第9回桜庭メルの心霊スポット探訪:糸繰村 三
「結構暗くなってきましたね……」
太陽は既に沈み、空はすっかり黒く染まった。
祭祀場へと向かうメルの視界を確保するのは、額に装着したヘッドライトの光だけだ。
『そのヘッドライト使ってるの久しぶりだね』
「そうなんですよ~。折角奮発して買ったのに、この頃あんまり使う機会なくて~」
心霊系ストリーマーという都合上夜に配信する機会の多いメルが、懐中電灯で片手が塞がるのを嫌って購入したヘッドライトだが、このところはあまり出番が無かった。
たまたま昼に配信したり、バイクに乗るためにヘッドライトではなくヘルメットを装着したりと、最近の配信はヘッドライトに向かい風だった。
しかしこうして今日、ヘッドライトは久方ぶりの晴れ舞台を迎えたのである。
「やっぱり便利なんですよね~、これ」
奮発して購入しただけに、ヘッドライトが役立ってメルはご満悦だ。
祭祀場に続く道の目印として設置された石柱も、ヘッドライトのおかげで見落とす心配は無い。
しばらく石柱を辿って歩いていると、メルは少し開けた空間に出た。
「あっ、祭祀場ってここですかね」
そこは祭祀場と呼ぶにはあまりに殺風景だった。ただ空間が確保されているだけ、という印象をメルは受けた。
「何にも無いですね~、祭祀場っていうくらいだからもっと神社みたいな設備があるのかと思ってたんですけど」
なんだか拍子抜けしたメルだが、考えてみると納得だ。
糸繰村の人間にとってこの祭祀場は、シトリ様に生贄を捧げるための忌むべき場所。好き好んで整備しようとは思わないだろう。
祭祀場に足を踏み入れ、キョロキョロとあちこちを見回すメル。
しばらくそうしていると、ふと空から注ぐ月の光に影が差した。
「ひっ!?」
頭上を見上げたメルは、思わず引き絞るような悲鳴を零す。
そこには全長5mを超える巨大な蜘蛛が、複数の木に跨るようにして鎮座していた。
「し、シトリ様……!?」
シトリ様が巨大な蜘蛛の姿をしているとは事前に聞いていた。しかし話で聞くのと実際に目の当たりにするのでは、その衝撃には天と地ほどの差があった。
シトリ様は闇夜に赤く光る8つの目で、じっとメルを見つめている。相手が蜘蛛なのだから当然だが、その目から感情を窺うことはできない。
そんなシトリ様の巨体は、メルの桜の瞳には赤い光に包まれているように見えていた。
「赤……?黒じゃなくて?」
糸繰村ではシトリ様は祟りをもたらす神様として語られていたので、メルはてっきりシトリ様は祟り神なのだと思い込んでいた。しかし桜の瞳に赤い光が見えたということは、シトリ様は祟り神ではなく怪異ということになる。
まあ、だからと言ってメルからすれば特に何も変わらないのだが。
シトリ様は赤く光る8つの目で、樹上からメルをじっと見つめている。蜘蛛故に目から感情を読み取ることはできないが、少なくともメルに襲い掛かってくる気配は無い。
メルは包丁を構えてシトリ様の出方を窺い、シトリ様はひたすらメルを見つめ続ける。
結果としてどちらも何もしないまま、30秒ほどが経過した。
「君は実に奇妙な人間だね」
突如、メルの背後から声が聞こえた。
「っ!?」
弾かれたようにメルが振り返る。
するとそこには20歳くらいの、男性とも女性ともつかない不思議な雰囲気の人物が立っていた。
その人物は桜の瞳で見ても何色の光も見えない。どうやらただの人間のようだ、とメルは判断した。
「君はあの村の住人ではないだろう?あの村に外から人間が来るというだけでも珍しいのに、その来訪者がわざわざ私を殺しに来るなんて、奇妙を通り越して酔狂だと言えるね。君はあの村に対してそこまでしてやるほどの義理がある人間なのか?」
「あ、あなたは誰ですか?」
