裏作業:平行世界 七
「本当にありがとう、平行世界の桜庭さん。あなたのおかげで、この世界を元に戻す希望が見えたわ」
そう言って黒いレッサーパンダの魅影は、メルに向かって深々と頭を下げた。
「見つかるといいですね、ディケイドディスクとリバーサルドライブ」
「ええ、必ず見つけてみせるわ」
「もう出発するんですか?」
「そうね、こちらの世界の桜庭さんもかなり回復したようだし」
魅影が少し離れた場所に立つジェノサイドに視線を向ける。
完治とまではいかずとも自分で立つことができる程度に回復したジェノサイドは、この上なく決まりが悪そうに明後日の方向を向いていた。
「ジェノサイドも、頑張ってくださいね」
「うん……」
メルが声を掛けても、ジェノサイドは気まずそうに曖昧な返事をするばかりだ。
「桜庭さん、どうしたのかしらね。さっきからずっとあの調子だけれど……」
「人間の世界を終わらせて怪異の世界を作る~なんて言ってたところに、実はまだ世界を元に戻せる可能性があるって知っちゃって、今気まずくて仕方が無いんですよ、きっと」
平行世界の存在とは言えど自分自身。メルにはジェノサイドの気持ちが手に取るように分かった。
「……ねぇ、平行世界の私」
「何ですか?」
「……あなたのおかげで、私はもう1度常夜見さんと話せた。あなたのおかげで、この世界がまだやり直せるかもって知ることができた。その……ホントに感謝してる」
「……自分にお礼を言われるのって、なんかムズムズしますね」
「茶化さないでよ、もう……でも、同感」
メルとジェノサイドは、同じ顔で同じように笑い合った。
「……もう、ジェノサイドなんて名乗らなくて済むようになるといいですね」
「うん……そっちも、元の世界に帰れるといいね」
「……さようなら」
「……じゃあね」
ジェノサイドは魅影の小さな体を抱え上げ、メルに背中を向ける。そして1対の黒い翼をはためかせると、そのまま空へと消えていった。
「……行ってしまいましたね」
メルのスカートへと変化している待雪が、ジェノサイドの背中を見送りながらメルに声を掛ける。
「この世界……元に戻るのでしょうか」
「戻るに決まってます。こっちの世界のメル様と愚姉が一緒なんですから」
不安げな待雪に答えたのは、メルではなく虚魄だった。
「待雪さん、虚魄さん。メル、言いたいことがあるんですけど……いいですか?」
「何でしょう?」
「もちろんです、メル様」
メルは躊躇いながらも、ずっと前から思っていたことを2人に告げる。
「これって結局、メル達の問題は何にも解決してないですよね?」
「……あっ」
「そう言えば……」
ジェノサイドが狂気から解放され、魅影が世界の復元方法を提示したことで、こちらの世界は良い方向へと向かっていく可能性が見えた。
しかし一方で、平行世界に迷い込んでしまったというメル達の問題は、何1つとして進展していない。
「こっちの世界のメルを正気に戻したところで、メル達が元の世界に帰れるわけじゃないんですよね……まあ、『こっちの世界のメルを止めに行く』とか急に言い出したメルが10割悪いんですけど……」
「いえ、わたくし達も桜庭様の意見には同意しましたから……」
「待雪さんの言う通りです、こちらの世界のメル様を止めに行くのは、私達の総意でした」
「待雪さんも虚魄さんも優しいですね~……」
待雪と虚魄の優しさが心に沁みたメルだが、いくら取り成してもらったところで元の世界に帰還する目途が全く立っていないことに変わりはない。
「はぁ~どうしましょうか……」
「向こうの世界の愚姉が何かしら動いてくれているとは思いますが……」
「魅影さんにおんぶに抱っこっていうのも情けないですよね~……こっちからも何かできればいいんですけど……」
どうにかして自分達でも元の世界に戻る方法を探せないかと、メルが頭を巡らせ始めたその時。
「……あれ?」
メル達から少し離れた地面に、紫色の幾何学的な紋様が浮かび上がった。
見覚えのあるその紋様は、怪異使いが怪異を召喚する際のものだ。
「虚魄さん、何か怪異召喚しました?」
「いえ、私は何も……メル様は?」
「メルもしてないです……さっき全員送り返したばっかりですし」
「ではあの召喚陣は一体誰が……?」
身に覚えのない怪異召喚の紋様に、メルと虚魄は顔を見合わせて訝しむ。
しばらくすると召喚陣がより一層強い光を放ち、そこから小さな影が飛び出してきた。
「はぁ……ようやく来られたわ……」
「えっ……魅影さん!?」
黒一色のレッサーパンダのようなその姿は、つい先程別れたばかりの魅影のものだ。
「ああ、桜庭さんに虚魄、無事でよかったわ」
ジェノサイドと一緒に旅立ったはずの魅影が、何故か1人で戻ってきた……という訳でないのはメルにも何となく察しが付く。
「えっと……メル達と一緒の魅影さん、で合ってますよね?」
「勿論そうよ。というか、聞かないと分からないの?」
「メル達、ついさっきまでこっちの世界の魅影さんと一緒にいたもので……」
メルとしては分かっていても一応確認せざるを得なかった。
「お姉ちゃん、どうやってこっちの世界に?」
虚魄が至極真っ当な質問を投げかける。
メルと虚魄が元の世界に帰る方法が分からずに困っていたところに、魅影が世界間を移動して現れたのだ。その方法が気になるのは当然だ。
「怪異召喚の技術を応用したのよ」
魅影は人間の姿に変身しながら質問に答える。
「応用……?どういうことですか?」
「経緯を詳しく話すと少し長くなるわよ」
