裏作業:平行世界 四
「……見えてきたわ」
どれだけの時間が経っただろうか。魅影が短い前脚で前方の地平線を指し示す。
そこに見えたのは、天まで届く黒と紫の竜巻のようなものだった。
「あの中に桜庭さんがいるわ」
「あれが、こっちの世界のメル……」
竜巻との距離は何kmも離れているというのに、メルにはビリビリと肌を刺すような威圧感が感じられた。
メルがこれまで戦った中で最強の敵である禍津神をも上回る威圧感だ。
「虚魄、薑大将を止めて」
「わ、分かりました」
魅影の指示に従順に従い、虚魄は薑大将を停止させる。
「虚魄は私とここで待機よ」
「……はい」
虚魄は躊躇う素振りを見せながらも、魅影に異を唱えることはしなかった。
虚魄も理解しているのだ。これ以上黒と紫の竜巻に近付けば、自らが正気を保てないことを。
「改めて見ても凄まじい力ね……脳が理解を拒むほどだわ」
魅影は自嘲気味に苦笑しながらメルに視線を向ける。
「1人で行かせてしまうのは申し訳ないと思っているわ、桜庭さん」
「大丈夫ですよ、最初からそのつもりでしたから」
メルは薑大将の背中から飛び降りる。
その際にメルは、待雪を薑大将の背中の上に残した。
「心得ております、桜庭様」
メルが待雪を振り返ると、待雪はそう言って頷いた。
メルの武器として常に側に控えている待雪だが、
「メル様、これを!」
虚魄がメルに小さな巾着袋を手渡す。
「虚魄さん、これは?」
「中に偽仙丹が入っています。どうぞお役立てください」
「あら虚魄、いいものを持っているのね」
偽仙丹は命を落としていない限り、どのような怪我も癒すことができる秘薬だ。
「ありがとうございます、虚魄さん!」
戦いに赴くメルにとっては、これ以上ない支援である。
「桜庭さん、健闘を祈るわ」
「メル様、頑張ってください!!」
「なるべく早く戻れるように頑張りますね」
魅影と虚魄に笑顔で手を振り、地面を蹴って最高速度で走り出す。
地平線というのは遥か遠くのようでいて、実はそれほど遠くない。メルの脚力であれば、5分程度で黒と紫の竜巻の下へ辿り着ける。
「すごいエネルギー……」
竜巻に近付けば近付くほど、肌を刺す威圧感は強さを増していく。
その威圧感は、常人であればとっくに発狂していることは間違いない。メルでさえも流れる冷や汗を止めることができずにいた。
それでもメルは歯を食いしばりながら、竜巻の目の前までやってきた。
「す~ごい……」
天を衝く竜巻の威容は、間近で見ると改めて圧倒された。
この中に平行世界の自分が待ち受けていると考えると、緊張で口の中が渇いた。
メルはいよいよ竜巻の中へと侵入し、満を持して平行世界の自分と対面……と行きたいところだったが。
「……そう言えばこれ、どうやって中に入れば……?」
竜巻に入口など用意されているはずもなく、侵入方法が分からずにメルは竜巻の周りをぐるぐると回る。
それをしばらく続けていると、唐突に竜巻が膨張した。
「ひゃっ!?」
驚いたメルは反射的に両腕で顔を覆う。
「……珍しいお客さんだね」
直後、メルにとってはあまりにも馴染み深い声が聞こえてきた。
「っ!?」
腕を退けて顔を上げ、メルは声の主を視界に捉える。
「初めまして……で、いいのかな?」
頭部に聳える7本の角。本来白い部分が黒く、瞳が赤く染まった眼球。コウモリのような1対の黒い翼。無数の棘を持つ長い尾。夜の闇を衣服に仕立てたかのような妖艶なイブニングドレス。
「自分に挨拶するのって、なんだか不思議」
「あなたは……」
それは紛れもなく、祟り神となったメルの姿だった。
ただメルの知る祟り神の姿と異なる点もあった。メルの髪色が黒と桜色の2色であるのに対し、平行世界のメルの髪色は黒と紫色だったのだ。
「平行世界から来た私、だよね?私に会いに来た……ってことは、無いと思うけど」
「……驚きました。てっきりこっちの世界のメルは、もっと狂ってるのかと」
メルはこちらの世界のメルが正気だとは思っていなかった。