「ああ、申し遅れたね。私はあの村でシトリと呼ばれているしがない怪異だ」
「えっ!?」
シトリ様を名乗るその人物に、メルは驚きで目を見開いた。
再び頭上を見上げると、やはりそこには巨大な蜘蛛が鎮座している。
「あの蜘蛛はシトリ様じゃないんですか!?」
「ああ、誤解をさせたなら申し訳ない。あの蜘蛛も私……というか、あの蜘蛛こそが本来の私だ。今ここで喋っている私は、私が人間と意思の疎通を図るために糸で紡いだ人間の模造品、人形に過ぎないよ」
「人形……」
メルの目から見て、目の前の人物は普通の人間にしか思えない。これが糸でできた人形だというのならあまりにも精巧だ。
その一方で、メルにとっては納得がいくこともあった。桜の瞳で見ても何色の光も見えなかったのは、どうやら普通の人間だからではなく人形だからということらしい。
「私から名乗ったんだ、当然君の名前も教えてもらえるんだろう?」
「……桜庭メルです」
「メル。それでさっきの質問には答えてくれないのかな?」
「質問?」
「君はあの村の娘に請われて私を殺しに来たようだが、君があの村のためにそこまでしてやる義理はあるのか?君は本来あの村とは無関係の来訪者だろ?」
シトリ様は心底不思議そうにメルに尋ねる。それに対しメルは、事も無げに返答した。
「メルは心霊系ストリーマーですから。配信のネタになるなら、神様だって殺しますよ」
「すとりーまー……はよく分からないが、君が神を殺したのは嘘ではなさそうだ」
「分かるんですか?」
「分かるさ。それだけ物騒な呪物を持っていればね」
シトリ様がメルの右手の包丁を指差す。
「私はこれでも長く生きているが、それほど強力な呪詛を見るのは初めてだよ。それだけの呪詛、神でも殺していなければ説明がつかない」
「そういうものですか?」
「そして君は神殺しの呪物を手にしていながら、その髪と目を見る限りどうやら君自身には神の力が宿っているらしい」
「そんなことも分かるんですか?見る人が見れば分かるものなんですね~」
「神の力を宿しながら神を殺すのか。君ほど奇妙な人間を、私はこれまでに見たことが無いよ」
そう言ってシトリ様はクスクスと笑った。
「じゃあ奇妙ついでに1つ聞かせてほしいんですけど、あなたはどうしてあの村の人達を殺そうとするんですか?」
「ああ、それについてなんだがね。君やあの村の住人は1つ大きな誤解をしているんだ」
「誤解?」
「あの村でいわゆる『シトリ様の災い』と呼ばれている現象を起こしているのは私ではないんだ」
一瞬、メルとシトリ様との間に沈黙が降りる。
「……えっ、あなたはシトリ様なんですよね?」
「あの村ではそう呼ばれているね」
「それなのにシトリ様の災いはあなたの仕業じゃないんですか?」
「実はそうなんだよ」
「……シトリ様もしかして適当なこと言って逃げようとしてます?そんなにメルに殺されるのが怖いんですか?」
「違う違う、話は最後まで聞いてくれよ。包丁を下ろしてくれ、どうして君はそんなに好戦的なんだ」
包丁を構えて今にも飛び掛かろうとするメルを宥めるシトリ様は、人形であることを忘れさせるほどに人間らしかった。
「村長さんは言ってましたよ。シトリ様への生贄として、村の若い女の子が何人も食べられたって」
「それはその通りだ。私はこれまであの村の人間を生贄として何人も食べてきた。そのことは否定しない」
「やっぱり……!」
「分かった、簡潔に結論から言うから少しはその闘争心を抑えてくれ。いいか、この地域には私の他にもう1体蜘蛛の怪異がいる。村に災いをもたらしているのはその怪異だ」
「……何ですって?」
シトリ様の口からもたらされた新情報に、メルは思わず包丁の切っ先を下げた。
