ある男の回想録35:最後まで油断しない
ヤマ様が島にお戻りになり、白い霧の向こうに消えてお姿が見えなくなった途端辺りからは残念そうな声が上がる。
「行ってしまわれた……」
「次はいつお会いする事が出来るのかしら……」
「また祝祭をしましょうよ~」
領主様は見送りとして泳いでついて行きそうだったがヤマ様に止められていた。そりゃあ止めるだろう。
今は船に飛び乗ってずっと神の島方向を見ている。
相変わらずだ。
「落ち着いてゆっくりやればいい。仕事部屋で描くか?」
「はい……」
技の族長も相変わらず面倒見がいい。
それにしても画家の彼はいつ見ても涙目だな。そして俺の家族があれこれ申し訳ない。
「もう声を出してもいいですか?」
そうだこの人がいたんだった……。
「君は皆さんと一緒の時は静かにしておいた方が良いかもしれないね」
「これ以上国の評判を落とすな。頼むから」
偉い人は大変だな……。
「じゃあ絵を描いています」
「話し合いの時はやめろよ」
「はい。――その筆貸してもらえますか?」
「え……」
「失礼、気にしないで下さい」
ほんと大変だな……。
だが、問題児のララウルク首長の描いたものをちらっと見たがとても上手だった。
絵が上手いなんて意外だ。大雑把な性格なのかと思ったのだが。
これまで話し合い参加者は好き勝手しているように見えたが、ヤマ様がいらっしゃる時はやはり緊張していたようだ。
今はとても落ち着いて和やかに談笑している。
「アルバートさんは守役様に目を掛けられていますのね。凄い事ですわ」
「え? あ、いえ……そんな事は……」
この王女様はなんで俺に話しかけてくるんだよ……。
視線でカセルを探すが、カセルはイシュリエ婆さんに捕まって何やら注意されているようだ。
よくある事だがよりによって今なのか。
兄である王子様もこちらには意識を向けずにアルレギアの使者達と話をしている。
これは自分で対応するしかないようだ。
「失礼します、母の様子を見てきますので――」
対応が逃げる事になるのが情けない。
しかしこれまでの経験上、俺に興味の欠片も持っていなかった女性が急に話しかけてくるのには絶対裏があったからな。カセル狙いだったり、兄さん狙いだったり。
なるべく近付きたくない。
「そういえば気絶されたとか。心配ですので私もご一緒してもよろしいでしょうか?」
「え……」
どうしたら良いんだ……。
相手が王族だと思うとうまい断りの言葉が出てこない。
でも家族には会わせたくない。なんでついて来ようとしているんだ……?
返答に困り何も言葉を発せずにいると、カセルが遠くから俺を呼んできた。
「アルバート! 領主様を迎えに行くぞ~」
「お、おう! 申し訳ありませんが……」
頭を下げそそくさとその場を立ち去り、船が停泊している場所に向かっていたカセルに慌てて追いつく。
「助かった……!」
「お前これから大変だな」
「……大変?」
「王女様の狙いがお前に定められたって事だよ」
「はあ!?」
なんなんだそれは。
「昨日からアルバートの事を気にしてたからな~。きっと国に帰ってあれこれ諭されたんだろうな」
「諭すって……」
「ま、領主様の事はまだ気にしてるみたいだけど。でもヤマ様に対する領主様のあの態度を見た後じゃ無理だな。――領主様~、そろそろお戻り下さい」
俺に狙いを定めたという発言に言い返そうとしたところ、カセルはひょいひょいといくつかの船に飛び移り、領主様の乗っている船まで移動してしまった。
そんな身軽さが無い俺はここで待つしかない。
「狙うって……」
ついつい独り言がこぼれる。
あんなに俺の存在なんて気にしていなかったのに女性というものはやはり恐ろしいな……。
俺の母や姉も恐ろしいが、王女とは違う。
俺の家族は打算で異性に近付くような事はしない。正直すぎてどうかと思う事もあるが。
……急に不安になってきた。
拝謁許可を得ている限り俺は女性とどうこうなるなんて無理なんじゃないのか?
女性にはみんな裏があるように思えてしまう。
いや、これまでと似たようなものか……?
一族の人間はいつもこんな気持ちを味わっているんだろうか――
「おい、どーしたんだよ」
「え? あ、ああ……何でもない」
いつのまにかカセルと領主様が近くに来ていた。
足音が聞こえなかったから気が付かなかった。
「領主様、すぐに話し合いを開始しますか?」
「予定を変更し明日行う事にする。今日は祭りの最終日だ。皆それぞれ楽しみたいだろう」
良かった。少なくとも明日までは王女様と顔を合わさずに済む。
「良いですね! 今日は思いっきり楽しみたいです」
カセルは何も考えて無さそうな顔をしているが、近付いてくる女性に対して色々と思うところはあるんだろうな……。
「私はこれから絵を仕上げねばならないからな」
え? あの領主様……?
