2・幕間 そのころの姫様は
アーデルは静かに扉を閉めると、息を殺して正面を見据える。
部屋の奥に置かれたベッドの上には、こちらを向いて横たわるハインツ王子の姿。室内は薄明るいけれど、目を開いているのか閉じているのかは分からない。
神経を集中させていると、すやすやと規則正しい寝息が聞こえてきた。
(よかった、眠っている)
ほっと息を吐き、アーデルは静かにベッドに近づいた。
けれどハインツ王子の胸元があらわになっているのを見て、思わずひるんでしまう。
自分は王女で、国のために尽くさなければならない身であること。
愛しい人とは結婚できず、この王子が夫になったこと。
それらを頭では理解していても、愛する男以外の裸の胸に添い寝しなければならないのは、苦痛だった。
(だけどエルゼは私の何百倍もつらかったのよ)
エルゼがアーデルの話を聞いてすぐさま初夜の身代わりを申し出たとき、アーデルは激しく後悔した。
長年の友人に初夜の問題を打ち明けたのは、単純に不安だったから。解決策が見つからず、ついつい泣きついてしまっただけ。
でも冷静に考えれば、エルゼが身代わりの提案をするかもしれないことは十分に思いつけたはずだった。
(結局エルゼに頼ってしまった私が、泣き言を言ってはダメ)
アーデルは決意すると、静かにハインツのとなりに滑り込んだ。シーツをたくしあげて顔を隠す。
(日の出には《証》の宣言をするのだから、王子はそろそろ起きるはず。それまで私は寝たふりをしていればいいわよね)
アーデルはとなりの半裸を見ないよう固く目をつぶり、息を殺してハインツの目覚めを待つ。
(……だけどこの身代わり作戦、成功するかしら。段々不安になってきたわ。ハインツ王子は優しそうだけど抜け目はない気がする)
アーデルはときおり金色に光るハインツの瞳を思い出す。
(あの目に見つめられると、居心地が悪いのよね。すべてを見透かされているような感じがするんだもの)
ハインツ本人には、そんな意図はないのだろう。物腰は常に柔らかだし、アーデルだろうが他の人間だろうが敬意を持って接している。
ただ目だけが居心地が悪いのだ。
(でも確かあのリーデルシュタイン王族の血を表す目のせいで、ハインツ王子は不遇をかこっていたのよね)
アーデルが聞いたところによると、異母兄が王太子と決まっているのにハインツのほうが王に相応しいと主張する派閥が、かつてあったのだとか。
その派閥に担がれるのを避けるために幼少期のハインツは、王都から遠く離れた場所で隠遁生活を送っていたらしい。
けれど結局、ハインツ自らがその派閥を潰したそうだ。そして新たな派閥が生まれないよう、また異母兄の王太子の地位を確固たるものにすべく、生涯未婚を宣言したのだとか。
それがどういう訳なのか、アーデルが王配を探していると知ると結婚の打診をしてきた。
原因は、最近見つかった両国間にある魔鉱石のためなのかもしれないし、王配ならば異母兄を脅かさないという判断なのかもしれない。
今のところハインツやその母国の目的がなんなのかはわからない。けれど国王は、数多いた王配希望者の中で、ハインツが一番シュピラー国に利益があると判断したのだった。
(となると婚姻を失敗するわけにはいかないのだもの。私の愚かさを庇い、助けてくれたエルゼは勲章をもらったっていいはずよね。今すぐは無理だけど、いずれ、ハインツから初夜の記憶がなくなるころにはしっかりとお礼をしたいわ)
でもその前に、初夜と宣言を無事に乗り切ることが大事だ。
そう考えて、アーデルが一段と深くシーツにもぐったときだった。
突如として、廊下に面する扉が激しく叩かれた。
「殿下。ハインツ殿下! お目覚めですか。もうそろそろ夜明けです!」
その声にアーデルは身を縮めて息を殺す。
「殿下!」
何度か外からの声が聞こえたあと、ハインツが声を漏らしてようやく起き上がった。
「ん? ああ、朝か」
もぞもぞとハインツが起き上がり、廊下から叫ぶ男に「起きたから案ずるな」と叫び返す。
それから「愛しいひと」と、ハインツはアーデルの髪に指を絡めた。
思わずアーデルは息を止め、身を縮こませる。
「……まだお休みか。失礼した」
ハインツは手を放し、ベッドから降りたつ。それから手早く服を着始めた。
「アーデル王女殿下。宣言は私ひとりで出るものなので、ここでお待ちを。のちほどゆっくり語り合いましょう」
(語るってなにを!?)
予期せぬ誘いにアーデルが混乱していると、窓が開く音とそれに続く歓声が聞こえてきた。
懸命に耳を澄ませるアーデル。
やがてハインツが「愛する人との婚姻を無事終えたことを報告する!!」と力強く宣言をした。
(よかった! とりあえず第一関門は突破したわ)
ほっとしたアーデルの全身から力が抜けていく。自分が考えていた以上に、アーデルは緊張していたらしい。
(エルゼの勇気を無駄にしなくて済んだ。本当によかったわ。あとは私がハインツ王子にけっして違和感を持たせないように振る舞えばいいだけ)
でもその前にエルゼに少しでも気持ちが落ち着き、体調が整うよう、最高級の回復薬を用意して。
今日一日はゆっくり休めるよう、しっかり手配をしなければ。
アーデルはそんなことを考えながら、バルコニーからベッドに近づいてくる足音を聞いていた。
本日、もう一話アップしています。