メル自身も祟り神になった直後、一時的に正気を失った経験がある。こちらの世界のメルも同じように祟り神への変化に伴う狂気に呑まれ、そして正気を取り戻すことは無かったのだろうと、そう考えていたのだ。
だがこうして実際に対面すると、こちらの世界のメルが狂気に呑まれているようには見えなかった。
少なくともメルとの会話が成立する程度には、こちらの世界のメルは理性的だ。
「メル、か……その名前を聞くのも久し振りだなぁ」
「あら。あなたはメルって名乗ってないんですか?」
「だってもう配信なんてしてないもん。桜庭メルなんて名前、使う必要はないでしょ?」
平行世界のメルはそう言って笑った。
その表情からは、世界に滅亡をもたらし、多くの命を奪ったことへの罪悪感は感じられない。
「……あなたに聞きたいことがあります」
「何?」
「あなたは自分の意志で、この世界を滅ぼしたんですか?」
狂気に陥っているようには見えず、だが罪悪感や自責の念は見られない。
となるとメルはどうしても、平行世界の自分が明確な意思を持って世界を滅ぼしたことを疑ってしまう。
「そんな訳ないでしょ」
しかし平行世界のメルは、苦笑を浮かべながら首を横に振った。
「祟り神になるのと同時に私は意識を失って、次に目を覚ました時には世界はもう終わってた」
「そうですか……」
メルは予想が外れていたことにひとまず胸を撫で下ろした。
だがそうなると、また別の疑問が浮かんでくる。
「それならどうして、この世界をどうにかしようとしないんですか?」
メルがここまで見てきたこの世界は、こちらの世界のメルによって滅ぼされた「まま」だった。
こちらの世界のメルも祟り神として絶大な力を得たのは間違いない。にもかかわらずこの滅んだ世界には、世界の回復を試みた形跡が見当たらなかったのだ。
「何かを直したりとか、そういう『いいこと』に祟り神の力があんまり向いてないのは、メルもよく知ってます。でもだからって、何もできないってこともないはずです。それなのにあなたは、どうしてこの世界をどうにかしようと……」
「したよ」
メルの質問を、平行世界のメルが遮った。
「この世界をどうにか元通りにできないかなんて、目を覚まして1番最初に試したに決まってるでしょ」
「……具体的に、何をしたんですか?」
「私が殺した人達を、全員生き返らせようとした」
それを聞いて、メルは自分も同じことを最初に試みるだろうと思った。
取り戻せるとしたら真っ先に選ぶのは、失われてしまった命だ。
「けどダメだった。死者の蘇生は上手く行かないって相場が決まってるのかな。私が殺した人達は1人も生き返らせることができなくて、代わりに人間の出来損ないみたいな怪異がこの滅んだ世界に溢れ返った」
人間の出来損ないのような怪異というのは、煌羅が戦っていた怪異のことだろう。体の一部が醜悪に肥大化したあの怪異達は、確かに人間の出来損ないだ。
「あの時は絶望したなぁ。私が壊したものは、私が殺したものは、もう元には戻らないんだって。私がこの世界を終わらせたんだって。絶望して絶望して絶望して……そして気付いたの」
平行世界のメルの、黒と赤の両目が、妖しい光を湛える。
「私が終わらせた世界がもう元に戻らないなら、私が新しい世界を作ればいい。今度は絶対に壊れない、元の世界よりもずっとずっといい新しい世界を、私がこの手で作り上げればいいんだって」
「それ、は……」
「ねぇ、平行世界の私。あなたは思ったことない?人間は脆すぎる、って」
「っ……」
メルは言葉に詰まった。
「ちょっと叩いただけで、ちょっと突いただけで、ちょっと捻っただけで簡単に壊れちゃう。人間って、脆くて弱い生き物だよね。そんなに脆くて弱いのに、人間は何十億にも数を増やして、この世界を支配してたの。考えてみると不思議なことだよね」
「……何が、言いたいんですか?」
「人間なんて弱い生き物が支配してた世界だから、私1人の力で簡単に滅ぼされちゃうんだよ。この世界が滅んだのは私のせいじゃない。この世界を滅ぼしたホントの原因は、人間が弱いからなんだよ」
