3・2 迫る追っ手
フランクと知り合ったのは二年前。身を隠すために隣国へ向かうひとり旅をしている道中で、彼とその妻グレタに出会った。
フランク夫妻は隣国で中規模の貿易商会を営んでおり、エルゼが身重のシングルマザーだと知ると気の毒がって、仕事と住む場所を提供してくれたのだった。
どうやら早世した一人娘とエルゼが同い年らしい。娘にしてやれなかったことを代わりに……という思いがあるようだ。
エルゼをまるで実の娘のようにかわいがってくれている。
「フランクさん、帰っていたんですね。無事の帰国、嬉しいです」
エルゼもそんなフランク夫妻が大好きで。不安を胸の奥に押し込み、一ヵ月の出張から返ってきたフランクに笑顔を向ける。
「ああ、ただいま」
答えたフランクが室内に視線を走らせた。転がるくだもの、倒れた椅子、乱れたカーテン、なにより床にすわりこんでいるエルゼとヴァルター。
それでなにが起きたかを察したフランクは、顔を曇らせた。
「あまりよくない知らせなんだが、あとにするかい?」
「いいえ、大丈夫です。どうしましたか」
エルゼはヴァルターを抱っこすると立ち上がった。
これ、とフランクは持っていた紙を広げた。
目にしとたんにエルゼは息をのむ。
紙には自分の似顔絵が書かれていた。その下にはこの国の言葉でで大きく「情報求む!」の文字。連絡先はアーデル王女。
フランクはこれを国境に近い街の掲示板で見つけたという。
「そんな!」
思わずエルゼは声をあげた。
アーデルが自分を探し続けていることは知っていた。
フランクやその部下が彼女の母国のシュピラー内で、これと同じポスターが貼られているのを何度となく目撃している。けれど。
(ついにこちらの国まで探しにきたの? どうしてそこまでするの?)
エルゼはヴァルターをギュッと抱きしめた。
アーデルとの仲はよかった。というよりも、かけがえのない友人だった。
エルゼが処刑されそうになったときに、唯一救いの手を差し伸べてくれたのも、彼女だ。
アーデルはエルゼがいかに家族に冷遇されていたかを国王に説明し、エルゼを救ったのだ。
そしてアーデルはエルゼに、他国の貴族との縁談と自分の侍女というふたつの道を提示し、エルゼは後者を選んだ。
だからこそアーデルが初夜を乗り切れないと泣いたときに、エルゼは迷うことなく身代わりすることを決めたのだ。
大恩に報いるため。唯一の友人を救うため。
そしてそれは、成功したかに見えた。
(せっかくあの危機を乗り越えたのに。もしハインツ王子の子をアーデル王女殿下の侍女が産んだことが世間に知れ渡ったら、すべて元の木阿弥。姫様は嘲笑され、王子殿下の評判は地に落ちる)
エルゼの身体は恐ろしさにぶるりと震えた。
(それどころかヴァルは暗殺されかねない。絶対に見つかるわけにはいかないのに……)
ヴァルターはハインツと同じ黒髪黒瞳で、それ自体は珍しくない。けれどときおり金色に輝く黒瞳はリーデルシュタイン王族の男子にしか現れない、特異な遺伝なのだ。
しかもこの瞳の持ち主は、現在ハインツ王子ひとりだけとのこと。
それらの事情を知ってる人間がヴァルターを見れば、父親が誰なのかが瞬時にわかってしまう。
エルゼが不安を感じながら腕の中に目を向けると、我が子はうつらうつらしていた。
(よかった。とりあえず痛みは引いたのね。代わりに今は、魔力暴走による急激な疲労に襲われているところね)
愛息子の様子をうかがうエルゼにフランクが「大丈夫かい?」と心配そうに声をかける。
彼ら夫妻は詳細は知らないものの、エルゼが元貴族で、ヴァルターがやんごとなき血筋だということには気づいているらしい。けれどエルゼに真実を説明させようとしたことは一度もない。
優しい夫婦なのだ。
