チャリティ短編集に出稿したけど出版されたか不明なので公開します『頭上の猫がニャーと鳴く』
灰色狼がワオーンと吠えた。
ソレを頭に載せた可愛い女の子がナンパされてる。相手はチャラそうな男で、滑らかに口を動かして、きっと腕利きのナンパ野郎なんだろう。
かわいそうに。あの男、食い物にされるな。
お淑やかに頷いた女の子の目が一瞬赤く光って見えたのは、気のせいにしておこう。ホテルに着く前にコワイお姉ちゃんらに囲まれるとか、そんなことはないよ。きっと。
あそこにいるガラの悪そうな男には、小さなミドリガメがちょこん載ってる。怖いのか頭を隠しちゃってるけど。
気の小ささを威勢でカバーしてるんだろうな。
巻き込まれたくはないからさっさと待ち合わせ場所に急ごう。
俺の目は、不思議なモノを映し出す。
いまみたいに、頭にお座りしてる小さな灰色狼とかミドリガメとかが見えるんだ。
もっとも、全ての人の頭に動物がいるわけじゃない。真っさらで何もいない人が大半だ。あえて隠してる特性みたいのが、動物の姿となって見えるんだ。
そんな不思議なものが見えちゃう俺の名は司合充。大学二年の二十歳だ。
物心ついた時には不思議なものが見えてた。もちろん俺の頭にも、いる。真っ黒な尻尾をくねらせて欠伸をしている、黒猫がね。
俺の頭にいる黒猫。不吉な動物だ。
そう、俺の特性は運が悪いこと。苗字は【幸せ】なのに、めっちゃ不運なんだよ。充って名前も、不運が当たってくるんだ。
今もガムを踏みつけたところだ。とれないんだよな、これ。
ガムと格闘すること五分。待ち合わせには間に合いそうもない。寝坊したのが原因不明だけど、それも目覚まし代わりのスマホの電池が切れてたから。遊びに行くというのにツイてない。
ブルブルとポケットのスマホが揺れる。待ちきれないアイツからだろう。スマホを取り出してみれば、案の定アイツからの着信だった。
「ごめんミチコ、あと少しでつくんだ。ちょっとトラブってて」
「だと思ってそっちに向かって歩いてるー。あー、アタルの後頭部が見えるよー」
なに?
がっと背後に振り返れば、スマホ片手に軽やかな笑顔のアイツがいた。
「なんで俺のいるところがわかるんだよ」
「んん、なんでだろうかね? 赤い糸的な運命かも?」
ポニーテールと茶色のチェック柄のミニスカをふりふりしながらミチコが歩いてくる。ニーソが作り出す絶対領域の白さが眩しすぎる。
「お前とは確かに腐れ縁だがな、つーか、目の前に来てまでスマホで話すのやめようや」
「あはは、そだねー」
でもね、とミチコが俺に指を向けてきた。
「遅刻だから今日もアタルの奢りね! いやー、アタルと遊ぶと食費が浮きますなー」
クソっ。そのドヤ顔が気に入らねえ!
「俺がやたらと運が悪くて、お前がやたらと運が良いだけだ!」
「ふふふ、そのとーり!」
にやりと勝利のサムズアッブをかまされた。
そう、コイツは運が良い。だって頭の上に白いフクロウがいるんだからな。白いフクロウってのは幸運を呼び寄せるんだとか。黒猫がいる俺とは真っ向逆だ。
富口美智子
コイツの名前だ。【不幸】って名字なのに、俺よりも幸運な奴だ。
幼稚園からの腐れ縁で、学科は違うが大学も一緒。アパートも隣の部屋ときた。不運な俺は幸運を見せつけられてるようだ。神さまは俺に恨みでもあるのか?
