではあるが、だからこそ燎火は魅影の実力を高く評価している。
だが燎火の励ましを受けても、煌羅の表情は晴れなかった。
「でもさ。記憶を取り戻すことが、ホントにメルちゃんにとっていいことなのかな?」
「……えっ?」
「燎火ちゃん前に言ってたでしょ?メルちゃんの記憶を戻すのは、祓道師としての理念に反するって」
「それは、っ……」
記憶を取り戻したメルは、まず間違いなく再び心霊スポット探訪を始める。そして心霊スポット探訪を続ける以上、幽霊や怪異と接触することは避けられない。
つまりメルの記憶を取り戻すことは、メルを再び怪異と関わらせることと同義。それは人々を怪異から守る祓道師の理念には反している。
燎火が以前言ったことだ。
「確かに私はそのように考えたことはありますが……桜庭さんの記憶が戻らない方がいいなどとは決して……」
「うん、燎火ちゃんがそんな風に思ってないのは分かってる。けどメルちゃんの警護してる時、メルちゃんよく大学の友達と楽しそうに喋ってるでしょ?」
「あの、王賀鼎さんという方ですか?」
「そう。あんな風にお喋りしてるメルちゃん見てると思うんだ。メルちゃんはこのまま幽霊のことも怪異のことも祟り神のことも私達のことも何もかも忘れて、普通の女のことして生きていく方が幸せなんじゃないかって」
「そんなことは……」
ない、と言い切ることは、怪異の脅威を知る燎火にはできなかった。
「でもやっぱりメルちゃんが私のことを忘れちゃってるのは死にそうなくらい悲しいの。もう2度とメルちゃんが私に笑いかけてくれないと思うと頭がおかしくなりそう」
煌羅は池を囲む転落防止柵に両手を置いて深く項垂れる。
「最近はもうずっと頭の中がぐちゃぐちゃで、どうしたらいいか分からないの……」
「煌羅さん……」
「……だからこのフラストレーションは、全部荒星にぶつけようと思うんだ」
「えっ?」
再び顔を上げた煌羅は、完全に目が据わっていた。
「荒星相手にめちゃくちゃに暴れれば、このぐちゃぐちゃの頭の中も少しはスッキリすると思うの」
「そ、そうかも、しれませんね……?」
「敵対的な地球外生命体なんて、どれだけぐちゃぐちゃにしても怒られないどころか褒められるんだもんね……?嬉しいなぁ」
「煌羅さん?」
燎火が思っていた以上に、煌羅はメルに忘れられたことで精神に異常を来していた。
「ああ、荒星……来るなら早く来てほしいなぁ……!」
煌羅のその願いに呼応するかのように。
「っ、あれは……」
突如として地面から3mほど離れた空中に、直径2mほどの玉虫色の穴のようなものが出現した。
「ワームホール、ってやつかな?」
「かもしれませんね……」
荒星は単身でワームホールを作り出し、それによって惑星間を移動する。2人は魅影からそのような説明を受けている。
荒星の出現予想地点に現れた穴がそのワームホールである可能性は高いが、何せ燎火も煌羅もワームホールなど見たことが無いので判断がつかない。
「――祓器召喚」
「祓器召喚!」
敵の出現に備え、燎火と煌羅はそれぞれ『白魚』と『亀骨』を召喚する。
直後ワームホールらしき穴の中から、何者かが姿を現した。
それは見えない足場に立つように空中に留まり、ゆっくりと周囲の状態を観察している。
「宇宙、飛行士……?」
それの姿を見た煌羅が小さく呟く。
それは体長約1.8mとほぼ人間同然の体格で、人間と同じように2本の腕と2本の足を持っていた。
頭部には宇宙服のヘルメットの様な形状で、ヘルメットの顔の部分は鏡のようになっていて内部の様子は伺い知れない。煌羅が宇宙飛行士という感想を抱いたのは、このヘルメットの形状のためだ。
だが宇宙服に似ているのは頭部だけで、首から下は宇宙服よりもかなりスタイリッシュで、胴体部分は特撮ヒーローのそれに近い。
「あの特徴、間違いありませんね」
燎火が小声で煌羅に囁きかけると、煌羅はきょとんと目を見開いた。
「えっ、何が?」
「あの未確認実体の外見は、儺遣御那実神から聞いていた荒星の外見的特徴と一致しています」
「……そんなの聞いてたっけ?」
「覚えていないのですか!?」
「ごめんね。最近気付いたら何時間も経ってることとかよくあってさ、記憶が飛び飛びなんだよね」
「本当に心配になるのでやめてください……」
こそこそ話す燎火と煌羅の存在に気付き、宇宙服めいたヘルメットが2人の方へと向けられる。
「ほう、出迎えか」
ヘルメットの向こう側から合成音声のような機械的な声が発せられる。
「……私達の言葉が話せるのですか?」
燎火が警戒しつつ意思の疎通を試みる。
「当然だ。このような原始的な惑星の一言語など、数時間もあれば解明できる」
本来感情など乗るはずもない機械的なその声に、燎火は隠し切れない傲慢を感じ取った。
「数百年前にこの星に襲来し、儺遣御那実神と交戦した地球外生命体というのは、あなたのことで間違いありませんか?」
「儺遣御那実神とかいう名前は知らんが、私はかつて私を退けた忌々しい女神への復讐に来た」
「そうですか」
外見的特徴と、女神に退けられた過去。この2つが合致している以上、この宇宙飛行士のような存在が荒星であることは間違いない。
「お名前をお伺いしても?」
「イオルムだ」
「イオルムさん、ですか。申し遅れました、私は……」
「そちらが名乗る必要は無い」