「お描きになるんですか?」
「ヤマ様から正式に許可が出たのだ、いつでも献上できるようにしておかないとな」
そう言いながら服の内側から何かを取り出した。あれは紙……だろうか。
「領主様、それはヤマ様ですか?」
「そうだ。神の力なのか……お顔だけうまく描く事が出来ないのだ」
急に声を潜めたのは風の族長に聞かれないようにする為だろう。そろそろお偉いさん達が集まっている場所に着くからな。
それにしてもヤマ様の肖像画を持ち歩いているとは……。
ヤマ様の反応が何となく予想できる。
「今まで何枚くらい描いたんですか?」
「まだ20枚程度だな」
うわあ……。
領主様の時間はすべてヤマ様と守役様に費やされているな……。拠点といい、店といい。
「多いですね~!」
笑えるお前が凄いよカセル。
20枚の絵の構図が気になったが聞かない方が良い事もあるだろう。
「領主様、皆様お待ちかねですよ!」
「話し合いは明日に延期する。本日は祝祭最終日を楽しんで欲しい」
「まあ。そんな急に失礼ではないですか?」
イシュリエ婆さんの言い分ももっともだと思う。
しかも延期の本当の理由がヤマ様の絵を描きたいからだしな……。
「我々は数日滞在しますので問題はありません」
ユラーハン側は問題なさそうだ。
王女様も嬉しそうだ。
「こちらも問題はありません。祝祭を楽しませて頂きます」
アルレギアの使者達も特に異論はないようだ。
「では明日。――使者の方々を部屋に案内するように」
領主様の命令に騎士達が先導し、地の族長とバルトザッカーさんも一緒に使者達とこの場を離れようとする。
そんな中、突然俺とカセルに話しかけてきたのはララウルク首長。
「お2人はこれからお仕事ですか? 御使い様について質問したいのですが。明日の話し合いにその辺りも含まれますか?」
「おい!」
気を遣う時間は終わったと油断していたが終わっていなかったようだ。
こういう時のカセル頼みで視線を向ける。
そのカセルは領主様に視線を向けていた。
「この者達はこれまで休む間も無かったので本日は自由にさせる。質問は明日にしてもらおうか」
「だそうだよ。ほら、部屋に戻ろうか。申し訳ありませんでした」
「絵でも描いてろ」
首長以外のアルレギアの使者達もこちらに申し訳なさそうに謝罪しながら、ララウルクさんを引っ張って騎士達の後について行った。
あんな恐ろしい風貌をしている人達に同情の気持ちを覚えるとは思わなかったな……。
「あーやっと行ったか~」
「お前失礼な事言うなよ……」
「あの首長しつこそうだよな~」
カセルもあの人の事が苦手みたいだ。そもそも得意な人はいるのか?
「カセル、力のある人間が皆に聞こえる所で個人の評価判断をしてはいけない。褒めるなら良いが」
「そうでした。すみません」
さすが風の族長だ。カセルも素直にいう事を聞いている。
ミナリームが馬鹿な真似をしでかした時はお偉いさん全員が結構辛辣な事を言っているけどな。
「じゃ、領主様からお許しも出たし俺達もいったん家に帰ろうぜ~」
領主様はもう姿が見えない。
絵を描きに行ったんだろうな……。
残りのお偉いさん達はそれぞれ部下に指示を出している。というかヤマ様が食べた物と同じ物をみんなで嬉しそうに食べている。
「アルバート、私も家にお邪魔するわ」
「え?」
「仕事はいいんですか~?」
なんでイシュリエ婆さんがついてくるんだ?
「ギルバートが調子に乗らない様にひと言言っておかないと」
「あー、それって羨ましいだけでしょう? 羨ましいですよね~守役様に肩に乗っていただけて」
はははと笑っているカセル。こいつほんと怖いものなしだな。
イシュリエ婆さんに物凄く睨まれている。
そして俺は風の族長にじっと見つめられている。……なんだ?
「あの……?」
「ローザが一族の人間にもかかわらずミナリームの元貴族と結婚できたのは何故かと思っていたが……神はこうなる事がわかっていたのか……?」
「え? え?」
急に難しい事を言われても俺にはわからない。
「一族の人間はクダヤの不利になる事は出来ないはず……しかしあれだけの力を持っているローザが族長にならずにすんだ……それはアルバートという存在を生み出す為の布石なのか……? 何か特別な力があるのだろうか……」
いよいよどうしよう。俺の知能では対処できない。
風の族長も俺の返事は必要としていないようだが、じっと見つめられたままというのも気まずい。
「ギルバートなんて大した力もない心が広いだけの弱い男じゃない。今回の守役様の事は偶然よ! 特別な力なんてあるわけがないでしょう」
イシュリエ婆さんは今さらっと祖父の事を褒めたのに気が付いていないんだろうな。
指摘すると面倒だから聞かなかった事にしよう。
「なんだかんだ心が広いって認めてるじゃないですか~」
「何ですって!?」
おい! 余計な事を言うな!
ははは、じゃないぞ!
カセルの迂闊な発言のせいで、まだ港に残っていた家族と合流した際に祖父はイシュリエ婆さんに理不尽に八つ当たりをされていた。
そしていつもより祖父にべたべたしている祖母の態度を見て、祖父に対する理不尽な怒りを更に募らせていくイシュリエ婆さん。
いいかげん親友離れした方が良いと思う。
家族はいつもの事なので、特に気にした様子もなくイシュリエ婆さんに話しかけてヤマ様と守役様について盛り上がっていた。
イシュリエ婆さんもあっという間に怒りを忘れて楽しそうにしていた。たまに思い出したかのように祖父の事を睨んでいたが。
いい年をして……。
女性達が盛り上がっている横で俺と祖父はレオン兄さんに肩をごしごしとこすられていた。
守役様が触れた所だからと触るのはいいのだが力が強い。
家族の中でも力の弱い俺と祖父に対する力ではない。
父が兄さんを叱ってくれたのだが、父も珍しく興奮しながら肩に手を置いてきた。
まさかのルイス兄さんまで。
一族の人間に対するヤマ様と守役様の影響力はとんでもない。
カセルは自分の頭にも守役様がお触れになったと自慢して女性達に髪をぐしゃぐしゃにされていた。
その光景を眺めながら口は災いの元だなとぼんやり思った。