「どういうことですか?」
「詳しく話すと長くなるが、それでもいいかな?」
「できるだけ短くお願いします」
「図々しいな……まあいい」
こほん、とシトリ様は咳払いをする。
「お人形なのに咳払いって意味あるんですか?」
「いいんだよ細かいことは」
気を取り直すようにもう1度咳払いをしてから、シトリ様は落ち着いた口調で話し始める。
「私は糸繰村ができる前からここに住んでいる土着の怪異なんだ。それで村ができた時にどんなものかと思ってふらっと見に行ったら、当時の住人が私のことを守り神だと言い出してね。あまりにも崇め奉ってくれるものだから私の方もなんだか気持ち良くなってしまって、時々山の獣を仕留めて村に差し入れたりしていたんだ。とどのつまり、昔は私と糸繰村との関係はすこぶる良好だった訳だね」
「それなのに今あんなことになってるんですか?」
「そうなんだよ。それもこれももう1体の蜘蛛の怪異が現れたせいだ」
「ところで『もう1体の蜘蛛の怪異』って呼び方長いですよね。名前とか分からないんですか?」
「名前……名前か……」
シトリ様は虚を突かれたような表情を浮かべ、考え込むように顎に手を添えた。
「知らないんですか?その怪異の名前」
「そうだね。奴に名前なんて聞いたことが無い……というより、やつとは意思の疎通が図れないからね。名前なんて尋ねようがない」
「意思疎通ができないっていうのは?」
「単純な話だよ。奴は私と違って知性を持たない。獣のような行動原理の怪異だ」
「あっ、なるほど」
理由を聞けばメルにも合点がいく話だ。これまでメルが対峙した怪異の中にも話の通じない相手はいた。そんな相手から名前を聞き出せるはずもない。
「じゃあ勝手に名前つけちゃいましょう。悪い蜘蛛だからアクモでどうですか?」
「君の好きにしたらいいんじゃないか?」
「ならアクモで決定です。それを踏まえた上で、シトリ様続き話してください」
「自由だな君は……」
シトリ様は呆れたように溜息を吐いてから、逸れてしまった話を元に戻した。
「ええと、どこまで話したかな……ああそうだ、元々は良好だった私と糸繰村との関係が、もう1体の蜘蛛の怪異……」
「アクモ」
「……君の言うアクモが現れたことで変化してしまった、というところまで話したね。この地域に現れたアクモは、早速村の人間を殺し始めた。といっても村に乗り込んでいって住人を虐殺したという訳ではない。奴はまず村の子供を殺し、その子供の死体を糸で操って親を誘き出すんだ。そうやって奴は夜が来る度に村の住人を1人ずつ殺していった」
「ひどい……」
「同感だね。奴は知性を持たないにもかかわらず、この上なく狡猾で残虐な怪異だ」
シトリ様の表情からは、アクモへの嫌悪が感じ取れる。同じ怪異でありながら、シトリ様とアクモはその性質を大きく違えているらしい。
「当時の村の人間はアクモに対して為す術を持たなかった。切羽詰まった彼らは、当時は村の守り神と信じていた私に泣きついてきた。糸繰村に災いをもたらす怪異をどうか退治してくれとね。だが私には難しかった」
「なんでですか?」
「奴の方が私よりも強いからだ。戦えばきっと私は死に、私を失った糸繰村も滅びるだろう。しかしそれでも糸繰村を何とかしてやりたかった私は、村の人間達にある提案をした」
「……それは?」
「村の中から生贄を1人私に差し出すことだ。私は人間を食らうことで、一時的に力を増すことができる性質を持っている。人間を食らった私であれば、或いはアクモを殺すことができるかもしれないと考えた」
「それで、どうなったんですか?」
