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第9回桜庭メルの心霊スポット探訪:糸繰村 四

 「思ったより歩きますね……」


 シトリ様の赤い糸を辿って歩き始めてから、30分が経過していた。

 距離で言えばそこまで歩いていないのだが、道の整備されていない山の中は歩きづらく、実際の距離以上に時間がかかっていた。


 『よくそんな格好で山の中歩けるよな』『足元パンプスだろ?』

 「パンプスは履き慣れてますから」

 『メルって山の中でも平地と同じ速度で走れそう』

 「あっ、メルそれできますよ」

 『マジか』『草』


 機械音声で読み上げられるコメントに答えながら、メルは山の中を進んでいく。

 山の中で聞こえる音といえば、獣や虫の鳴き声や、風に揺れる木々の枝が擦れる音。夜の散歩のBGMとしてはいささか不気味だ。


 「ぐすっ……ぐすっ……」


 そんな自然のBGMに混じって、メルは何か声のようなものを聞いた。


 「ん?今の声……」

 『声?』『声ってなんの?』


 聞こえた声は小さく、視聴者にまでは届いていない様子だった。


 (サクラさんは聞こえました?)

 (ええ、聞こえたわ。子供の声のようだったけれど……)


 しかしメルのすぐ側にいるサクラは、メルと同じ声を聞いていた。これでメルは少なくとも自分の幻聴ではないという確信を持てた。


 「ぐすっ、ぐすっ……」


 耳を澄ますと、やはりどこからか声が聞こえてくる。サクラの言う通り、子供の泣き声のようだ。


 (こんな夜遅くに山の中に子供なんていますかね?)

 (普通はいないわね)

 (ってことは、普通じゃないってことですよね)


 メルは自らの聴覚を頼りに、声の聞こえる方向を探る。


 「……おっ、これは」


 奇しくも声が聞こえた方向は、アクモの居場所を示すシトリ様の赤い糸が伸びる方向と一致していた。


 「ちょうどいいですね、行ってみましょう」


 地面に落ちた木の枝を踏みしめながら歩いていくと、聞こえてくる鳴き声も徐々に大きくなってくる。

 そしてガサガサと茂みを掻き分けると、太い木の根元に蹲っている小さな背中が見えた。


 「ぐすっ、ぐすっ」


 先程から聞こえている鳴き声は、その子供が発しているものだった。背丈からして恐らく小学校低学年。男の子か女の子かは背中だけでは分からない。

 いずれにせよ、こんな小さな子供が夜の山奥で1人泣いているのは、明らかな異常事態だ。


 「あの……どうかしましたか~?」


 メルは子供に声を掛けながら、ゆっくりとした足取りで子供に近付いていく。

 そして子供に触れることのできる距離まで近付いたメルは、子供の肩に手を掛けようと左腕を伸ばし……


 「……気付いてないとでも思いました?」


 ……素早く背後を振り返ると、右手の包丁を横に振り抜いた。

 ガキン!という金属同士がぶつかるような音と共に、槍のようなものが包丁の刃によって弾き飛ばされる。


 「夜遅くにこんな山奥に子供が1人でいて、怪しまない訳無いじゃないですか。あんまり人間をなめないでください」


 啖呵を切るメルの視線の先にいるのは、1匹の蜘蛛だった。その蜘蛛の全長はメルの身長とほぼ同じで、シトリ様ほどではないにせよ巨大な蜘蛛だ。

 メルが包丁を振るって弾き飛ばした槍のようなものの正体は、その蜘蛛が持つ非常に鋭い脚だった。そして8本ある脚の内の1本には、メルの左手首から伸びる赤い糸の端が括りつけられている。


