5・2 王子との再会
思わずぎゅっと目をつむったエルゼの脳裏に浮かんだのは、なぜだか金色に輝く黒い瞳だった。
次の瞬間、ぶわりと強い魔力の波が押し寄せてきた。
(強い!)
今までにない強力な魔力波に、全身に激しい痛みが走る。
(ヴァル!!)
目を開いたエルゼが見たのは、眼下でベビーバスケットの中で立ち上がり号泣している息子と、床板だけを残して車体が吹き飛んだ馬車、そしてそれが遠ざかっていく様子だった。
「ヴァル!!」
伸ばしたエルゼの手は空しか掴めない。
エルゼは――エルゼだけでなく、ジーモンも魔術師も、ヴァルターが放った強い魔力により、壁を失った馬車から空中高くに放り出されたのだ。
けれどエルゼはすぐに落下していく。
(落ちる! ヴァルを守らないと……!)
ヴァルターを守らないといけない。けれどこのまま落下したら確実に大怪我、もしくは命はないかもしれないという状況に、エルゼは恐慌する。
だけれどなすすべもない。すぐに訪れるはずの衝撃に覚悟を決めたとき――
突如落下の勢いが消えて、代わりにふわりと体が浮き上がるような感覚がした。
(え、なに?)
驚いた次の瞬間エルゼの体はわずかに落ち、ポスリと音を立てて黒いなにかに収まった。それはエルゼを守るかのようにキュッと包み込む。
不思議と安心感がある。
すぐに頭上から、呪文を唱える声が聞こえ始めた。
(あ、人? 私は抱き留められたの?)
エルゼがようやく自分は黒い服を着た男性に横抱きにされていると気づく。
けれど確かめるよりも前に、遠く離れてしまっていたはずのヴァルターの目の前に移動していた。
転移魔法でヴァルターの目前に出現したのだが、エルゼはそれどころではない。
ヴァルターは魔力放出のせいなのか、真っ赤な顔で激しく泣いている。黒髪は逆立ち、白い寝巻も激しい風を受けているかのようにバタバタと音を立ててはためいている。
「ヴァル!」
エルゼは我が子へと手を伸ばす。
けれどそれよりも早く、他の手がヴァルターの額に触れた。
「ヴァルター、もう大丈夫だ。母は無事だ」
低く深みのある声だった。ああ、もう安心なのだと思わせる力がある。
そのせいなのか逆立っていた髪は緩やかに元通りになり、ヴァルターの号泣も徐々におさまっていった。
(ああ、よかった!)
安堵から、エルゼの目には涙がにじむ。
今すぐヴァルターを抱きしめたいものの、男が額に触れているのはきっと魔法でなにかしらの処置をしているためと思われる。エルゼは黙って見守るしかなかった。
やがて男がゆっくりと手を離す。
ヴァルターの号泣は収まっていた。目を開き、男を見る。きょとんとした表情になり、首をかしげた。
「……おじさん、だれ?」
「君の父親だ、ヴァルター。迎えに来るのが遅くなってすまなかったな」
(え……? 父親?)
エルゼはようやく自分を抱えている男の顔を見上げた。
恐ろしく整っている怜悧な容貌。艶やかな黒髪。黒曜石のような瞳が、きらりと金色に輝く。
「……ハインツ殿下……?」
思わぬ人物に困惑したエルゼは、思わずマナーを忘れてその名前を呼んでしまう。
だけれどハインツはエルゼを見て心の底から嬉しそうに、満面の笑みを浮かべた。
「ああ、そうだ。ようやく見つけた、愛しいエルゼ」
さきほどの落ち着きのあるものとは違い、甘く蕩けるような声だった。
それが余計にエルゼを混乱させる。
「愛しい……?」
(って、どういうこと? 待って、そもそもどうして彼が私の名前を知っているの? え? この方さっき、自分をヴァルの父親と言わなかった? そんなはずは……)
「混乱しているのか。可愛いな」
どうしてなのか、ハインツはより嬉しそうに笑みを深くする。それからエルゼの額にキスをすると、瞳を金色に輝かせた。
「二度と逃さないぞ、私のエルゼ」
「あの……」
エルゼは疑問がありすぎて、なにから尋ねればいいのかわからない。そんなエルゼにハインツはにっこりしてからヴァルターの頬に触れた。
「ヴァルターも。これからはずっと父と一緒だからな」
ヴァルターはまだ不思議そうにハインツを見上げている。けれど、なにか思うところがあったのか、へにゃりと笑顔になると「いっしょ!」と嬉しそうに声をあげて、ハインツの腕にしがみついた。
そこへ、「殿下」と軍服を着た近衛らしき男が声をかける。
「あの者たちはどうしましょうか。ご命令どおり、生け捕りにしております」
男が示す先には、剣を突きつけられて地面に膝をついて震えているジーモンと魔術師がいた。
彼らを見るハインツから、笑顔が消える。
「リーデルシュタインの王太子妃と次期王太子を拉致したのだ。極刑に値する」
表情のない顔は氷のように冷ややかで、温度の感じられない声は鋭利な刃物のようだった。
「っ!?」
エルゼはあまりに予想外の言葉に息をのむ。
(極刑!? ジーモンは好きではないし、なにをされるのかわからなくて恐ろしかったけれど……! それに王太子妃とか次期王太子ってどういうことなの!?)
「恐れながら殿下、私にはなにがなにやら……。あちらのふたりも極刑はあまりに……」
ハインツはエルゼに顔を向ける。冷淡だった表情はすぐに柔らかなものになり、「そうだな」と言う声も優しげだった。
「エルゼが混乱するのも当然か。では我が国へ帰還しよう」
(リーデルシュタイン国へ!?)
「ヴァル!」
また拉致されるのかと慌てたエルゼは、愛し子へと手を伸ばす。すかさずハインツが「もちろん我が息子もともに」と告げる。
それからハインツはエルゼの耳に口を近づけると、そっと囁いた。
「愛しいエルゼ。私は最初から、初夜の相手が君だと気づいていたんだ」
数秒の間を置いてからエルゼがその爆弾発言の意味を理解し、驚いてハインツの顔を見上げると。
自称『ヴァルターの父親』は最高の笑顔でエルゼを見つめていたのだった。