荒星改めイオルムは、燎火の名乗りを不躾に遮った。
「これから私に滅ぼされる未開生物の個体名など、わざわざ覚える必要が無いからな」
「……そうですか」
燎火の表情に変化は無かったが、親しい者が見れば頭に来ているのは明白だった。
「ではこれ以上の対話は無意味です。この星に害をもたらす余所者にはお帰り願いましょう」
「あの女神ならいざ知らず、未開生物2体だけで私と戦えるつもりか?」
「ええ。あなた程度、儺遣御那実神が出るまでもありません」
儺遣御那実神が出るまでも無い、といいうのは、言うまでも無く燎火の方便に過ぎない。今の儺遣御那実神は力を失っており、とてもイオルムと戦えるような状態では無いのだから。
だが敢えて自らの弱みを敵に見せることもない。
「煌羅さん、手筈通りに」
「はいは~い!」
煌羅は犬歯を覗かせ、獣のように獰猛に笑う。
「『鹿銕天狗』!」
身体強化祓道の極点、『鹿銕天狗』。その発動と同時に煌羅の髪は神秘的な水色に染まる。
「あはっ!」
煌羅が地面を蹴り、次の瞬間には煌羅の体は空中のイオルムへと肉薄していた。
「何っ……」
煌羅の速度にイオルムが反応する頃には、煌羅は既にイオルムの体に左手で触れていた。
「『虎嘯』!」
「くっ!?」
煌羅が発動した祓道によって、イオルムの体が吹き飛ばされる。
そしてイオルムが吹き飛んだ先には、夜空の月が映り込んだ不帰池の水面があった。
「イオルム、あなたの発言を1つ訂正しておきます。あなたは先程『未開生物2体だけで私と戦えるつもりか』と尋ねましたが……」
燎火は静かに、しかしどこか得意気にイオルムへと告げる。
「正確には、あなたの相手は3人です」
イオルムが池へと落ちる直前、水面が赤紫色に輝いた。
「何だと……?」
水面に接触したイオルムが、水中に沈むことなくその場から消失する。
「行きますよ煌羅さん!」
「もっちろん!」
燎火と煌羅も次々と不帰池に飛び込み、姿を消した。
イオルム、燎火、煌羅。3者が消えた不帰池に静寂が舞い降りる。
すると池の畔の茂みがガサガサと揺れ、そこから白い小動物が顔を出した。
「……上手くいきましたわ」
小動物……待雪は安心した様子で息を吐く。
「敵が水面に落ちるのに合わせて万花京への扉を開き、強制的に敵を万花京に送り込む……常夜見様は個性的な考え方をお持ちですわ」
待雪にとって万花京の扉は、誰にも見つからないようにこそこそと開くものだった。敵を敢えて万花京に送り込むために扉を開くというのは、待雪に、いや侏珠には存在しない考え方だ。
「っと、いけませんわ。わたくしも早く参りませんと」
待雪は小さな手足をセコセコと動かし、自らが開いた万花京の扉へとダイブする。
そして待雪が消えたのを最後に不帰池の水面は赤紫色の輝きを失い、何の変哲もない池へと戻った。
「ここは……何だ?」
見えない足場に立つように宙に浮かび、イオルムはゆっくりと周囲を見回す。
イオルムの視線の先に広がるのは、赤く染まった空とそこから時折降り注ぐ赤い雷、そして建物の大半が倒壊し荒廃した碁盤の目状の街並み。
「ここは万花京という街だそうです。私もこの目で見るのは初めてですが」
イオルムの背後から燎火が声を掛ける。
「四季の花々に囲まれ、朱色に彩られた美しい街と聞いていたのですが……今では見る影もありませんね」
万花京がこのように変わり果ててしまったのは、偏に御伽星憂依による襲撃のためだ。
憂依が万花京に対して仕掛けた無差別攻撃は、死者こそ出さなかったものの、万花京の美しい街並みの大半を破壊した。
その上街には反霊力の影響が残留し、侏珠達の居住は完全に不可能になってしまった。
今や万花京は捨てられた街なのだ。
「ですがだからこそ、私達が戦うには相応しい場所です」
イオルムは空間を操作し、街1つを容易く破壊するほどの攻撃力を持つ。
そんなイオルムと戦闘するにあたって、現実世界から隔絶され、尚且つ住人のいなくなった万花京は、これ以上ない戦場だった。
「私を閉じ込めた、という訳か。しかし無駄なことだ」
イオルムが右腕を伸ばす。
「私は空間を操る能力を持つ。この程度の異空間などすぐに脱出して……」
地球に現れた時と同じようにワームホールを作り出そうとするイオルムだが、
「……何だと?」
ワームホールは完成することなく崩壊してしまった。
「この万花京は召喚術すら使えないほどに現実世界から隔絶されています。空間操作能力を以てしてもここから脱出することは叶いません」
侏珠以外で万花京を脱出できるのは、祟り神となったメルくらいのものだ。
「だからあんたはここで私達にボコボコにされるしかないってこと!」
燎火の隣に水色の髪となった煌羅が並び立つ。
「覚悟してよ、今から私の溜まりに溜まったストレスを全部あんたにぶつけるんだから」
「私達は最早どちらかが斃れるまで戦い続ける他に道はありません。そして斃れるのはあなたの方です」
燎火は左手の人差し指を伸ばし、それを右手で握り込む。
「『礫火天狗・天火浄瑠璃』」
燎火の全身が光を放ち、灼熱の炎が人の姿を形作った。
「……思い上がるなよ、未開生物」
機械めいたイオルムの声には、明らかに苛立ちが含まれている。
そして戦いの幕が切って落とされた。
いいねやブックマーク、励みになっております
ありがとうございます
次回は明後日更新する予定です