エルゼの家族——両親や祖母、兄と妹はみな、平凡顔で大人しい性格のエルゼを「地味なうえに陰鬱で家族とは思えない」といって冷遇した。
世間の目があるから、最低限はヒュッツ伯爵家の令嬢として扱ってはいた。
けれど食事は別だし、他貴族の目があるところ以外では無視をする。
ごくまれに声がかけられたと思えばそれは、エルゼを貶し嘲笑うためのものだった。
そんなエルゼにとってフランク夫妻は、実の家族よりも『家族』だ。エルゼがずっと憧れ、ほしいと願っていた愛情深い優しい家族。
だからエルゼはそんなフランクたちを心配させたくはない。
微笑んで「大丈夫ですよ」と答える。
すると母の声が聞こえたのか、腕の中のヴァルターが「んん」と声をあげて目を開いた。
「……ママ? どうしたの?」
ヴァルターはぷにぷにの手で目をこする。
「ぼくが『わるい子』をしたから、おこってる?」
「ヴァルは悪い子じゃないわ。私の宝物よ」
不安げに自分を見上げるヴァルターをエルゼは抱きしめる。
フランクも孫のように可愛がっているヴァルターの頭を優しくなでた。
(だけどけっして世間に知られてはいけない宝物。なにがあっても私が守らないと……!)
エルゼが王宮を出てから、予想外のことがいくつも起きた。
ハインツは現在リーデルシュタイン国の王太子だ。アーデルとも離婚している。
ふたりの状況が変わったのは結婚式の翌日だったと、エルゼは風の噂で聞いた。
この少し前にハインツの母国、リーデルシュタインでは事件が起きていた。
王弟が国王と王太子の暗殺を目論み、失敗。だけれど仲間の貴族とともに反乱を起こしたという。
その知らせが結婚したばかりのハインツの元に届いたらしい。
それを聞くや否や、ハインツは父と兄を援護するためにすぐさま母国に戻った。
三ヶ月に及ぶ正規軍と王弟軍の戦いは、ハインツの大活躍により正規軍の勝利に終わる。けれど王太子はその位を降り、代わりにハインツが就くこととなった。
となるといずれ女王になるアーデルとの婚姻を続けることは不可能で、そのためふたりは合意の元、離婚したらしい。
(ヴァルターは今やハインツ王太子の第一子。あの国の法律にのっとると王位継承第二位になる。もし見つかれば、きっと暗殺される。どこぞの馬の骨が産んだ王子なんて邪魔なだけだもの……)
ハインツはそんなことをする人ではないだろう。優しい人だった。
エルゼの脳裏に、初夜のことがよみがえる。
(殿下は息も絶え絶えになっている私に水を飲ませてくれたり、体調を気遣ってくれたりしたわ。あの人ならヴァルターの存在を知ったって、適切な対処をしてくれる気がする)
けれど彼の妃となる女性やその家族は、エルゼを排除することにためらいはないに違いない。
エルゼはフランクが持つポスターに目を向けた。
(それにしても姫様はどうして、こんなに私を探すの……? もうあれから三年よ)
初夜を交代した罪悪感によるものかもしれない。けれどエルゼから提案したことだし、アーデルが心を煩わせるようなことではない。
そんなものを感じる必要はまったくないのだとエルゼは断言できる。
(でももしかしたら、私がハインツ殿下の子供を産んでいるなんて知らないからかもしれないわよね)
初夜を迎える前にアーデルは、高価な避妊薬を調達する手筈を整えてくれた。そしてそれをエルゼがきちんと服用していると信じているはずだ。
(実際は手に入らなくてのめなかったのだけど、姫様には伝えなかったから。初夜を身代わりした私のことを心配して、また新しい人生をくれようとしているのかも)
うん、この線が濃厚だとエルゼは考える。
だけど理由がわかったからとはいえ、なんの解決にもつながらない。
エルゼはヴァルターも姫様もハインツ王子も守りたかった。
(捜索の手から完璧に隠れて。それからヴァルターの魔力の対策もしなくては。考えることは山積みだわ……)




