大学生・黒鐘智慧理の私生活 1
「智慧理~!」
正午。大学のキャンパスを歩いていた黒鐘智慧理は、名前を呼ばれて背後を振り返る。
すると見知った顔が手を振りながら、小走りで智慧理の方へと向かってきた。
「鼎。どしたの?」
王賀鼎。智慧理が大学に進学してから知り合った友人だ。
人懐こい性格で色々な情報を拾ってくるのが得意なので、智慧理も頼りにさせてもらっている。
「智慧理、もう帰るの?」
智慧理に追いついた鼎が、軽く呼吸を整えながら智慧理に尋ねる。
「ううん。学食でお昼食べてから帰ろうかなって」
「じゃあさ、私も学食行こうと思ってたから一緒にご飯食べよ?」
「いいよ」
智慧理と鼎は肩を並べて歩き出す。
「そう言えば聞いたけど、智慧理記憶喪失になっちゃったの?」
「うん、なんかそうみたい」
「私のこととか覚えてる?」
「覚えてるよ、さっき名前呼んだでしょ」
「あ、そっか」
鼎は恥ずかしがるように笑ったが、すぐにまた心配そうな表情を浮かべる。
「どれくらい忘れちゃった感じ?」
「ん~、ここ何ヶ月かのことをちらほら。例えばこれとか」
智慧理は自分の髪の毛を1房摘まんだ。
「私、鏡見てびっくりしたよ。いつの間にか自分の髪にこんなピンクのメッシュ入ってて」
「あ~、それね~。ちょっと前に急にその髪色になってたよ」
「らしいね。けどなんでこんなことしたんだろう?私別に髪染めたいとか思ってなかったと思うんだけど……」
「それは私も分からないなぁ。何で染めたのって聞いてもはぐらかされたし」
「そうなの?……何で染めたんだろう」
智慧理は首を傾げる。
「じゃあ記憶喪失って言っても、困ってることはあんまり無い感じなの?」
「それはすごくある」
「えっ?」
「大学の講義全然分からない」
「あ~……講義の記憶無くなっちゃったんだ?」
同情的な鼎に、智慧理は深刻な顔で頷いた。
「何ヶ月分かの講義の内容が丸々記憶に無いから、全然講義についていけない……このままだと全部の講義で単位落としちゃうよ……」
「あ、あはは……ま、まあ元気出してよ。レポートもテスト勉強も、私が手伝うからさ」
「ありがと~鼎ぇ~!」
智慧理がふざけて鼎に抱き着こうとしたその時。
「きゃっ」
キャンパス内に強い風が吹いた。
同時に鼎のトートバッグから、数枚のプリントが風に巻かれてバサバサと舞い上がる。
「あっ!?」
鼎は咄嗟にプリントを掴み取ろうとするが、プリントは鼎の手をすり抜けてあっという間に数mの高さにまで到達する。
「あ~……」
鼎がプリントの回収を諦めようとしたその時。
「てやっ」
智慧理が地面を蹴って高く跳び上がった。
近くの学部棟の壁を蹴ることで智慧理の体は更なる高みにまで昇っていく。
そして智慧理の手が鼎のプリントを掴み取った。
「はい、鼎」
華麗な着地を決めた智慧理が、回収したプリントを鼎に差し出す。
「ごめんね、ちょっとくしゃくしゃになっちゃった」
「わ~!ありがとぉ智慧理~!」
鼎はプリントを受け取るよりも先に智慧理に抱き着いた。
「すごいよぉ~智慧理!スーパーヒーローみたい!」
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟じゃないよ!だって10mくらいジャンプしてたよ!」
「分かった、分かったから頭グリグリするのやめて?鎖骨に当たって痛い。あとそろそろ学食行かないと混んじゃう」
「あっ、そうだね」
鼎は智慧理から離れてプリントをトートバッグに仕舞い、それから2人は改めて学食へと向かった。
「今日集まってもらったのは他でもないわ」
某所の会議室。魅影はそこに集まった面々をぐるりと見回した。
その場にいるのは魅影を除いて5人。
燎火、煌羅、虚魄、待雪(人間の姿)、それから……
「あの、1つよろしいでしょうか」
燎火が魅影の言葉を遮り手を上げる。
「何よ、幾世守燎火」
「その、そちらの方は……」
燎火が困惑しながら右手で示したのは、この会議室における6人目の人物。
ピンクのブラウスに黒いスカート。黒と桜色の2色の髪を纏めたツインテール。
その人物の容姿はまさしく桜庭メルのものに他ならなかったが、その人物がメルではないことは一目瞭然だった。
まずその人物はメルとは違い、瞳が桜色だ。そして何より、纏う雰囲気がメルとは全く別物だ。
「サクラさん、ですよね?」
燎火がそう尋ねると、桜色の瞳のメルは頷いた。
「久し振りね、燎火ちゃん。こうしてお話しするのは矢来神社以来かしら」
「ええ、はい、お久し振りです……あの、どうしてサクラさんが?」
かつては神格だったサクラだが、現在ではメルの中に意識のみが存在する、幽霊にも満たないような存在だ。
それがこうして物質的な肉体を持って目の前に現れれば、燎火が困惑するのも無理はなかった。
「前の時と同じで、メルちゃんが作り出した分身に意識を間借りさせてもらっているの。今は待雪ちゃんと一緒に常夜見家にお世話になっているのよ」
「サクラさんの件についても、順を追って説明させてもらうわ」
サクラの説明を、途中で魅影が引き取った。
「という訳でそろそろ本題に入りたいのだけれど……幾世守煌羅は一体どうしたのよ」
魅影は呆れた視線を煌羅に向ける。
煌羅は机に頭を突っ伏したままピクリとも動かない。死んでいると言われたら普通に信じるレベルだ。
「幾世守燎火、どうしたのよコレは」