何かと俺に絡んできやがるコイツは、別に彼女じゃない。仲がいい異性だ。
遊びに行く頻度も多いけど、気の置けない友人な関係だ。
「いやー、さっき財布拾っちゃってさ。交番に届けたらちょうど落とし主が泣きそうな顔しててさ。ありがとうございますって何度もお礼言われちゃった。いいことをすると気持ちがいいねー」
「それさ、ガム踏んづけて凹んでる俺の前で言う?」
「アタルの沈んだ気持ちをぶわぁっと良くしてるんだよー」
「その晴れ晴れとした笑顔がムカつく!」
「まぁまぁ、アタルだってあたしといると笑顔になるっしょ?」
確信しきったその笑顔が憎い。しかもその通りだからなおさらだ。
確かに幸運の塊みたいなミチコといると、俺の不運ゲージも下がるっぽくて酷い目に合うことはない。それがミチコと腐れ縁な理由でもある。
特段可愛いわけでも、綺麗なわけでもないコイツの隣は気楽だ。かくいう俺もイケメンじゃないし、普通だ。
持ち前の明るさと幸運もあってミチコの周りには大体男の姿がある。結構モテモテだ。
なんだけど彼氏も作らねえわ不運な俺なんかにくっついてくるわで、理由が分かんねえ。
「あ、のんびりしてると映画が始まっちゃう。ほらイコイコ!」
にぱっと笑うミチコに手を取られた。
「ちょ、走るなって!」
白いフクロウがくるっぽーと鳴いた。
☆★☆
「司合君、ちょっといい?」
「はい?」
学食でラーメン食ってる俺に声がかかった。んっと、この子はミチコの友達のさっちゃんだ。学内で一緒にいるのをよく見かける。ちなみに頭の上にいるのはカマキリだ。
「えっと、なにか?」
「みっちゃん、やばい男子と合コンすることになったって言ってるんだけど、司合君聞いてる?」
やばい男子ってヤリサーのこと? ミチコが合コン? なんだそれ?
「いや、聞いてないし」
「聞いてないって、司合君はみっちゃんの彼氏でしょ?」
さっちゃんはご機嫌斜めみたいだ。頭の上のカマキリがシャーっと威嚇してくる。ってか、カマキリがシャーとか言わないっしょ。
「え、いや、俺は彼氏じゃ、ないな……」
「えぇぇぇ! いっつもふたり一緒で熟年夫婦認定されてるのに!?」
「すっげぇ初耳だけど?」
俺とアイツは気が合う悪友って感じで、彼氏彼女って間柄じゃない。まぁ、好きか嫌いかと言われれば好きだが。
「言いくるめられちゃったっぽいんだけど、あのままだとみっちゃん襲われちゃうよ?」
「襲われるって……ヤリサーっつったってそこまでやらないでしょ」
「先月、他の学部の女の子が餌食になっちゃってるの、知らないの?」
スゴイ剣幕で怒ってるけど、アイツが決めたことに俺が口をはさむ権利なんてないしなぁ。てか、カマキリ君がカマを持ち上げて臨戦態勢なんだけど。怖いよ?
「いいから、キミは彼氏君なんだから何とかしてあげて!」
テーブルをばーんと叩いた彼女は床を鳴らしてどっかに行っちゃった。
何とかしろと言われてもだな。俺はミチコに相談もされてないんだ。どうしようもないじゃん。っと伸びる前にラーメン食べないと。
「あ」
割りばしが汁の中におちてた。俺の頭上で黒猫がニャーと鳴いた。
アパートに帰った俺は、隣の部屋のミチコを訪ねることにした。インターホンを押せば「はーい」といつもの声。間が抜けた声だが、聞くとホッとする。
「あー俺ー。ちょっと話がある」
「まってー、いま開けるー」
ガチャリとドアが開く。色気のない灰色のジャージに黒のスパッツ姿のミチコ。うーむ、無防備というか、俺を男と見ていないというか。むっちりした太ももが眩しい。
ヤリサー合コンに行ったらまっさきに餌食になるな、こりゃ。
「ん?」
ふと見たミチコの頭にフクロウがいない。コイツに幸運をもたらすフクロウが、いない。
なんか嫌な予感がするな。
「どしたの、あがらないの?」
「え、あ、ああ、おじゃまします」
「ふふ、おかしなアタルー」
にっこりと笑うミチコに違和感はない。いつもと同じだ。
俺の部屋と変わらない、ベッドと小さいテーブルがあるだけのワンルーム。さっと差し出されたクッションに胡坐をかく。ミチコはベッドに腰掛けて髪を指に巻いてイジイジしてる。後ろめたいんだろうなぁ。
「で、用事ってなに?」
「あー、小耳にはさんだんだけどさ。お前、合コンに行くの?」
「え、あ、それ、誰に聞いたの?」
「さっちゃん」
途端にミチコの顔が曇るのが分かった。なんか理由があるなこりゃ。
「まぁ、詳しくは知らないけどさ、その相手って、良い噂を聞かない奴らなんだよ」
「……それは知ってる」
「知ってて行くのかよ」
「だって、仕方ないじゃん。なんか強引に誘われてて困ってる女の子がいたからさー、あたしが代わってあげたんだー」
髪をいじりながらミチコはそんなことを言う。いつもと様子が違うのが駄々分かりだ。
「なんか理論がおかしくね? 困ってるから自分が代わるとか。それお前が困るだけじゃねえか」
「ダ、ダイジョウブ。あたしってば幸運な女だから! 何事もなく合コンもオワッチャウヨー」
「……その棒読みのカタコトを信じろと?」
お前のその幸運を引き寄せてたフクロウの姿がないんだぞ? 何事もなく終わるわけないだろ!
