十七話中編
一体あの男は何を考えているのだろう?
疑問に思うことはない、答えは出ている。何も考えていないんだ。
何も考えずに当たり前として私に名を付けて、当たり前に私を家族だと言った。
本当に馬鹿だ。あの男の父親も馬鹿だと思ったが、あの男も同じ、いや、それ以上に馬鹿だ。
でも今、私は満たされている。足取りも恐ろしく軽い、重力がなくなってしまったように軽くて心地良い。
私は彼に危険を冒して欲しくなくて態と、この時間が誰も通らないだろう道の方へと向かわせたが、きっと彼は迷ってるだろう。だが、迷っていたとしても、彼のいるエリアは少なくとも警備が薄い方だから、彼ならば上手く逃げおおせるだろう。
この船、この規模の割に割かれている人員は少ない。「I」をそれほど重要視してないからだろう。付け入る隙はある、私一人でだって妹を救い彼の手にまで行けるように逃がしてやるくらいできる。
やらなくちゃいけない。家族と呼んでくれた彼の為にも。
そんな時に聞こえたのは銃声。
雛子は振り返った。凄く嫌な予感がした。この中で銃声が聞こえるということは味方ではない、敵を撃ったということだ。敵とは、すなわち藤谷しかいない。
血液が全て冷たい物に変わった。冷えきった体を引きずりながら銃声の聞こえた方へと駆けていく。
安全な筈だ。綿密に調べたのだから、絶対と言えなくてもまさか撃たれるような状況になるはずがない。そう心の中で断言したが、それを打ち消す言葉が急浮上してきた。
……………リサ、検体名は「L」、雛子もアイも会ったことのない私達を研究していた場所の長に会ったことのある唯一の検体、長のカリスマに惹かれて手となり足となっている女、彼女なら雛子がシステムに入り込んで見張りの動きを調べた事を知られてる可能性がある。
嫌な予感が止まらない。嫌な想像は勝手に肥大化して爆発してしまいそうだ。
想定していた筈だ。リサの存在は想定していた。まさかアイの防御ではなく藤谷に向かうなんて、雛子が体を取り戻して裏切ったのはもう知られてる。
しくじった。藤谷と別れて行動すべきではなかった。
「……………藤谷?」
たどり着いた。銃声はここで間違いないようだ。だって、藤谷が閉められたシャッターの前で倒れているのだから。
美々は狭い狭い通風用のダクトを進んでいた。
大した移動距離ではない。隔壁一枚分越えるだけで藤谷にたどり着く。信じて這う、「信」と「這」って似てる。そんな事を考えて美々は一人でにやけてみた。でも、駄目だった。
たった一枚が永遠に感じる。3メートルもないのに、凄く長い。
気丈に振る舞ってみたが怖かった。藤谷が死んでしまうかもしれない。それだけ考えると泣き出して、叫び出してしまいたかった。
これを越えた先に、降りた先に、その先に藤谷の死が待っていたら、美々は狂ってしまうだろう。
藤谷は大丈夫、そう信じて願って縋って美々は進む。恐怖を噛み殺しながら。
たどり着いた。一枚分越えた先で見付けた口に再度銃弾を撃ち込んで廊下に降り立つ。
ここに来る途中の誰かの部屋にあって拝借してきたこの銃も弾がなくなってしまった。
「藤谷?」
「あ、ああ美々、無事だったかよかった」
藤宮美々、もとい香里美々は後悔した。
なんで私は弾を撃ちきってしまったのだろう。右手の銃にはもちろん弾は入ってないが構えた。狙いは藤谷、絶対に外さない距離だ。
「今回の執行は、痛いわよ」
藤谷もようやく自分の置かれた状況が分かったらしい。慌てて起き上がって、立ち上がって首が取れる勢いで首を振っている。
「ち、違う、違います違うんです! ほら、ほら、ほらほら」
呼吸すら出来てないようでテンパった藤谷は必死で今まで藤谷に膝枕していた少女を両手で示した。
パッと見た時はアイに見えた少女は、明らかにアイとは違う少女、強い白のイメージを受けるという点では変わらないけれど。
「なにかしら? どうしたら藤谷が膝枕で気持ち良さそうにしながら私の心配なんかしてくださりやがってくれるのかしら?」
銃口は尚も藤谷を狙ったまま、そろそろ止めようかと美々が思ったところで正座したままだった少女が口を開いた。
「美々、お叱りは後で藤谷が深く染み込むように受けますから、今はここから逃げましょう。アイは…………私がなんとかしますから」
「あら、そんなこと藤谷が認めないわきっと。それで、貴方は誰?」
藤谷がそこに割って入ってくる。
「そうだ、帰るなら皆でだろ。アイの場所まで案内してくれ雛子」
