6・2 ハインツ王子と真相
「なぜこうなるのです!」
エルゼはヴァルターを起こさないよう、小声でハインツに抗議した。
壁際にずらりと並んでいた侍従侍女は、ハインツの命ですでに退室済み。サロンにはエルゼとヴァルター、ハインツの三人のみだ。
それは、まあいい。というよりも、助かる。エルゼはハインツに、他人に聞かれるとまずい話をしたい。
けれど。彼女が戸惑っている理由は別だった。
ハインツは当然のようにエルゼを自分の膝の上に横に座らせたのだ。
さらにはお腹に手を回し、がっちりとホールド。そのうえでまたしても額や頭、こめかみ、首筋にまでキスを雨とあられと降らす。
「だって再会するのに三年もかかったんだぞ?」
なぜ抗議されるのかわからないといった顔で答えるハインツ。
「エルゼが手に入ったと思ったら、喜ぶ間もなく消えてしまった。君が出奔したらしいとの知らせを受けたときは、気が狂いそうだった。この程度のキスでは全然足りない。エルゼをもっとほしい。すべてほしい。髪の毛の先から足の指先まで、可愛らしい唇も魅惑的な目も、心もあますことなく、それからもちろん小ぶりで触り心地の良い胸も……!」
「っ!」
思わずエルゼは身を縮ませる。
「へ、変態!」
「そうかな? 王女殿下のふりをしてベッドにもぐりこむ令嬢の方が、だいぶ普通ではないと思うが?」
「っ!」
エルゼは再び息をのみ、体をすくめた。
「それは……」
「知っている。アーデル王女に聞いた」
ハインツは優しく微笑むと、エルゼの額にキスをした。
「彼女の前の婚約者とのこと、君が彼女を守ろうと初夜の身代わりを買って出たこと。アーデル王女には丁寧な謝罪もしてもらったし、当然のこと、私はそれを受け入れた」
(姫様……!)
身代わり初夜作戦は最初から失敗していたらしい。けれどハインツ王子の寛容さで、アーデル王女も両国間の友好も守られたようだ。
エルゼが考えていたのとは違う形ではあるけれど、結果が良ければ問題はない。
むしろ身代わりを咎めなかったハインツには多大なる感謝の気持ちでいっぱいだ。
――彼の言動がセクハラまみれだとしても。
エルゼは意を決して、ハインツを見た。黒曜石のような瞳が、きらりと金色に輝いている。
「騙そうとして申し訳ありませんでした。リーデルシュタイン王家の慣習を知り、そうするほかないと考えたのです」
「アーデル王女とエルゼを追い詰めてしまったことには、リーデルシュタイン王族として謝罪する」
ハインツはそう言うと、続けて「その悪しき慣習は私の代で終わりにすると誓う」と約束をした。
「正直なところ、君が自分の体を大切にしなかったことには非常に腹が立っている。けれどそのおかげで私はエルゼを手に入れられた。あのときほど神に感謝をしたときはない」
(あ、その言葉。確か、初夜のときも言っていたような。でも、待って。色々とおかしいわよね)
ハインツとエルゼはあの日が初対面だった。それなのに『手に入った』と喜ぶほど、彼は自分を気に入っていたということなのかとエルゼは不思議に思う。
「殿下。よくわからないのですが、そもそもいつからアーデル王女殿下と私が入れ替わっていることをご存じだったのでしょうか」
「寝室の扉を開けたときだ」
ハインツがにっこりとする。
だけどあのとき室内は暗く、ものの輪郭がかろうじてわかる程度だった。廊下の光も部屋の奥までには届かず、ハインツにベッド上の人間の顔は判別できなかったはずだ。
「私のこの目」
エルゼはハインツの目を見た。切れ長の目に黒曜石のような美しい黒い瞳が浮かんでいる。ときおり金色に煌めく、竜の子孫の証と言われる瞳。
「『竜眼』と呼ばれていて、ほんの少しだけ普通の目とは違う」
「違う……?」
