アバルモート司教
使用人が出入りするような小さな木の扉の向こう側には、複雑な模様が描かれたタイルが敷き詰められた狭い廊下があった。
人一人が通れるような狭い通路は入り組んでおり、使用人のための通路とは思えない。
いくつかの角を曲がり「ここだ」と案内されたのは、狭い書庫だった。
両側の壁一面には本棚があり、古い本や羊皮紙の束が詰まっている。
最奥の壁には、美しい女性が涙を流している男性にアガパンサスの花を与えている、秩序の女神の絵画が飾られていた。
中には大司教様と似た衣装を着た壮年の男性が一人。
彼は私たちを見て信じられないとばかりに目を見開いた。
「大司教!どのようなおつもりですか!このような穢れた者たちをここに案内するなど!」
彼はすごい剣幕で大司教に詰め寄る。
大司教様は彼を手で制止しながら「アバルモート司教、少し席を外してもらえるか」と言ったが、司教と呼ばれた男性は譲らなかった。
「ここに穢れた者を入れるならば、私は同席せねばなりません!」
頑なにそう言い募る彼に、大司教様は致し方ないと彼の同席を許し、私たちに席をすすめた。
私たちの正面に座った大司教様は手を組み「先ほどの話は誠か」と真剣な眼差しで問う。
「はい。彼女は私の呪紋を消したのです。呪紋だけではありません。土地の瘴気も消し去ることができます」
「それは……闇の魔法でか?」
「いえ、我々の知るどの魔法とも思えません。その魔法は何なのかを知るために……ここへ伺った次第です」
隣で話を聞いていた司教は「そんなことあるわけが」と口を挟もうとしたが、大司教様に「話を遮るならば出ていけ」と言われ渋々口をつぐんだ。
「では……フィオナと言ったか。それを証明できるか」
そう言われてどうすればいいか悩んでいると、ルーファス様がテーブルの上に手をかざした。
するとすぐに緑の光が玉となって空中に浮いている。「こんなものか」と言ったと同時に緑の光は消え、光の玉から解き放たれた風がぶわりと髪を揺らした。
風の魔法の真下にあったテーブルには薄く瘴気の痕が残った。
「な……なにを……」
アバルモート司教は、喉の奥で息を詰まらせたような声で呟く。
私は瘴気の痕にそっと手のひらを重ねた。
瘴気の痕を包み込むように、静かに祈りながら魔力を流し込む。
するとテーブルに染み付いていた瘴気は淡い白い光に包み込まれ、まるで朝露が消えるように静かに跡形もなく消えていった。
「瘴気が……なんだ……この光は……!」
司教は我を忘れたかのようにテーブルに前のめりに手をつき、白い光が鼻の先に当たってしまうのではないかと思うほど食い入るようにその現象を見つめる。瘴気を浄化し、魔力を流すのをやめると白い光は消えた。
「こんな……ことが」
大司教様は、信じられないという表情で、瘴気のあった場所を確かめるように滑らかなテーブルの表面を何度も撫でた。
「聖女だ……」
そう渇いた声で呟いたのはアバルモート司教だった。
私の目を真っ直ぐ見つめるその瞳は、先程までの侮蔑に満ちたものとは違う。まるで飢えた獣のような、ギラギラとした妖しい光を宿していて、背筋が凍りつくように冷える心地がした。
「聖女様、貴女こそ我らの光です。貴女は我等の教えが正しいことを国中に……いや世界中に証明してくれる!」
まるで何かに魅せられたかのようにゆっくりと私に手を伸ばした司教の手を、ルーファス様は冷ややかに払いのけた。
ルーファス様は立ち上がり、私を庇うように前に出る。
司教は不当な扱いを受けたとばかりに憎しみの籠った目で彼を睨んだ。「穢れた悪魔め」とルーファス様に向かって呟いた彼は、すぐに大司教へと向き直った。
「大司教、聖女様を教会にお迎えする準備を致しましょう。自然の理を歪め、邪悪な瘴気を生み出す魔法は悪であると、我らはずっと叫び続けておりました。その言葉を聞いた神々が、我等の元に聖女様を遣わしてくださったに違いありません!」
「口を閉じていなさい。司教」
信じられないことを言われたとばかりに、司教は大司教と私を交互に見据えた。彼の声は焦燥に震えている。
「何故です!大司教は、聖女様を悪魔公の側に置いておけると?彼が行った罪の数々を大司教は誰よりもご存じでしょう!聖女様の聖なる光の恩恵は、神の御心に寄り添い続けた我等にこそ与えられるべきだ!我等の声を聞かず、瘴気で大地を穢し続けた貴族らに聖女様の聖なる光は与えられるべきではない!」
司教は瞬きすらも勿体無いとでもいうように、ギラギラとした獲物を狙う獣のような目で私をみた。
「さぁ、聖女様……もう一度わたくしめに先ほどの力を見せていただけませんか。聖女様のお力をもう一度……」
彼の顔に浮かんだ狂気の籠った笑みが恐ろしくて、私は無意識にルーファス様の黒い袖を指先が白くなるほど握りしめた。
「司教!もうよい!退室せよ!!」
大司教様は、それまでの穏やかさを一変させ、部屋中に響き渡るほどの強い声で命令を下した。
目を見開いた司教は大司教様に縋り付くように言葉を続けるが、大司教は彼の言葉を受け取ることなく退室させた。
彼の足音が遠ざかるのを聞き、私はようやく肺の奥に溜めていた息を吐き出した。
ルーファス様は、すぐに身を屈めて私の顔を覗き込んだ。彼の赤い瞳には、深い心配が滲んでいる。
「大丈夫か、フィオナ」
「大丈夫です……ありがとうございますルーファス様」
「大変失礼した。彼には後でこちらから話をしておく」
大司教様はそう言って、一度乾いた掌で顔を覆い、心を落ち着かせるように深く息を吐いた。そして、改めて私たちに向き直る。
「それでは、話の続きを聞かせてくれ」