「……………美々、私は藤宮雛子です。ずっとアイの中にいました。詳しい話は後にしてここを動きましょう。藤谷も大丈夫そうですし」
藤谷の発言に難しい顔をしてから、雛子と名乗った少女は立ち上がって提案をしてきた。
まだ彼女が何者か、味方か敵かも分からないが、彼女提案は尤もだった。
「そうね。藤谷はなんで助かったのかしら?」
今安心感が深く深く身を包んでいて少し張り詰めたものが緩んでいた美々だが、徐々に感覚を戻していく。そのための時間稼ぎもかねての質問、
「これだよ」
藤谷はややげっそりとしながら制服の内ポケットからなにかを取り出した。
「あら、お義父様に渡されたお守り、いれといてよかったわ」
軽い調子で言ってはいるが、美々は心底安心していた。
そして藤谷の手に持っているそれは『どんな困難も破って壊す。そんな名目で生きる初老の男性の像』だ。美々はこの像にはもう突っ込みをいれない事にしていた。
その像の頭部に減り込んでいる弾丸、謎の鉱石、あの像の硬さは一体なんなのだろう。だが今は藤谷が無事だったことに安心しよう。
「そろそろ移動しましょう。これ以上留まるのは危険です」
雛子の言葉と共に警報が鳴り出した。映画でしかこんな警報聞かないと思ってたのにまさか自分がその警報の対象になるとは、人生わからないものである。
「移動には賛成するけどこの船に果たして安全な場所があるかしら?」
「なら目的を果たして帰ります」
目的、美々の目的は藤谷を連れて帰ること、会ってから聞こうと思っていたがどうして藤谷はこの船に乗ったのだろう。
藤谷が走り出したところしか見てない美々には全く分からないが、アイに瓜二つの少女、結局見付からなかったアイの状況を考えるとアイが関係してる可能性が非常に高いと見た。
「じゃあ目的はアイを連れて帰る事ね」
「そういや美々はどうやってここに? アイが誘拐されるところ見たのか?」
藤谷が答え合わせをしてくれた。美々がこの船まで来れた理由は簡単、
「藤谷、貴方の制服にはね。発信機が仕込んであるのよ。浮気防止用にね」
あっ、藤谷が固まった。
藤谷の事は信用してるが、藤谷は優しいし、格好いいし、暖かいし、安心するし、言ってたらきりがないくらい良い男なんだもん。仕方ないよね。
「なぁ、その発信機、外せないの?」
「外すの?」
態と泣き真似をしてみる。やっぱり藤谷は藤谷だ、これだけでうなだれてなにも言ってこなくなってしまった。
大勝利!
「お二人、よくもまぁこの警報の中で余裕でいられますね。というかよく会話できますね!」
雛子に怒られた。怒られたというより、呆れ七割、怒り二割、愛が一割ってところだろうか、とうんうん頷きながら藤谷は考える。
「もっと緊迫感を持ってください! 後、一割の所はありません!」
……………雛子のは超能力なんだよな!?そうだよな!?
「いえ、あなたが藤宮藤谷だから分かるんです」
もう嫌だ。誰か俺にプライバシーとか、人権とか心中の自由を下さい。
そんな漫才を三人でやってると黒服とサングラスで全く違いのない男達が駆けて来るのが見えた。
藤谷は二人を見た。美々はつまらなさそうに狭い通路で何人列んで駆けてきてるのか分からない男達を見ている。雛子はやれやれと言った感じに首を振っていた。雛子は率先して動こうとしなかったので藤谷は雛子がアイの居場所を知らないと見当をつけた。だから、知ってるであろう人間に登場してもらう事にしていた。
やっぱり美々が傍に居てくれるのは心強いようだ。藤谷の精神は静かな湖面のように安定している。
どうやってアイの居場所を聞き出すかなんて頭を使うことは二人に任せて、藤谷は三人以上並行してこれてない黒服達を見つめる。
三人ワンセット、右腕も本調子じゃない藤谷が一体どこまでやれるか、あの男達が一体どれくらい列を作ってるか。
難しいことは適材適所、俺は目の前の黒服達と喧嘩(分かりやすい事)だ。
目の前は十字路、後ろはシャッター、つまり行き止まりだ。あの集団が十字路まで来るのはまずい、十字路では三人しか並べなかったのが変わるからだ、下手をすれば包囲される。
それを避けるために藤谷は駆け出す。船内の碁盤状の構造を考えると十字路の左右から迂回されて包囲も有り得る。だから真っ直ぐだ、あわよくば正面突破、そのままアイを救い出す。
藤谷が駆け出す。
「藤谷!」
美々が後ろで名前を呼んでくる。それが静止の言葉だと気付いた時には人影だろう物体が右の道から藤谷目掛けて突進してきていた。