「申し訳ありません……煌羅さんには今回の件がショック過ぎたようで……ここしばらくはずっとこのような調子で……」
「ああ……つまりうちの妹と同じ状態ね」
魅影は虚魄に視線を向ける。
虚魄も煌羅と同じように、机に突っ伏したまま微動だにしていない。
「では虚魄と幾世守煌羅は戦力外ということで……」
使い物にならない2人を非情にも切り捨てる魅影。
「今回あなた達に集まってもらったのは他でもないわ」
ようやく魅影が今回この6人を集めた目的について言及する。
「桜庭さんをどうするか。この6人で話し合っていきたいのだけれど」
「どうするか、というのは?」
真っ先に疑問を口にしたのは燎火だった。
「会議の目的としては些か具体性に欠けているように思われますが」
「言わなくても察しは付くでしょう?けれどまあ、敢えて口にするとすれば……桜庭さんが失った記憶を復元する方法についてよ」
瞬間、会議室にいる全員の顔(煌羅と虚魄除く)に緊張が走る。
「ただそれについて本格的に話し合う前に、まずは桜庭さんが記憶を失うきっかけとなった、リバーサルワークスの件について報告させてもらってもいいかしら?あなた達にとっても無関係な話ではないもの」
燎火、煌羅、待雪の3人は、リバーサルワークスの捜索に少なからず関わっている。
虚魄は直接捜索には関わっていないが、常夜見家の一員である以上無関係では有り得ない。
唯一サクラは直接的な関与は無いが、まあメルと一心同体なので関係者と言っていいだろう。
「大変正索冥郷将石蕗への聴取によって、リバーサルワークスの所在が万花京にあると判明し、私と桜庭さんと待雪さんはすぐに万花京に向かったわ。本当は幾世守燎火と幾世守煌羅にも声を掛けたかったのだけれど、御伽星憂依に先手を打たれる可能性を考えると、少しでも早く動きたかったの」
燎火と煌羅が万花京に同行していれば、リバーサルワークスを巡る戦いは違った結末を迎えただろう。
それを思うと魅影は当時の判断を悔やまずにいられなかった。
「万花京の宝物庫でリバーサルワークスを発見したところまでは良かったのだけれど、そこで御伽星憂依が万花京に現れたわ。御伽星憂依は侏珠を取り込むことで、自らの力で万花京への侵入が可能になっていたの」
憂依は万花京に対して無差別に攻撃を仕掛けていた。
今思えばあれは、メルと魅影の位置を炙り出すためだったのだろう。
「私は御伽星憂依に不意を突かれて無力化され、桜庭さんが御伽星憂依と交戦したわ。そして戦いの中で桜庭さんは命を落とし、再び祟り神となった」
魅影がサクラに視線を向ける。
「サクラさんが桜庭さんから切り離されたのはこの時よね?」
「ええ。メルちゃんはどうやら、祟り神になると無意識に私を切り離す癖があるようね」
メルは最初に祟り神になった時、無意識下に分身という形で自分からサクラを切り離した。
そしてそれと同じことを、メルはまた意図せずに行ったのだ。
「再び祟り神となった桜庭さんは万花京を脱出し、恐らくは成層圏に移動。そこで桜庭さんは御伽星憂依を殺害したわ」
当時魅影は意識を失っていたため、メルが再び祟り神となった後の行動は全て魅影の推測だ。
たが流石は魅影というべきか、その推測はほとんど的中していた。
「そして御伽星憂依を殺害した後、桜庭さんは自殺を試みたと私は推測しているわ。桜庭さんには転生術式を教えてあったから、自殺の際にそれを使えば数日で元の人間に戻ることができるもの」
「御伽星憂依……あなたはこのような事態を予想して、桜庭さんに転生術式を教えたのですか?」
「別に桜庭さんが再び祟り神になることを確信していた訳ではないわ。ただもしそうなったら役に立つと思って、念のために教えておいただけよ」
そして今回、その「念のため」が大いに役立ったということになる。
「ただ……転生術式によってまた人間として生まれた桜庭さんは、どういう訳か記憶の一部を失っていたわ。桜庭さんの様子をしばらく観察してみたところ、どうやら『桜庭メル』としての活動し始めてからの記憶を全て喪失しているようね」
煌羅の体がピクッと動いた。
「今の桜庭さんは自分が心霊系ストリーマー『桜庭メル』として活動していたことを忘れ、普通の大学生『黒鐘智慧理』として学生生活を送っているわ。というか桜庭さん、本名黒鐘智慧理っていうのね」
魅影は「桜庭メル」が本名ではないことは知っていたが、メルの本名を知ったのはこの機会が初めてだった。
「『桜庭メル』としての記憶を失っている以上、当然『桜庭メル』として知り合った私達のことも、すっかり忘れてしまっているようね」
「……ううっ、ぐすっ、ぐすっ……」
咽び泣き始める煌羅。
煌羅が意気消沈している理由は、メルが煌羅のことを忘れてしまったからに他ならなかった。
他の面々も大なり小なりメルに忘れられたことへのショックを受けているが、メルに恋愛的な好意を寄せていた煌羅のダメージは比にならない。
「ひぐっ……ふぇぇ……」
そしてメルの大ファンである虚魄も、推しから忘れられたショックで同じように号泣していた。
地雷系ファッションではなくなり、心霊ストリーマーでもなくなり、更には桜庭メルですら無くなったという完全タイトル詐欺エピソード
多分しばらく続きます
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次回は明後日更新します




