7・2 息子のための決心
夜のとばりが落ち、室内は魔鉱石が灯すオレンジ色の光に照らされている。
鏡に写るアーデル王女は、エルゼの記憶の中にある彼女よりも幾分かほっそりとして大人びているようだった。
以前から美しい容貌をしていたけれど、さらに洗練されて次期女王の威厳が出ているようだと、エルゼは思った。
彼女たちが今使っているのは、離れた地を結ぶ通信用魔道具、鏡話。
三年前、エルゼの出奔を機にリーデルシュタインとシュピラーそれぞれの王城に設置され、ハインツとアーデルは密に連絡を取っていたのだという。
目的は、エルゼについての情報交換だ。ハインツが言うには、寝室にエルゼがいるのを見たときに彼女を妃に迎えることを決断はした。けれど姿を消した彼女を探すことは、幾つかの事情からできなかった。
代わりに、すでに捜索を始めていたアーデルに資金を提供していたのだという。
「エルゼには大変な思いばかりさせて、本当に申し訳なかったわ」
鏡の中で、アーデルが何度目かわからない謝罪を口にする。何度となく涙を流したせいで、少しばかり目は腫れ声はしゃがれている。
そんな彼女と、事前に聞いたハインツの話を総合すると――
ハインツがシュピラーへの婿入りをしたのは、エルゼの処刑が妥当かどうかを確認するためだった。
そして運命の日、ハインツは結婚祝賀会の直前にエルゼに会い、彼女が生きていたことを知る。
大急ぎで近侍に調査をさせ、一方で自分はアーデルとニ人きりになれる初夜の寝室で円満な離婚について話し合いをするつもりだった。
ところが。そこにいたのはエルゼだった。ハインツはエルゼを得る好機だととらえ、入れ替わりを指摘せずに初夜を敢行。
このときの彼は、翌朝エルゼに求婚するつもりだったけれど、うっかり眠ってしまい、その隙にまた入れ替わりが起きてしまう。
そのためバルコニーの宣言のあとにアーデルと今後について話し合いをすることにした。
けれどこれまた、邪魔が入って話をろくにすることができない。
そうこうしているうちに、エルゼは自分は疲れて眠っているという偽装をして王宮を脱出。
ハインツのほうには、母国の事件の知らせが入る。彼は愛しいエルゼを危険に晒したくないと考え、アーデルにエルゼへの説明と世話を頼み帰国した。
その晩、アーデルはエルゼが出奔したことに気づいたものの、時すでに遅し。近衛を捜索に出したものの、エルゼを見つけることはできなかったという。
(当然だわ。あのときは姫様がくれた、認識阻害イヤリングをつけていたのだもの)
それはハインツが見せたイヤーカフと同様の物だった。見たものの認識を魔法で変えてしまう。
エルゼがジーモンにあまりに逆恨みされて困っていたときに、彼に見つからなくて済むようにとアーデルがエルゼに贈ってくれた。
そのイヤリングを使ったから、エルゼは誰にも見咎められることなく、王宮から出て行くことができたし、追跡を交わすことができたのだ。
(姫様はなにひとつ悪くないわ)
「お願いですから、姫様、謝るのは終わりにしてください。自分の決断は正しかったのだと今でも思っておりますから」
笑みを浮かべてそう告げると、アーデルは鼻をすすりあげた。
「それなら、私のお願いを聞いてくれる?」
「なんでしょう」
「『姫様』と呼ぶのはやめて。以前のように『アーデル』と」
「……わかりました。アーデル様」
エルゼがアーデルを姫様と呼ぶようになったのは、彼女の侍女になったときだ。これからはアーデルを主として戴き仕えるのだと自分を律したためだった。
「ありがとう、エルゼ。では私の大切なお友達のエルゼ。正直に言ってね。――ハインツ王子の元にいて大丈夫? 怖くない?」
「ええと……」
エルゼは思わず周囲を見渡した。鏡話が設置されているのは、ハインツの執務室に繋がる小部屋で、今は彼女しかいない。
「あの方はきっと、あなたの初恋のヘンリヒよね? いい人だとは思うのだけど――」とアーデル。「大昔に避暑地で少しあったことがあるだけなのに、あなたへの好意がちょっと重いというか……。逃がさないように初夜を迎えてしてしまおうという思考がおかしいというか」