エルゼは思わずヴァルターを見た。彼もハインツと同じ『竜眼』だ。生きる上でなにか不都合のある目なのだろうかと、不安を抱く。
「案ずるな。たいしたことではない。ひとよりも少し、よく見えるだけだ」
エルゼはハインツを見た。
「異常に視力が良いと言えばいいか。普通の人よりも遠く離れたものが見える」
なるほど、確かにそれなら心配はなさそうとほっとするエルゼ。
「それから、暗闇も。私の目には明るい場所にいるのと同様によく見える」
「明るい……?」
エルゼは言葉を繰り返しながら、あの晩のことを思い返した。
暗い部屋。開いた扉の向こうの明かりが灯った廊下。そこに浮かび上がる、ハインツ王子のシルエット。
ベッドにすわるエルゼ……。
「まさか……!」
エルゼはようやくハインツが言わんとしていることを理解して、思わず声を上げた。それから慌てて手で口を押さえてヴァルターを見る。
すやすやと眠っている。
「まさか」と小声で言い直すエルゼ。「寝室の扉を開けたときに、待っているのはアーデル王女殿下ではないとお気づきになったのですか?」
「そのとおり」
にこりとするハインツ。
「それならなぜ、そのことを指摘しなかったのです!」
「エルゼだったから」
ハインツはそう言うと、嬉しそうに彼女の額にキスをした。
「あんな好機を逃すはずがないだろう? あの時点では入れ替わりの事情はわからなかったから、指摘するのは悪手だった。君との既成事実をしっかりと作って、逃げられないようにしようと考えたんだ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
本日何度目になるかわからない言葉を吐いて、エルゼはハインツの語りを止める。
止められたハインツは口はつぐんだものの、エルゼの手を取りその指先にちゅっとキスをする。
「夢でも見ているのかと思った。愛しいエルゼがベッドで私を待っている。それもとても――」
ハインツはちらりとヴァルターに目を向け、寝ているのを確認し続けた。
「セクシーな夜着でね」
「っ!」
(あああ、そうだわ! あの晩は王妃様がご用意された初夜用の破廉恥な夜着を着ていたのだわ。暗闇で見られないからと思っていたのに――って、そうではなくて)
「殿下っ」
「んん?」
ハインツはとろけるように甘い笑みを浮かべてエルゼを見る。
「なぜ会ったばかりの私にそんなに執着されたのですか? 私はなにかしましたか?」
エルゼからすれば、ハインツの語った事実は恐怖の域だった。初夜のほんの数時間前に、一瞬目が合っただけの異性に、どうしてそこまで好意を抱いたのかがまったく理解できない。
エルゼがアーデルのように絶世の美女ならばまだしも、家族に散々『平凡で地味で特徴のないつまらない顔』と嘲笑われた容貌だ。瞳だけは新緑のような緑色で、そこだけはエルゼも気に入っている。
けれどほかに誇れるところなんて、ひとつもない。
ハインツに好かれる要素はゼロなのに、どうして初夜の相手として喜ばれたのか。エルゼにはまったく理解できなかった。
「エルゼ」
恐怖に震えるエルゼに、ハインツが甘く呼びかける。
「もしや私は君を怖がらせているのかな? だったら、すまない。本当ならば初夜の翌日に、すべて話して君を妻に迎える算段をするつもりだったんだ」
(妻!? 姫様と結婚したばかりで?)
ハインツのぶっ飛んだ思考に、エルゼはますます恐ろしくなる。
「エルゼ。怖がらないでくれ。私は――」
ハインツは顔を背けているエルゼのあごに指を添えると、そっと自分のほうを向かせた。それから短い呪文を唱える。
すると彼の艶やかな黒髪が、燃え盛る炎のような赤毛へと変化した。
「私は八年前、コーンウェルで君とともにひと夏を過ごしたヘンリヒだ」