「だ、だって。かわいそうだったんだもん……」
どんどん声が小さくなっていくミチコ。
俺としてはそんな合コンにミチコを送り出したくはない。ミチコも元気がなくて妙に弱気に見える。
ん? もしかして、その子を救ったことで不運になって、フクロウがいなくなったのか?
今までにそんなことは見たことはないけど。まぁ、気にしなかっただけだが。
だとしたら余計にまずい。
「やめとけって」
「でも約束しちゃったし……断ったらその子が」
どう見ても焦ってる顔してそんなこと言ってもなぁ。はぁ、とため息しか出ない。俺としては知らない女の子よりもお前の安全が大事だってのに、気がつかないかね?
「今からでも間に合うだろ? なんなら俺も一緒に断るしさ」
「運が悪いアタルがいたらそれこそだめじゃん」
「俺はだなー」
「ぶー、もういい、帰って!」
ミチコが投げた枕が顔にあたる。枕からはほのかにシャンプーの香りがした。
頭の上で、黒猫がニャーと鳴いた気がした。
これも不運だってのか? 俺にはラッキーに感じたが。
☆★☆
気まずくてミチコには会わないまま大学に来た。部屋が隣の割に姿を見ないもんだな。朝はたいてい顔を合わせるから一緒に大学に来てたんだ。ひとりで来るのも久しぶりな気がする。
大学の学食で昼食中のさっちゃんを捕まえて、合コンの日取りを聞いた。なんと今日らしい。まじかよ!
「みっちゃんとは話をした?」
「したけど、断らないつもりみたいだ」
「えー、なんでー?」
「教えてくれなかった」
さっちゃんは「むー」と口を曲げて唸ってる。親しいはずの彼女にも理由を言ってないのか。どーゆーことだよ。
「わかった。俺、探してくるよ」
「おねがい!」
さっちゃんがパンと手を合わせて拝んできた。俺はお地蔵様じゃねえ。むしろ不運を呼ぶ疫病神だ。
フクロウのいないミチコのもとには幸運は訪れない。なんでいなくなったのかはさておいて、とにかくミチコを探さないと!
「うぉっとぉ!」
勢いがよすぎたのか、椅子に足に躓いた。相変わらず運が悪い。
頭の上で黒猫がニャーと鳴いた。
さっちゃん曰く、今日は姿を見てないらしい。もしかしたら部屋にいたのか? てっきり学校に行ってるのかと思ってノーチェクだったぞ。
あれか、俺が行くなってうるさかったから会わないようにしてたのか?
ミチコにも理由があったのかもしれないな。さっちゃんにも、俺にも言えない理由が。
とにかく、俺は部屋まで戻ることにした。電車がのろのろ進むのがもどかしい。もっと真面目に走ってくれ!
駅を降りてアパートまでダッシュを繰り返した。脇腹が痛いけど、んなもん我慢だ。とにかくミチコの話が聞きたい。
アパートについてミチコの部屋のインターフォンを鳴らす。ピンポンピンポンと何度も鳴らすがいつもの声で出迎えてもらえない。
もう十七時だ。出かけたっぽいな。
腹いせにバンとドアに平手を食らわせた。
どこで合コンするんだか知らねえ。いつも一緒にいたからアイツがどこに行くのか気にもしなかった。後悔ってのは後からするんだと、よぉく思い知らされてる。
くそっ、今のままじゃミチコがやべえ。
幸運のフクロウがいないんじゃ、哀れな仔羊になるのが目に見えてる。いまさらながらアイツの存在の大切さに気がつくなんて、情けない。
「どうすりゃいいんだ!」
またドアを叩いた。叩いたって答えなんかでないけど、でないけど……
くるっぽー。くるっぽー。
背後から聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。振り返ればそこには白いフクロウ。ミチコの頭に乗っかってる、あのフクロウだ。
なんでここにいる?
戻ってきたのか?
戻ってきたなら、なんでここにいる?
アイツのところに戻らないのはなんでだ?