「ええ、それは私も引きました!」
エルゼは大きく頷く。
「やっぱりそうよね? ハインツ殿下には騙したお詫びとして協力をしてきたけれど。エルゼが嫌ならシュピラーに帰国して。両国間の関係は私がなんとかするから、エルゼは自分を守ってほしいの」
正直なところエルゼは、自分がハインツをどう思っているのかがまだよくわからなかった。
言動はおかしいところがあるけれど、優しい人であることは間違いない。
初恋のヘンリヒと同一人物のようだし、ヘンリヒに好かれていたことはとても嬉しい。
だけどエルゼにとってハインツ王子は、『ほぼ初対面の見知らぬ人』という感覚だった。
素敵なところはあるとは思う。
でも愛していると言われても、どうしていいかわからない。ましてや妻に望まれるなんて、理解の範囲を超えている。
ただ――
「ありがとうございます、アーデル様。私はここに留まろうと思います」
なぜ、とアーデルが目をみはる。
「ヴァルターのためには最善だからです」
これからヴァルターの魔力暴走はますます強くなるはずで、その対策にここほど適した場所はきっとない。なにしろヴァルターのほかにはただ一人しかいない『竜眼』を持つ父親がいるのだから。
それにハインツはヴァルターを我が子として大切にしてくれている。今も、エルゼがアーデルとゆっくり話すことができるようにと、ヴァルターとともに遊んでくれているのだ。
ヴァルターも驚くほどハインツになついている。
そういったことをエルゼはアーデルに説明した。
「ですからしばらく息子のために、ここで頑張ろうと思います」
「わかったわ。でももし少しでも無理だと思ったら、遠慮なく私を頼ってね」
「ええ、そのときはまた、助けてくださいな」
エルゼとアーデルはお互いににこりと微笑みあった。
◇
鏡話を終えたエルゼは、ハインツの護衛に守られながら与えられた部屋へと戻る。
ハインツの寝室の続きにある二間で、三年も前からエルゼ部屋として用意されていたという。室内は女性向けの柔らかな印象の調度品でまとめられ、衣裳部屋には溢れんばかりの衣装や装飾品が収められてていた。
この部屋を披露したハインツは「いつかエルゼに再会できると信じて、すべて私が選んだんだ」と嬉しそうに言っていた。
(殿下の気持ちが重すぎるわ。生死もわからない没落令嬢のためにそこまでするなんて)
恐ろしさを感じたエルゼだったけれど、そこでまたハインツがヴァルターへの素晴らしい対応をする。
元々はエルゼのためだけの部屋だったのだが、そこにヴァルター用のベッド、衣服を運び込んだ。
ハインツが息子がいるかもしれないと知ったのは昨日だったそうで新品を用意できず、ハインツと彼の兄が幼少期に使っていたものだという。
(でも私が頼む前に、用意をしてくれた。今後についての話は全然できていないけれど、ハインツ殿下が私たち親子のためにどれほど心を砕いてくれているかはよくわかるわ。私もこの先のことをしっかりと考えなくては)
エルゼが私室に入ると、そこにハインツの姿はなかった。控えていた侍女が、ヴァルターは遊び疲れて眠り、ハインツは仕事をしに出て行ったと告げる。
「それから、お話したいことがあるので待っていてほしいと言付かっております」
「わかりました。みなさんはどうぞ、もうさがってくださいな」
今のエルゼは平民。その前だって普通の伯爵令嬢だったから、多くの侍従侍女にかしづかれ護衛に守られるというのは落ち着かない。
全員に退出してもらいほっと息をはくと、エルゼは寝室に向かった。
薄暗い中、ヴァルターがすやすや眠っている。
魔力暴走は体力を激しく消費するとのことで、どうしても眠ることが多くなるらしい。
「ここにいればコントロールの仕方を教えてもらえるし、ヴァルにはいいわよね」
眠る愛息子の頬をそっとなでながら、エルゼが呟いたときだった。
こんこん、と窓を叩く音がした。
「え。ここって二階よね……?」
怯えながら恐る恐る振り返ったエルゼが見たのは、窓にはりつきエルゼをにらむジーモンの姿だった。