咳払いをして喉の調子を整えてから、魅影は経緯を語り始めた。
「配信が途切れてしまったから、平行世界に移動した後のあなた達の動向を把握することはできなかったわ。けれどあなた達が平行世界に移動してからしばらくして、薑大将が常夜見家の管理下から消失するという現象が観測されたわ。すぐに調査が行われて、薑大将の消失は虚魄が平行世界で薑大将を召喚したことによるものだと結論付けられた。怪異使いが用いる召喚術は、平行世界間を移動できるという仮説が提唱されたわ」
実際、薑大将は荒廃した平行世界の移動手段として虚魄に召喚された。常夜見家の見立ては正しかったことになる。
「仮説が提唱されてすぐ、私は彩女の森に向かったわ。怪異使いが世界を越えて怪異を召喚することができるとしたら、支援物資を怪異に預けることで、平行世界間での物資の輸送が可能になるかもしれない。私はそう考えて、ファンファーレに赤い包丁を託したの」
「あれすっごく助かりました。ホントにありがとうございました魅影さん」
魅影がファンファーレに託した赤い刃の包丁は、メルがジェノサイドを打ち破るための最後の一手となった。メルは魅影には感謝してもしきれない。
「その後はまた屋敷に戻って、平行世界へと移動する方法を探し始めたわ。で、最終的には怪異召喚術式を上手いこと改造して、この世界へとやってきたという訳」
「上手いこと改造ってなんですか。なんか適当じゃないです?」
「だって詳しく説明したところで桜庭さんには分からないでしょう?」
「それもそうですね」
メルはとても納得した。
「そうそう。こちらの世界に来る直前に、諜知衆から1ついい報せを受けたわ。旧姫守家私有地で大災害が発生するという未来予知が覆されたそうよ」
「……あっ、そういえば元はそういう話でしたね」
平行世界で色々あったためにメルは忘れていたが、元々は常夜見家の諜報部隊である諜知衆が、旧姫守家私有地で甚大な災害が起こるという未来予知をしたことが今回の件の発端なのだ。
「未来予知が覆されたって……災害が起きなくなったってことですか?」
「そう考えていいでしょうね。そしてタイミングから考えて、未来予知が覆ったこととあなた達2人が平行世界へ移動したことが無関係とは思えないわ。あなた達、こちらの世界で一体何をしていたの?」
「それはまたかなり長い話になるんですけど……」
メルと虚魄は口々にこの世界での出来事を魅影に語って聞かせた。あまりにも口々に語るので、魅影にはかなり分かりづらい説明になってしまった。
「なるほど……つまりこちらの世界は、私が失敗した世界という訳ね」
「魅影さんとメルが、です」
「……ありがとう、桜庭さん。ということはやはり、諜知衆が予知した災害は、こちらの世界が原因だったのかしら。こちらの世界の桜庭さんの破壊行為が、異空間を通じて私達の世界にも波及する、というような」
「でもお姉ちゃん。私とメル様が通った異空間は、私達の世界からこっちの世界への一方通行だったよ?」
魅影の推理に虚魄が疑問を差し込む。
こちらの世界に来てすぐの頃、虚魄も魅影と同じような推理をした。しかしたった今虚魄が口にしたのと同じ理由で、自らその推理を取り下げたのだ。
「確かにその通りね……もしかしたらあなた達が通った異空間とは別に、この世界と私達の世界とを繋ぐ異空間がまだ存在しているとか?この世界から私達の世界への一方通行の異空間とか」
「あ~……ありそう、かも?」
「まあ、今となってはどうでもいいことかしらね。大事なのは予知が覆されたという事実だけよ」
魅影は存外に結果論的な生き方をしていた。
「さて、それじゃあそろそろ元の世界へ帰りましょうか」
「えっ、帰れるんですか!?」
「当たり前でしょう。私が帰る手段も無しにこちらの世界に来ていたら、それはただの二次遭難じゃない」
メルに正論を言いながら、魅影は地面に幾何学的な紫色の紋様を出現させる。
「あの召喚陣に入れば元の世界に帰れるわ。でもその前に……」
魅影がメルの方を振り返り、右手を差し出す。
「ファンファーレから赤い刃の包丁を受け取ったのでしょう?それを返してもらえるかしら。できれば容器も一緒に」
「あ~……実はあれ壊れちゃったんですよ」
「あら、そうなの?」
「はい。こっちの世界のメルと戦った時に」
ジェノサイドの撃破に大いに貢献した赤い刃の包丁だが、メルが気が付いた時にはその刀身が粉々に砕け散ってしまっていた。
「乱暴に扱ったつもりはなかったんですけど……」
「そう……こちらの世界の桜庭さんの力に耐えられなかったのかしら。けれど無くなったのならまあいいわ」
「いいんですか?」
「ええ。あの包丁は禍津神の反霊力を宿す危険極まりない代物だもの。無くなったのならそれに越したことは無いわ」
「そうですか……」
魅影に怒られなかったことで、メルは胸を撫で下ろす。
「そうだ魅影さん、元の世界に戻ったらスカートか何か貸してほしいんですけど」
「スカート?今履いているそれでは駄目なの?」
「このスカートは待雪さんに変身してもらってるんです。元々履いてたスカートは、こっちのメルと戦ってる時に無くなっちゃって……」
「あら、そうだったの。じゃあ向こうの世界に戻ったら、すぐに何か見繕うわ」
「ありがとうございます!よかった~」
そしてメル達は魅影が用意した召喚陣へと足を踏み入れ、ようやく元の世界への帰還を果たした。
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