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第九五話 詩人、屈原

 屈原は朝議からの帰宅後、大将軍に推挙したい人物と会う。

 屈原は朝議の後、馬車に乗って屋敷まで向かった。彼は孤独だった。誰からも、お酒や遊山に誘われることもなく、屋敷と宮廷の往復が日課であった。

 彼は優秀な人間で、尊敬を集めてはいた。だが彼に親しみを感じる人は少なく、彼はどこか人間味に欠ける生真面目な人間として見られていた。つまるところ、彼に友達と呼べる存在は居なかった。

「旦那様、屋敷に着きました」

「分かった」

 馬の手網を引く男の顔を、屈原は見た。見覚えのある顔だが、彼の名前すら知らない。一度でも、ありがとう、といったことがあっただろうか。恐らくないであろう。しかし、賃金を払って雇っているのだから、働いてもらうのは当然であり、わざわざ感謝し労いの言葉をかけてやる必要もないと思っていた。

 だから屈原は今日も、感謝や労いの言葉はかけず、帰宅した。

 帰宅してからは、いつも同じことをする。良くも悪くも、その日々の習慣を邪魔する者はいない。

 同じ向きに靴を揃え、同じ歩幅で書斎へ向かい、同じ模様の衣を着替えて、同じ茶を飲みながら、同じ場所に座る。

 それから竹簡や地図に目をやり、天下の情勢について考えるのだ。

「過去の事例からしても、家柄に泊がついていない者を高官にするのは、憚られるな……。しかし今の楚には軍においても柱が必要。適任の者は……やはりあの男しかおらぬか」

 独り言を呟く屈原の許に、従者が訪れた。

「旦那様、項邑(こうゆう)より項叔(こうしゅく)殿にお越しいただきました」

「ようやく来たか、通してくれ」

 中へ招かれた項叔は、令尹屈原に挨拶をした。

「そんな儀礼は要らぬ。座られよ」

「しからば」

 腰を下ろした項叔に一息つかせる間もなく、屈原は前置きもなく、本題を話し始めた。

「項叔殿、そなた大将軍の位に興味はないか」

「あ、え……? 大将軍ですか?」

「そうだ。知らぬ訳もなかろう」

「無論存じあげてはおりますが……なに故突然、私を大将軍に推挙なさるのですか? 我らはお会いしたことすらなく……」

「会っていなくとも、そなたの活躍や日々の慎ましい暮らしぶり、項邑の民草からの評判は耳にすることは多い。私は令尹だ。楚の政を統べる身として、楚人のことは他の誰よりも詳しい。それは、若き楚王よりもです」

「さすれば、他に適任者もおりましょう。私は郢に来たこともほとんど初めてですし……その、ただの田舎者にございます故」

「郢での暮らしには、これから慣れれば良い。そなたは家柄や功績、人徳の全てにおいて、この楚で軍の頂点に立つに相応しい。そなたの風格は張家界の剣山にも勝るとも劣らぬ。そなたの詩を詠んだこともある」

「さ、左様でございますか……。では大将軍の大任を、お受け致しましょう」

 項叔は終始、屈原の論調に乗せられっぱなしであった。彼は大将軍の任を受けられるほどの逸材ではあった。比較的無名ではあるが、能力は確かなものがあった。

 彼は大将軍の任を受けると約束し、屈原の屋敷を後にした。

 噂に聞くとおり、屈原とは変わり者だと感じながら、帰路へと着いた。

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