 「あの蜘蛛がアクモってことで間違いないですね……」


 赤い糸はアクモの居場所を示すもの。その先端が結びついていたということは、この巨大蜘蛛こそがアクモであるということに他ならない。

 メルがそのことに気付くと同時に、赤い糸は空気に溶け込むようにして消失した。役目を終えた、ということのようだ。


 「シュルルルル……」


 巨大蜘蛛は不気味な音を発しながら、8つの目でじっとメルを見つめている。

 するとメルの背後から、ドサリと何かが落ちるような音が聞こえてきた。

 ちらりと背後に視線を向けると、つい先程まで泣きじゃくっていた子供が地面に倒れている。まるで糸が切れた操り人形のように、倒れたままピクリとも動かない。


 「っ!?」


 アクモが人間の死体を糸で操るというのは何度も聞いていた。子供を発見した時も、アクモが糸で操っている死体の可能性は考えていた。

 しかし実際に息絶えた子供の姿を目の当たりにしたことで、メルは激しい動揺を覚えた。


 「シュルルル!」


 そしてメルが動揺した一瞬の隙を逃さず、アクモはメルに飛び掛かってきた。

 アクモの槍のように鋭い脚が、メルを串刺しにしようと迫る。


 「ひゃっ!?」


 隙を突かれたメルは回避行動が遅れ、右肩を掠めたアクモの脚がブラウスを大きく引き裂いてしまった。

 だが幸いにも服が破れただけで、メル自身は傷を負うことは無かった。


 「よくも服を破いてくれましたね……!買い換えたばっかりだったのに……!」


 メルは前回の配信で祟り神と戦い、その結果お気に入りの服が一式ダメになってしまった。そのため新しいものに買い替えたばかりだったのだが、その新品同然のブラウスがアクモによってまた破られてしまった。