避ける事も、もちろん反撃も出来ずにタックルで吹き飛ばされる。
「フジミヤ、やっぱり頭は弱いですね」
睨むように藤谷が見上げるとさっきとは全く違う格好のリサが立ちはだかっている。教師の格好から体の線出まくりのライダースーツを着てる。
「このっ!」
藤谷は立ち上がって目の前のリサだけを目指すが、いつの間にか後ろに迂回してきたであろう黒服三人に捕縛された。
「クソッ! クソッ!」
もがくがまるでびくともしない。三人掛かりの上に押さえ方が明らかに違う、確実に柔道のような格闘技に精通しているこの黒服達は。
「フジミヤ、それとコオリ、動くのはオススメしないわ」
藤谷からでは十字路であるために美々と雛子の姿は見えないが、きっと美々が動こうとしたのだろう、それを美々はリサの銃によって制されている。
十字路の内、美々と雛子のいるシャッターが閉まっている通路以外は黒服で埋まってしまった。
何人いるんだよチクショウ、万事休すか…………
「フジミヤ、君は当初の予定通りに飼ってあげる。調教してその性格も矯正してね」
嫌らしくリサが笑う。藤谷は背筋がヒヤリとして気持ち悪くて仕方ない。
「あら、藤谷は私の旦那様よ。冗談でもそんな事言われるのは腹立つわ」
ああ、見えなくても藤谷には見える。きっと美々は挑発的に笑ってる、笑ってるだろうとかではなく断言出来る。
藤谷も少しだけ冷静になってきていた。やらなきゃいけない、万事休すでも雛子と美々、そしてアイは守らなきゃいけない。美々が挑発的な態度なのもきっと自分を信じての事だ。
考えろ、いや、探せ、見付けるんだ逆転の一手を。
「コオリ、君の処分は…………ふふ、言うまでもないわね。後H、あなたは姉妹揃ってモルモットよ。どうせ船から逃げれるわけないのになにやってんだか、Iももう心はないかもね。随分酷い有様だったし、ヒヒヒ」
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藤谷の中で何かが引きちぎれていく、加速度的に体が熱くなっていく、目の前がよく見えなくなっていく、頭の中がクリアになっていく。
自分が今まで体験した事ない位怒ってるんだと気付いた時には体は自由になっていた。押さえ付けていた黒服達は壁に寄り掛かって寝ている。
「………………テメェ、後もっかい喋ってみろ! もう許せないのに、絶対に許してやれなくなる!」
ゆっくりと歩いていたんだ、更に後ろに待機していた黒服に再度捕縛されるのは当然だったが、その黒服達も腕を振るだけで吹き飛ばす。
一歩、一歩、リサの焦った顔が近付いてくる。いや、近付いていってるのか、どうでもいい!
リサを覆うように展開してきた黒服達を拳一つ見舞う度に一人ずつ排除していく。狭い通路なので何人か踏んでしまってるが仕方ない。
「フジミヤ! 恋人がどうなっ!」
既に藤谷はリサの目の前にいた。銃を持った手首を折れてもおかしくない握力で掴み、更に空いた手でリサの首を締め付ける。
「俺の大事なものは絶対に傷付けさせない、アイを返しやがれ」
「…………ぐぁ、ふざけないで、Iを連れて帰らないと私が殺される」
「ならそいつを俺がぶっ飛ばす。だからアイを返してくれ」
「…………………い・や・だ」
腹部に衝撃、藤谷が腹を見るために見下ろすとリサの膝が減り込んでいる。
だが、藤谷はリサを掴む事を止めない。体が、血が、全部熱湯のようになってる藤谷にはもう痛みを感じる事もない。
「そっか、なら力付くだ!」
リサを放し、突き飛ばして美々と雛子を守るように立つ。
後ろの二人は死んだって守らなきゃいけない、沸騰しきった頭でそれだけを頭に置く、でも、そんな時に純白の少女の真っさらな笑顔が思い浮かんだ。
……………二人から離れるわけにもいかない、でも守りだけじゃアイを救えない。
残った黒服達が一様に銃を構えだした。今すぐにでも突撃をかけなきゃいけないのに後ろの二人が気にかかって動きが一瞬止まる。その一瞬が文字通り命取りになった。
藤谷はしっかりと見た。アドレナリンが出まくって時間すらゆっくりに感じる藤谷ははっきりと黒服達が引き金に指をかけるのを見た。
もう間に合わない。クソ、チクショウ、俺はまた中途半端に迷って大事なモノを失うのかよ。俺の命だけじゃこの失敗は払いきれない。
藤谷が諦めかけたその時、並んで銃を構えていた黒服達が吹き飛んだ。つまり、藤谷達から見ると黒服の後ろで爆発が起こり藤谷に倒されて寝ていた黒服達さえも爆発で目の前に落ちてくる。その瓦礫のようになった黒服の奥から一人の男が現れた。
