侍の警告
「これで……。」
怜は肩で息をすると、優衣に向き直る。
「優衣ちゃん、大丈夫!?」
優衣は顔を顰めながら首を縦に振る。
「うん……。銃を盾にしたから、傷は浅い……。でも、痛いよぉ……。」
「とりあえず、保健室に行かないと。山下さん、優衣ちゃんを見ててくれる?」
「う、うん。」
「ッ!お兄ちゃん後ろ!」
怜が後ろを振り返ると、そこには男が立っていた。
刀を構えているその姿はまさしく侍だ。
「……まだやるのか?」
「俺はお前たちを殺すように命令された。忠誠を誓った身としては、お前たちを殺さなければならない。」
怜が構えると、男は目を細め、自らの身体に刀を突き刺した。
ごぽっと血が溢れる。
「な、何を!?」
「俺は……使命よりも、自分の矜持を守りたかった。勝者の、行く手は……阻まん。武士道に、は、反するがな……。」
男は膝をつく。
怜が慌てて駆け寄ろうとするが、男は手で制す。
「まさか、女に負けるとは、な。ははは……思っていなかった……ぞ……。」
男はそのまま横に倒れた。
「女……?僕は男だけど。優衣ちゃんの事かな?まあいいや、とりあえず保健室に行ってくるね。」
怜は男の死体に向かって数瞬黙祷すると、理科室から出ようとする。
だが。
「翼先輩……?」
入り口に翼の死体は無く、血だまりがあるだけであった。
急いで廊下に出ると、何かを引きずったような血の跡が廊下の奥まで続いていた。
俺は思い返す。
翼と会った時のことを。
幼少期の記憶は非常に曖昧でぼやけているが、翼がずっと傍にいたことだけは覚えている。
どれだけ殴っても、蹴っても、いつもそばにいた。
……何故だ?
翼は一度も怒ることもなく、ただ常に憐れむような目を俺に見せ続けていた。
どうして、翼は俺についてくる?
そして、何故俺は翼の言う事を無下にできなくなった?
何かおかしい。
あいつの命令は絶対みたいに、ずっと前は立場が逆だったように。
そんな風に思えるのは自分だけか?
いやいや、そんな事は無いだろう。
昔からあいつは下だったんだ。
昔野球にはまっていたが、あの時だってバットで打つのは俺だったし、ボールを拾いに行くのは翼だった。
投げられたボールを打って、翼が取りに行って。
……え?
翼は確か外野だったはずだ。
なら、ボールを投げたのは一体誰だ?
幼少期の頃から暴力的だった俺とわざわざ一緒に居る奴なんて……。
「ぐぅッ!……痛ぇッ!」
頭が痛い。
まるで、脳がこれ以上の詮索をさせまいと必死で防御しているみたいだ。
何かある。
思い出せ。
俺の幼少期に何があった?
一体何が……。
その時、扉が開いた。
「誰だ!?」
「ぼ、僕だよ誠治、君……。」
「……なんだよ、翼かよ。」
「今、一人……?」
「それがどうかしたか?」
「大事な、大事な話があるんだ……。」
心臓が大きく跳ねる。
翼は何を言おうとしている?
何を伝えようとしている?
分かる。俺には分かる。
「僕達は、昔から、良く遊んだ……ね。」
ああそうだ。
「野球したり、サッカーしたり……。」
思い出した。
「へへへ……。駄菓子屋で万引きしたことも……あったっけ。」
だから頼む。
「もうやめろ……。」
「そうそう、誠治、君が転んで……泣いてるのに、『泣いてない』って……。」
「やめてくれよ……。」
「あれは、面白かったなぁ……。」
「もうやめろぉッ!」
俺は叫んだ。
思い出したわけじゃない。
最初から分かっていた。
それをずっとなかったことにしようとしていた。
忘れたかった。
何もなかったことにしたかった。
消したかっただけなんだ。
「頼むから……もう、やめてくれ。」
「やっと、思い出して、くれた……?」
「知ってたよ……。最初から、最初からッ!全部知ってたんだよッ!」
「……よかった、これで。」
翼の哀れむような目。
真実から目を背けた人間を哀れむ目。
逃げた人間を、それも仕方ないと見守る、諦めの目。
「僕達は……。」
「俺、達は……。」
『三人で一つだった。』
自分自身の脳から濁流の様に記憶が溢れてくる。
その一つ一つが鮮明に、まるで今その体験をしているかのように思い出される。
「あああああああああああッ!」
記憶が溢れ、ぐちゃぐちゃになり、流されていく。
頭の激痛と明滅する視界。
全てが白で満たされたときに、誠治の中で何かが音を立てて切れた。
そしてまっさらになった心の中に、ある場面だけが現れる。
誠治は迷うことなくその記憶の中に飛び込んだ。