 『ここんとこほぼ毎回服ダメにしてない?』『かわいそうだから投げ銭してやるか』『¥5000 服代の足しにして』


 同情した何人かの視聴者が投げ銭機能を使ってメルに送金をしてくれているが、怒りに震えるメルはそれに気付いていない。


 「……許さない!」


 メルが包丁を振るい、アクモへと襲い掛かる。

 包丁の刃とアクモの脚が激しくぶつかり合い、連続した金属音が夜の山に響く。


 「くっ、速い……!」


 アクモは8本ある脚の内、左右の1番前にある2本の脚を攻撃に用いていた。

 2本の脚を使えるという時点で、包丁を1振りしか持たないメルと比べて単純に手数は2倍。更にアクモは動きも俊敏で、メルは防度々防御に回ることを強いられた。


 「しかも、硬い……っ!」


 素早さだけでなく、アクモの防御力も厄介だった。

 金属音を響かせていることからも分かるように、アクモの外殻は非常に硬い。呪いの包丁の刃を弾くというのは、これまでメルが対峙してきた相手の中でも上位の防御力だ。


 「シュルルッ!」

 「うわっ!?」


 メルが躱したアクモの前脚が、メルの背後にあった木の幹に突き刺さる。

 するとアクモの前脚は幹に大きな穴を穿ち、その木はバキバキと派手な音を立てながら倒壊した。


 「速くて硬くて、攻撃力まで高いとか……そりゃシトリ様も自分より強いって言いますよね。シトリ様の強さは知らないですけど」


 アクモによって倒された木を目の当たりにして、メルは頬に冷や汗を流した。


 「シュルルル!」


 アクモは2本の前脚を器用に使い、メルに刺突の連撃を繰り出してくる。


 「でもメル、知ってるんですよ」


 体捌きを駆使して連撃を掻い潜りながら、メルは包丁でアクモの右の前脚を大きく弾き飛ばした。


 「硬い敵っていうのは……」


 体勢を崩して無防備になったアクモの懐に、メルは素早く潜り込む。


 「関節を狙えばいいんです!」


 そしてメルはアクモの右前脚の、最も根元に近い関節を狙って包丁を振り抜いた。

 包丁は甲殻に弾かれることなく、アクモの右前脚を切断する。可動域を確保しなければならない関節は、他と比べて甲殻の守りが薄かったのだ。


 「シュルルルルッ!!」


 激昂したアクモは残った左前脚を振り下ろすが、その時メルは既に至近距離から離脱していた。


 「服の恨みは命より重い……まだまだこんなものじゃ済ませませんよ……!」

 『キレすぎだろ』『なんでそんなキレてんの?』『前は服破られてもそんなに怒って無かったじゃん』

 「今までの蓄積ですよ蓄積!メルがこの短期間で何着ブラウス買ったと思ってるんですか!」


 メルは怒りの勢いそのままに地面を強く踏み込み、アクモとの距離を一瞬で詰める。

 アクモがその動きに反応するよりも早くメルは包丁を抜き放ち、アクモの左前脚をも斬り飛ばした。


 「シュルルルッ!」


 再び足を切断され、怒りを露わにするアクモ。しかし右前脚を切られた時に比べると、心なしか威勢が弱まっている。

 脚を2本も切断されたのだ。そのダメージは決して少なくない。


 「まだまだ!」


 メルはヒットアンドアウェイと言わんばかりに1度アクモから距離を取り、それからまたアクモの脚を狙って攻撃を仕掛ける。

 ブラウスをダメにされた怒りがいい具合に力へと転化されているのか、時間が経つごとにメルの動きは機敏さを増していた。

 3本目、4本目と、切り離されたアクモの脚が次々と宙を舞う。

 あっという間にアクモの脚は、左右に1本ずつが残るのみとなってしまった。


 「シュ……シュル……」


 脚の大半を失ったアクモは、当初と比べると見るからに弱っていた。


 「糸繰村を長年苦しめていた怪異が、無様な姿ですね」


 未だ怒りが収まらないメルは、いつになく挑発的な言葉を口にする。


 「シュルルルルッ!!」


 メルの挑発が理解できたのか、アクモは8つの目を輝かせてメルを威嚇する。

 それと同時に、メルは背後に何者かの気配を感じた。


 「誰っ!?」


 その場から飛び退きつつ背後を振り返るメル。

 そこにいたのは大柄な男だった。メルに掴みかかろうと、両腕を前に突き出している。


 「男の人……?なんで?」


 この場に自分以外の人間が現れることは予想だにしておらず、メルは困惑する。

 幽霊や怪異の線を疑って桜の瞳で見てみても、その男には何色の光も見えない。見た目通り普通の人間であるらしい。

 一体どういうことかと首を傾げたところで、メルは男の両目に光が宿っていないことに気付いた。死んだ魚の目のように、まるで生気が感じられない。


 「まさか……」


 男が再び掴みかかってきたところに、メルは左手で痛烈なビンタを放つ。

 バチーン!という小気味の良い音と共に、男は盛大に吹き飛んだ。


 「冷たい……」


 メルは神妙な表情を浮かべながら、左手の感触を反芻するように、握っては開いてを繰り返す。

 男をビンタした際、メルは男の体温を全く感じなかった。普通であればあってしかるべき生物的な温かさを、男は持っていなかったのだ。

 体温を持たない人間がいるとは考えにくい。しかし桜の瞳は男が幽霊や怪異でないことを証明している。

 となると、考えられるのは1つだ。


 「この男の人も、あなたが糸で操っている死体ってことですか」


 メルは振り返り、アクモを睨み付ける。


 「シュルル……」


 人語を話さないアクモは、当然メルの質問に答えることはない。

 しかしアクモの鳴き声は、メルに対して勝ち誇るようなニュアンスが感じられた。

 すると周囲の茂みや木の陰から、続々と人間が姿を現した。