「………………本当に美味しいところばかり持っていきやがって」
藤谷は悪態を吐いた。もちろんこんな良いときに現れるのはあの男である。
「ガハハハッ、祭だ祭だ。藤宮最強、藤宮最高、ふじぶぉっ!」
あまりにウザいので、爆発で転がってきた瓦礫を投げつけてやった。
先に言っておくがこの爆発、恐らくは火薬を一切使っていないだろう。あの男の人為的なものだ。
藤宮藤谷の父にして、藤宮一家の大黒柱……………訂正、大黒柱が根無し草は洒落にならないので……………駄目だ、あの人をどう頑張っても格好良い呼び方出来ない。
瓦礫を顔面に喰らっても平然と高笑いしながら親父は歩み寄ってきた。よく見るとリサも逃げ出したようで無事に動ける黒服はいないようだ。
「親父、ありがと、お礼ついでに頼みが二つある」
「ん? なんだ?」
この馬鹿親父のお陰で藤谷も大分落ち着いた。だが、まだ落ち着ききってはいけない、大仕事はこれからだ。
「えと、こいつ藤宮雛子、一緒に帰るから、後、家族、だから」
雛子の肩を持って親父の前に差し出し、上手く言えず片言になりながら言い切る。
親父は雛子の顔をジッと見つめた。
「あ、あの…………私雛子で…………」
「そうか、よろしくなヒナ」
豪快に笑って親父は雛子の髪をくしゃくしゃになるまで撫で回した。
「……………いやまて! 親父止めろ! そこは優しく雛子がくすぐったそうに目をつぶる程度だろ!? 取れる取れる! 首が取れちまうよ!」
「おっ、そうかすまねぇなガハハハッ」
「雛子大丈夫か?」
「…………………………きゅ~」
あっ、目回してるよ。
藤谷はそっと雛子を寝かしてやる。親父には言いたいことがやまほどあるが、まずは二つ目のお願いだ。
「親父、俺はアイを助けに行く。だから、俺の命より大事な二人を頼む」
真摯な気持ち、それをぶつける。親父もこの言葉の意味を読み取ってくれるだろう。
きっと親父の事だから俺達を安全な場所に逃がしてから、アイを救いに行くはずだ。それでも、俺はそれを譲れない、譲ってもらわなきゃいけない。責任は俺にあるし、何より、俺がそうしないと気が済まない。
「ほう、なら任せたぞ」
軽っ!
まぁいいや、なら気合いを入れて行くとしますか、怒りで暴れんじゃなくて、心からアイと雛子と美々、家族で家に帰る事を願って戦うんだ。
「んじゃ、こっちも任せたからな」
藤谷は進む、親父とすれ違い、更に進む。アイの居場所は適当な奴を殴ってでも聞いてやる。
「覚えておけ藤谷、お前も俺の命より大事なモノの一つだからな。もちろんアイもヒナも美々の嬢ちゃんもだ。それと上に船をつけてる、アイと上に上がってこい」
「ああ」
……………船は一体どうやってこのでかい船につけてるか、とかその船は誰が操縦して今は誰が見張ってるか、とか懸案事項だらけだったが藤谷は炉の火をもう一度燃やす。燻って今にも消えてしまいそうだったが、今はアイの事だけを考えてこれを燃やす。
やっぱりなんだかんだで頼りになりやがるなあの馬鹿親父め。
進む藤谷を背後から何者かが肩を押さえ付けてきた。
藤谷が振り返ると、
「んっ!?」
いきなり口を塞がれた。目の前に広がっているのは美しい漆黒、嗅覚は優しい香に占領され、背中に手を回された。
さっきから美々に唇を奪われてるって分かっている、分かっているんだが、中々離してくれない。
肩を掴んで押して、距離を取ろうとするがしっかりと押さえ付けられていて引きはがせない。
なんて膂力だ!
そしてどれだけの時間が経っただろうか、うっとりした美々の顔の全体が見えるようになった。
「本当、銃とかなんとか、どうしてこんな事になったか分からないけど、待つのもいい女のステータスだからね。だけど、貴方を思う私の心は連れてって」
まずい、心底惚れ直した。つか、可愛すぎる、ええい、化け物か!?
思わず、反射的に、意思をするよりも早く既に結果が出ていた。美々を強く強く抱きしめた。
「ああ、待っててな。帰ったら美味い飯を沢山頼むよ」
「うん、絶対に帰ってきてよ。帰って来なかったから……………どこだって連れ戻しにいってやるんだから」
名残惜しい、名残惜しいではすまないくらいの名残惜しさを感じながら美々と離れる。
「んじゃ行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃいアナタ」
藤谷は緩ませていた頬を引き上げて、反転、走り出した。