平行世界のメルの口角が、徐々に狂気的に吊り上がっていく。
「だから私は、人間じゃなくて怪異が支配する世界を作ることにしたの。人間なんかよりもずっと強い怪異が世界の支配種になれば、きっと世界はこんな簡単に滅びたりしなくなる。それって前の世界よりもずっといいでしょ?」
「そんな、ことは……」
「でも、人間はまだ絶滅した訳じゃない。私が祟り神になった時にこの世界の人間の大半は死んだけど、それでもまだ少なくない数の人間が生き残ってる。人間って脆くて弱い割に、意外としぶといんだよね」
「……さっきからあなた、まるで自分が人間じゃないみたいな言い方ですね」
「だって、私は人間じゃないもん」
一瞬の逡巡も見せることなく、平行世界のメルは自分が人外であると言い切った。
「別に、私が人間が嫌いだとか、そんなことは無いよ。っていうか、今でも人間には悪いことをしたって思ってる。人間が脆くて弱いからって、私が人間を殺していい理由にはならないから。でもね、私が作る怪異が支配する世界には、人間は邪魔なの。脆くて弱いくせに数を増やすのが得意な人間は、きっと1人でも生きてれば後々面倒なことになる」
人外の視点から、平行世界のメルは滔々と語り続ける。
「だから私はこの世界から、1人残らず人間を駆除することにした。私が生み出した人間の出来損ないみたいな怪異達の集合的無意識に干渉して、人間を積極的に襲うような思考を植え付けた。人間は数が多いけど、出来損ないも数が多いから。数の有利が無ければ、人間が怪異に生存競争で勝てるはずがないでしょ?」
メルは愕然とした。
出来損ないと呼ばれる怪異が人間を襲う理由が、平行世界のメルによって植え付けられた思考によるものだというのなら。
「怪異達がこっちの世界の煌羅さんを襲ってたのも、あなたのせいってことですか……!?」
「えっ、煌羅さんに会ったの?意外、てっきりもう死んだと思ってたのに、煌羅さんまだ生きてたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、メルの中で何かが切れた。
「……やっと分かりました。あなたは狂ってないように見えて、とっくに狂いきってたんですね」
自らの手で世界を滅ぼし、失われた命を取り戻すことに失敗し、絶望の果てに「怪異の支配する世界」という妄想に憑りつかれ、この世界でまだ生きている煌羅という友人の命すら顧みることがなくなった。
平行世界のメルは、壊してしまった世界以上に、自分自身が壊れてしまっているのだ。
「やっぱりあなたは、メルが止めます。例え平行世界のことでも、自分のやったことは自分で責任を取ります」
「あなたが私を止める?どうやって?」
平行世界のメルは狂気的な笑みを張り付けたまま、メルを挑発する。
「あなたも分かってると思うけど、あなたなんかより私の方がよっぽど強いよ?」
「そんなこと分かってますよ。あなたの強さはメルが1番よく知ってます」
祟り神となったメルの強さは、メル自身が誰よりもよく知っている。
今のメルが到底敵うような相手ではない。
「だったらどうやって私を止めるつもり?まさか私を言葉で説得できる気でいるの?」
「そんな訳ないじゃないですか。説得っていうのは人間相手にやるものです」
「ならどうするつもり?」
「単純な話です。メル1人で勝てない相手なら、仲間を呼べばいいんです」
メルは右手を胸元に入れ、そこからネックレスを引っ張り出す。以前煌羅から貰った、『夷蛭』を召喚するためのネックレスだ。
「燎火さん、煌羅さん、ごめんなさい」
小さな声で燎火と煌羅への謝罪の言葉を呟き、メルはそのネックレスを外してポケットへと仕舞う。
そしてメルがチロリと長い舌を覗かせると、その表面に幾何学的な紫色の紋様が浮かび上がった。
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