 人数は合計で約20人。下は子供から上は老人まで、老若男女入り混じっている。

 そしてその中には、左の頬に大きな火傷の跡がある男性の姿もあった。


 「あれは……村西さん?」


 左頬に火傷の跡がある男性というのは、22年前に行方不明となった村西という男性の特徴と一致する。

 その村西が今ことに現れたということは、村西はやはりアクモに殺されていたのだ。

 そしてその事実は、糸繰村で「シトリ様の災い」とされていた一連の現象が、実際にはアクモの仕業だったことの証明でもある。


 「こんなにたくさんの人を、あなたは殺してきたんですね」


 メルは自分を取り囲む、目から光を失った死人達をぐるりと見回す。

 彼らは皆、アクモによって命を奪われた犠牲者達だ。そして彼らはあくまでも、犠牲者の一部に過ぎない。

 アクモがこれまで奪ってきた命の数々を目の当たりにして、メルの目付きは鋭さを増した。


 「シュルルル!」


 アクモが甲高く鳴き、それを合図に死人達が一斉に襲い掛かってくる。

 メルは彼らを迎撃するために包丁を振るおうとしたが、寸前でそれを躊躇った。

 今頃糸繰村では、ヒヨリや村長達がメルの配信を見ているはずだ。そんな中でかつての村の住人を包丁で切りつけるのはあまりにも心証が悪い。


 「しょうがない、っ!」


 メルは包丁を用いずに戦うことを余儀なくされた。

 幸い死人は幽霊とは違い、メルの方からも接触することができる。包丁無しで戦うことも可能ではあった。


 「てやああっ!」


 迫り来る死人達を、メルは回し蹴りで迎え撃つ。

 フィギュアスケートのような華麗な回転によって360度全方向に放たれた回し蹴りは、死人を5~6人まとめて吹き飛ばした。


 「ていっ!ていっ!てやぁっ!」


 右手の包丁を素早く太もものホルダーへと収納し、死人の集団相手に見事な立ち回りを見せるメル。その様子はさながらアクション映画の殺陣のようだ。

 死人達はゾンビ映画のようにただメルに掴みかかってくるばかりで、格闘技能を発揮する素振りは見せない。フリルを揺らしながら華麗に舞うメル相手には蹂躙されるばかりだ。

 しかし死人はメルに倒された側から次々と立ち上がってくる。死人はアクモが糸で動かしているため、死人自体への攻撃はあまり意味を為さないのだ。


 「これじゃあホントにゾンビ映画じゃないですか!」


 倒しても倒しても平然と立ち上がるタフネスに、メルは思わず絶叫する。


 「埒が明かない……!」


 このままではメルの体力が先に尽きてしまう。

 そう判断したメルはカポエイラめいた動きで周囲の死人を吹き飛ばすと、自身は地面を蹴って高く飛び跳ねた。

 着地の瞬間を捉えようと、死人達はわらわらと群がってくる。


 「とりゃっ!」


 しかしメルは死人達の裏をかくように、近くに生えていた木の幹を蹴り、その勢いを利用して更に高く跳び上がった。


 「そりゃあああっ!」


 2段階のジャンプによって、死人の軍勢の頭上を大きく飛び越えるメル。空中でスカートの中に右手を忍ばせ、太もものホルダーから呪いの包丁を抜き取る。

 そしてメルが跳躍したその先の落下予測地点にはアクモの姿がある。アクモはその場から離れようとするが、脚の大半を奪われたアクモはまともに動くことすらままならない。


 「糸繰村の人達と……メルのブラウスの……仇ぃぃぃぃ!!」


 怒りに燃えるメルの瞳孔が、俄かに赤い光を放つ。そしてメルの怒りに呼応するかのように、包丁の刃から紫色の炎のようなものが噴き上がった。


 「てやあああっ!!」

 「シュルルルルッ!?」


 着地と同時に、メルが包丁を振り下ろす。その斬撃は硬い甲殻に覆われたアクモの体を容易く両断した。


 「シュ、ル……」


 体を真っ二つにされたアクモは当然のごとく死に至り、その亡骸は即座に無数の灰となって風に吹かれ消滅する。

 同時に死人達がバタバタと倒れ、そのまま動かなくなった。

 糸で操っていたアクモが死亡したことで、死人達もまた本来の死体へと戻ったのだ。


 「ふぅ……」


 戦いを終えたメルは深く息を吐き、体の緊張を解く。同時に、赤く変化していた瞳孔は元の色へと戻り、包丁が纏っていた紫色の炎も消失する。

 するとどこからか、パチパチと拍手の音が聞こえてきた。


 「いやあ、見事だったよ」


 そう言って木陰から姿を現したのはシトリ様だった。厳密に言えば、シトリ様が自らの糸で作り出した、人間との意思疎通用の人形だ。


 「まさか人間が本当にあの怪異を討伐してしまうとは。君のような人間は本当に初めてだ」

 「……」


 メルはシトリ様に視線を向けると、無言のまま右手の包丁を投擲する。


 「うわっ!?」


 慌てて飛び退くシトリ様。包丁はその背後にあった木の幹に、カッ!と小気味いい音を立てて突き刺さった。


 「どういうつもりだ!?いきなり包丁を投げるだなんて!」

 「いや~……黒幕っぽく登場したから、黒幕なのかな~と思って」

 「だからっていきなり包丁投げるかい!?」


 シトリ様は心臓に当たる位置を手で押さえて猛然と抗議する。


 「だって包丁が刺さったとしても、それってただのお人形じゃないですか。シトリ様痛くないでしょ?」

 「そうだけども、驚くものは驚くんだ!2度と出会い頭に包丁を投げないでくれ!」

 「はぁい……それで、シトリ様はなんでここにいるんですか?」


 メルは包丁を回収しながらシトリ様に尋ねる。


 「もしかしてメルのことストーキングしてました?」

 「すとーきんぐ……知らない言葉だが、きっと碌な意味ではないんだろう。違う、そうじゃない。私は君が心配でついてきたんだ」