頭の中には疑問符がパレードしてる。
ちょっとしたパニックの俺の頭の上の黒猫がしゅたっと降りた。フクロウの前でおしゃまにお座りしてる。いやもう、なんだかわかんねえ。
ニャー。
くるっぽー。
ニャー。
くるっぽー。
お前ら会話できるのかよ!
黒猫との会話が終わったのかフクロウが飛び立った。と思ったら天井にぶつかった。
羽で頭を人撫でしたフクロウがふらふらと飛び立ち、手すりの向こうへと消えた。
お前、幸福を呼ぶんじゃなかったのか?
☆★☆
茫然と見送っちゃったけど、もしかしてフクロウはミチコのとこに行こうとしてるのか?
ニャー。
床にいた黒猫がジャンプして頭の上に戻ってきた。別に重みは感じないんだけど着地の瞬間に肉球を感じた気がする。
タシタシと頭が叩かれた。黒猫が前足で叩いて催促してるみたいだ。
行けってことか?
ミチコを探しに行けって?
そりゃ場所が分かれば行きたいよ。羽交い絞めにしてでも連れ帰りたい。
今まで幸運で危ないことから避けられていた故に優しかったアイツが、悲しい目に合うのを黙って見ていたくはない。
フクロウが飛んで行ったってことはまだアイツのもとにはたどり着いてないはずだ。ってことは、まだ危ないってことだよな。酒と一緒に薬でも呑まされたら手遅れだ。
「行くしかねえだろ!」
ニャーと鳴く黒猫の声に後押しされ、アパートの廊下を走った。どこにいるかはわからねえけど、あいつが言う赤い糸的な謎の感覚で探す!
階段を駆け下り、アスファルトを蹴った。駅までの細い路地を走る。遠くからトラックが唸りをあげて走ってくるのが見えた。蛇行しながら暴走するトラックを避けようと、道端の歩行者が逃げ惑ってる。
あぁ、アレ、俺に当たるんじゃねえの? さすがに死ぬぞ?
背中がゾクリと粟立つ。
だけどさ、俺が行動すると大抵不運に見舞われるわけだ。何かしようとしていた俺に不運がなければ、やろうとしていたそのこと自体がダメだったってことが、後からわかるんだ。
ってことはだな、暴走トラックが向かってくる方角は、俺にとっては行くべき方角。 不運がやってくる方向にミチコがいるんだ。間違いない。不運を逆手に取ってやるぜ!
……でもあのトラックをどうすりゃ?
なんてまごついてるうちにすぐそばの交差点まで来てた。運転手が項垂れてるのが見える。居眠りかよ!
迫るトラック! 唸るディーゼルエンジンが腹に響く!
コエエ! 足が震える! マジコエエ!
頭上の猫がニャーと鳴いた。
「おお、引くなってか、ありがとよ!」
ここで引き下がっちゃ男が廃る!
ミチコのためだろ、腹くくれ、俺ェェェ!
「だらっしゃぁぁぁ!」
眼前に迫ったトラックがスローモーションになる。見える! 見えるぞ!
俺は力の限り横にとんだ。視界の隅に、交差点に進入してくるタクシーが見えた。ゆっくりとひしゃげるタクシーが、トラックに突き刺さっていく。トラックが吹き飛ばされ、進路がそれた。
た、助かった?
いきなりスローモーションが途切れ、俺は電柱に頭から突っ込んだ。
「イッテェェ!!」
頭を抱えて蹲る俺。割れるように頭がいてえ。いやマジで割れてるかもしれん。
だがそんな暇はねえ。トラックは別な電柱に激突して、タクシ-はフロントをべっこり潰された状態で止まってた。タクシーから運転手が出てきた。怪我もなくて無事そうだ。
急いでスマホを取り出し警察に連絡する。
「すみません、事故です。場所は」
頭をぶつけた電柱を見上げた。書いてある住所を読み上げ、救急車も必要なことを伝えた。タクシーの運転手がふらふらと近寄ってくる。
「君、頭から血が」
「大丈夫です! 警察に連絡はしました。すみません、俺、急いでるんで、行きます!」
「ちょっと、君!」
「大丈夫でーす!」
ドップラー効果が聞こえてるであろう速度で、俺は駆ける。
事故放置とか褒められた行為じゃないけど、それよりも大切な用事があるんだ。最低限のことはやったから、それで勘弁して!
