ボクシング・デスマッチ
トントントン、と男が足で音を鳴らす。
「もう終わりか?」
男はうっすらと滲み出た汗を腕で乱雑に拭うと、空に向かって拳を突き出した。
男の腕はかなり太く、大蛇を思わせるほどであった。
「俺はよ、元々ボクサー目指しててよぉ。あまりにも周りが弱っちぃんでカタギの道をやめたんだよ。なあ、もっと楽しませてくれるんだろ?」
誠治はゆっくりと立ち上がる。
「……楽しませる?馬鹿なこと言ってんじゃあねぇ。楽しむのは俺だ。」
「そうこなくっちゃ……。」
男はニヤリと口元を歪めると、一気に足を踏み出した。
男が手を出す。
伏せる。
腹を殴る……が、浅い。
背中に激痛。
息を吐き出しながら、鳩尾に一発。
男が短く息を吐いて、俺の脇腹に一発。
苦し紛れに股間を蹴り上げたが、これも浅い。
直後、男の蹴りが腹に入り、蹲る。
そのまま顔面を右から殴られて、横に吹っ飛ぶ。
「ぐぅ……。」
「おいおい?口だけか?」
「畜生が!」
再び至近距離の殴り合いに入る。
まず脛を蹴る。
男が顔を顰める。
腹に一発、よろけたところに掌底。
後ろに仰け反った所に回し蹴り。
今度は男が後ろに吹っ飛ぶ。
「ん~?さっきまでの威勢はどうしたんだよ、あぁ?」
「てめぇ……。面白くなってきたじゃあねぇか。」
男がグローブを手に嵌める。
革製のグローブには棘が付いている。
あんなもので殴られたらひとたまりもない。
「……おいおい、まじかよ?反則だろ。」
「知らねえか?ボクシングってのはなぁ……。」
男が駆け出す。
「グローブを嵌めてやるもんなんだよォーーーッ!」
「うおわぁっ!?」
慌てて横に飛び退くと、男の拳が床に突き刺さる。
「避けんなよ。」
「残念ながら、俺の知ってるボクシングじゃそんなグローブ嵌めてないぜ。」
「知るかよ。これは俺流だ。」
「ああ、そうかい!」
誠治が地面を蹴って男とは反対方向に駆け出す。
「てめえ逃げるのか?」
「ケッ、こんな勝負やってられっか!」
誠治の跡を男が必死についていく。
最終的に誠治が辿り着いたのは、体育館だった。
冬場の体育館はかなり寒い。
だが、ここまで走ってきたおかげで、誠治の身体はかなり温まっていた。
「不味いな、なんとかしねぇと……。」
何気なしに倉庫に目をやるとあるものが手に止まる。
「そうか、野球部は冬場中で活動してるんだな。」
そこで、誠治の頭に電球が灯ったかのような衝撃が走る。
「……俺なりのやり方で勝つ。」
誠治は準備を始める。
男が体育館に入ると、誠治が座り込んでいた。
「へ、行き止まりだぜ?」
「遅ぇよ、馬鹿。」
誠治がよっこらせと呟きながら立ち上がる。
その目には確固たる意志が宿っていた。
「覚悟は決まったみたいだな。勝つのは……。」
「ああ、勝つのは……。」
『俺だ』
二人同時に行って駆け出す。
右ストレート。
男が躱しながらジャブ。
辛うじて躱して足払い。
男がジャンプをして躱し、そのまま飛び蹴りをされ、誠治は後方に転がった。
ステージの前の壁に体を打ち付ける。
「がっ……。」
「もう立てねぇか?あっさりすぎるぜ。ラーメン以外のあっさりは嫌ぇなんだよ。」
男が近づき、グローブをしっかり嵌め直す。
「とどめだ。あー、つまんねぇ。」
「……俺は、最初からお前に勝てると思ってなかった。」
「は?」
「最初っからそんなチートグローブを嵌めてるやつには勝てねぇ。」
「何が言いてぇ?」
「俺は思ったんだよ。どうしたって近距離じゃ勝てねぇ。」
「だから?」
「だったら遠距離しかねえだろ?だが、俺は弓も射てねぇし、銃を持ってるわけでもねぇ。」
「早く結論を言えってんだよォーーッ!」
「おいおい、こっからが良い所なのに。まあいいや。結論を言わせてもらうと、『俺の勝ち』だ。ほら、キュルキュル音がしねぇか?」
「なッ……!」
その瞬間、白い塊が男の側頭部を直撃する。
男がぐらついた隙を見計らって、顔面を横殴りに殴った。
男は倒れ、動かない。
「時間稼ぎ、うまくいったな。」
誠治の目の先には、野球部のピッチングマシーンがあった。
冬場は倉庫の中にしまって置いてあったのだ。
チャンスは一度きり。
そのチャンスをうまくものにし、時速150kmの白球が男の首を直撃したのだ。
高さとタイミング。
奇跡と言っても過言ではないほど綺麗に決まった。
誠治は重くなった体を動かして、男のグローブを奪い取り、男の喉に数度刺した。
血が何度か噴き出た後、小川の様にチョロチョロ流れていく。
「ボクサーになっときゃあ、光に包まれたリングの上で倒れられたかもな……。」
誠治は振り向かずに体育館を去った。