 「心配?」

 「ああ。君がアクモに殺されやしないかとね。私はアクモには勝てないが、君の戦いを手助けすることならできると思ったんだ」

 「え~、いい人~」

 「軽いな……まあ、私の手助けなど君には必要なかったみたいだがね」


 シトリ様は肩を竦めた。


 「あっ、それなら今からメルを手伝ってくださいよ」

 「今から?一体何をするつもりだ?」

 「この人達を、糸繰村に連れて帰ってあげたいんです」


 メルはアクモによって殺された人々の亡骸を指差した。


 「メルが1人で運ぼうと思ったら、何十往復かかるか分かったもんじゃないので……」

 「そうだな、微力ながら協力しよう。彼らもせめて自らの故郷で安らかに眠るべきだ」


 シトリ様がパチンと指を鳴らすと、どこからともなく無数の糸が伸びてきて、全ての亡骸を蚕の繭のように包み込んだ。

 そうして全ての故人を個別に包み終えると、繭達は宙に浮きあがり、ロープウェイのような挙動で移動し始めた。


 「私の糸は長距離輸送にも役立てることができる。30分もあれば、彼ら全員を糸繰村まで送り届けることができるはずだ」

 「え~すご~い。ところで指パッチンしたのって何か意味あるんですか?」

 「……無いよ。演出だ、演出。そういうのは思っても口に出すべきでないよ」


 メルの無粋な質問に、シトリ様は不貞腐れるように顔を顰めた。


 「じゃあメルはそろそろ村に戻りますね。あっ、シトリ様も一緒に来ます?」

 「勿論行くさ。犠牲者を送り届けなければならないからね。ただその前に、君に言っておきたいことがある」

 「言っておきたいこと?」

 「君がアクモとの戦いで、最後に使った力のことだ」

 「……ごめんなさい、何のことですか?」


 メルはアクモに引導を渡す直前、瞳孔が赤く光り、包丁から紫色の炎が噴出するという変化を見せた。しかしメル自身は、それらの変化に対する自覚が無かった。


 「なんだ、無自覚なのか。君の包丁は当初アクモの甲殻に弾かれていたが、最後にはアクモの体を両断できただろう?」

 「はい。高くジャンプして勢いをつけましたから」

 「確かにそれも理由の1つではあるだろう。しかし君が最終的にアクモの甲殻を切断できた最大の理由は別にある」

 「別の理由?」

 「その包丁そのものの力だ」


 シトリ様がメルの右手の包丁を指差す。


 「君はその包丁で、2体の祟り神を討ったと言ったね?それ以外にも今回のアクモのように、その包丁で怪異を葬ってきたんだろう」

 「まあ、はい」

 「私の見たところ、その包丁は命を奪うごとに呪詛を増す性質があるようだ。もしかしたら、殺した相手の呪いや祟りを吸収しているのかもしれない」

 「へ~、これってそういうやつだったんですか」

 「よく何も知らないで使ってきたな……」


 メルは改めて包丁をまじまじと見つめる。しかしメルの目には、刃が赤黒くなったただの包丁にしか見えない。


 「君の様子を見るに、今まではその呪物による影響は何も無かったのだろう。しかし君が気付かない間に強まり続けた呪詛は遂に今日、君の怒りの感情に呼応して目に見える形で発現した」

 「ん~……いまいち話が見えてこないんですけど。要するにメルがアクモを斬れたのは、包丁の呪いのおかげってことですか?」

 「雑にまとめるとそういうことになるね。包丁の呪詛は命を奪うことに特化しているようだから、その呪いが表出した結果として攻撃力が増したんだろう」

 「じゃあいいことじゃないです?そのおかげでアクモも殺せましたし」

 「今回に限れば悪いことではないだろう。しかしその力はあくまでも呪詛だ。使い続ければいずれ君を蝕むことになるだろう」

 「そういうものですか?」


 首を傾げたメルの脳内に、サクラの声が響いてきた。


 (私も同じ意見よ、メルちゃん)

 (サクラさん?)

 (その包丁を使うなとは言わないけれど、使い方は考えなければいけないわ。そうでなければあの蜘蛛の言う通り、メルちゃん自身が呪いに蝕まれてしまう)

 (う~ん……サクラさんがそう言うなら気を付けます)


 シトリ様とサクラの言っていることはメルにはよく分からなかったが、それでも心には留めておくことにした。


 「分かりました。今後は気を付けます」

 「なんだ、急に物分かりがいいな……まあ、分かったならいいさ。それじゃあ糸繰村に向かおう。付いてきなさい」

 「あなたが先導するんですか?まあ、いいですけど……あ、ちょっと待ってください」


 先んじて動き出したシトリ様の動きを制し、メルはカメラの方に向き直った。


 「それでは皆さん、今日の配信はこの辺で終わりにしたいと思います!」

 『えっ』『なんで急に』『ここまで来たら最後まで見せてよ』

 「いやあの……スマホの充電もう無くて……」

 『草』『ならしゃーない』


 今日の配信はいつになく長時間になった。始まったのは昼過ぎで、今はもうすっかり夜だ。

 それだけの間撮影をし続けていたため、カメラとして使っているスマホの充電は底をつきかけていた。

 メルとしても折角だから糸繰村に戻るまでは配信を続けたかったが、それに耐えうるだけのリソースが残っていないのだ。


 「という訳で皆さん、今度から配信の時にはモバイルバッテリーを用意しますので、今日はここまででごめんなさい!それじゃあ皆さん、また次回の配信でお会いしましょう!バイバ~イ!」


 いつ充電が尽きてもおかしくないので、メルは心持ち早口で配信を締めた。


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