「村の中から若い娘が生贄として選ばれ、私はその娘を食らった。そうして力を得た私はアクモと戦ったが……奴を殺すことはできなかった。奴は私が自分を殺しうるだけの力を持つことに気付いた時点で、私の前から一目散に逃げ出した。逃げに徹されては私もどうすることもできなくてね、結局取り逃がしてしまったんだ」
「勝てない相手からはすぐに逃げるんですか。厄介ですね~」
「全くだよ。だがアクモが逃げ出したおかげで村の人間が襲われることはなくなり、村には平和が訪れた。それでめでたしめでたし……となればよかったのだが、そうはならなかった。20年ほどの時を経て、アクモは再び現れたんだ」
「シトリ様はまた戦ったんですか?」
「ああ、また村の人間を1人食らってね。すると奴はまた私から逃げ出した。村は一時的に平和になったが、20年ほどが経つとアクモはまた村に現れた。それからはずっとそれの繰り返しさ」
「……1つ、気になることがあるんですけど」
「なんだい?」
メルは首を傾げながら、シトリ様に尋ねる。
「今の話が本当なら、なんでアクモがやったことが全部シトリ様のせいになってるんですか?」
「……それは私にもよく分からないんだ。気が付いたらいつの間にか、村では私とアクモが同一視されるようになっていた。恐らく長い年月の中で、私とアクモに関する言い伝えが徐々に混ざってしまったんだろう」
「シトリ様は訂正しようと思わなかったんですか?村を守ってるのに村の人達から怖がられるなんて、割に合わないじゃないですか」
「……その考えはなかった。なるほど、人間はそう考えるのか」
シトリ様は意表を突かれたような表情を浮かべた。
「私にとっては、崇められるのも怖れられるのも大した違いは無いんだ。崇められれば悪い気はしないが、怖れられることは怪異の本分。どちらも私にとって有益であることに変わりはない」
シトリ様の語る価値観は、メルには今ひとつ理解できないものだった。
しかし人間には理解ができないからこそ、怪異は怪異たり得るのだ。
「それで、この話を聞いた上で、君はどうする?私を殺そうとするのならばそれも構わないが、それではあの村は救われない。それどころか唯一アクモを追い払うことができる私を失えば、あの村はアクモによって滅ぼされてしまうだろうね」
「……正直、あなたの話を全部信じる気にはなれません」
「そうだね、君は正しい。私は怪異だ、舌先で人間を欺くことだってあるだろう」
「でも、今ここで問答無用であなたを殺す気にもなれない。だからあなたの話が本当なら、メルにアクモの居場所を教えてください」
「……君がアクモを殺すつもりか?」
メルが頷く。シトリ様はピクリと眉を動かした。
「確かに君が持つその呪物は、アクモを殺すに足るだけの威力を秘めているだろう。だが奴はこの私が人を食らって尚及ばない強力な怪異だ。人間が敵う相手では……」
「メルは神様殺したこともありますよ」
「……ああ、そうだったね」
「2回」
「2回!?」
シトリ様は驚きに目を見開き、それから楽しそうに笑い始めた。
「そうか、君はそれほど強いのか。なるほど、君なら奴を殺せるかもしれないな」
「じゃあ……」
「ああ。君にアクモの居場所を教えよう」
シトリ様が右手の人差し指をメルに向ける。
するとどこからともなく赤い糸がメルの周囲に現れ、メルの左の手首にくるくると巻き付いた。
「その糸を辿ればアクモの所へ辿り着けるはずだ」
「ありがとうございます」
「頑張ってくれ。君がアクモを殺せれば、私も気兼ねなくここで暮らせるからね」
「はい。あと一応言っておきますけど、さっきの話が嘘だったら普通にあなたを殺しますからね」
「……それは怖いね」
冷や汗を流すシトリ様に背を向けて、メルは赤い糸を辿り始めた。
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