ズキズキと痛む頭がざりっとした何かで舐められた。多分、黒猫が舐めてるんだろう。それで治るとは思えないけど、気持ちだけもらっておく。
「うぉりゃぁぁぁ!」
トラックが向かって来た道を走る。路地から大通りへと抜けた。駅へ向かうバス通りで、ショッピングゾーンになってるから人が多い。
速度を緩めず直感で左に曲がる。叫んで走れば歩いてるサラリーマンが俺を見てくる。オカシイ人間と思われたろうが気にしない。おかげで俺が走る先は、海が割れたように人波がひいていく。
でも、周囲の人間は俺を見ていないことに気がついた。俺の行く先を見てる。
「……マジ?」
包丁みたいな何かを握りしめたお姉さんが髪を振り乱し、一心不乱に走ってくる。
「トラックの次は通り魔!? 俺の不運も極めつきだな、おい!」
だがこの方向で間違いはない。不運がやってくるんだからな!
こんだけ運が悪けりゃ、待ち構えてるのはハッピーエンドしかなーい!
「ギィヤァァァァ!」
恐ろしい形相のお姉さんが金切り声をあげた。周囲は逃げ惑うばかり。おかげで道がひらけてる。俺も丸見えだけど。
ニャー。
頭上で猫が鳴いた。よっし、不運確定、ミチコへまた近づいた。
俺は足に力をこめて思いっきりアスファルトを蹴った。
「ゴメンねお姉さん!」
包丁を振り上げたお姉さんの腕を掻い潜る。ザシュッと音が聞こえて左肩がスースーする。
見てみりゃ服がお姉さんの包丁で切られてた。深くはないけど、さっくり肌が丸見えだ。
「ウキャーーー」
背後を見れば、お姉さんがたたらを踏んでUターンしてた。そして逝っちゃった目で俺を見てくる。
あれ、俺ってばロックオンされてる?
不運は理不尽だ。理由なんてないのはよぉっく知ってる。
どうせこれも理不尽の塊だ。
「急いでるから!」
俺はまた駆けだした。お姉さんも追いかけてくるみたいで、周囲から悲鳴が上がる。
他の人に危害がいかなきゃいい。俺が不運なほどミチコに近づく。
不運バッチコーイ!
☆★☆
お姉さんを引き連れて駆けてること数分、駅が見えてきた。この駅は住宅地が近い関係で人が多い。だが通り魔的お姉さんに追いかけられる俺が走ればモーゼの如く割れていく。
気持ちがいいけど、油断すると俺が死ぬ。もう息が上がって苦しいけど、ミチコの一大事に泣き言はいえない。
アイツ、幼馴染なんだよ。可愛くないけど、俺にとっては可愛いんだよ。大事なんだよ。
いまさら気がつくとか、バカじゃね、俺。
だが善は急げだ。とにかく急げだ。
俺が不運に追いつかれる前にミチコを探し出す!
ニャー。
頭上で猫が鳴く。ってことは方向はこれでいいんだが、また不運がやってくるってことか。
「強盗だー」
前方にあるコンビニから怒声が聞こえ、入り口から目指し帽の人間が走り出てきた。デカイナイフと鞄を大事そうに抱えてる。
「次は強盗かよ!」
前方の強盗に後方の通り魔。この不運っぷりがまったくもって俺らしい。
勢いよく走る俺に驚いたのか、目指し帽の強盗の腕から鞄が零れ落ちた。
重なるように交差する俺と強盗。
すれ違いざま、俺の手にはその鞄があった。
「鞄返せグルァ!」
「いらねえ、いらねえってこんな鞄!」
「待てぇ、クソガキィ!」
鞄を落とそうとしたけど、取っ手が絶妙に俺の手に絡みついてる。
落としたくても落とせない。
止まりたくないから止まらない。
強盗の怒声が背後から聞こえてくる。
頭上の猫がニャーと鳴いた。
「はっはー、今、この時点で、世界で、一番、不運な、男っぽいぞ、俺!」
通り魔のお姉さんと強盗は相変わらず追いかけてくる。理由なんて知らねー。警察だって来ねえし。不運の理不尽さが大噴火だ。
だが、不運=ミチコに向かってるってこと。肺が破裂しそうで息もできてるかわからないけど、足は止まらない。なんだか楽しくなってきた。ひゃほーーー!!
「アタル!」
人ごみの中から声がした。聞き間違いようもない、小さい時から聞いてきた声。アイツの声だ!
「ミチコ、どこだぁぁ!」
「ここ~」
緊張感の欠片もない声と共に、人ごみに浮かぶ白いフクロウが目に入った。合コンの相手と思われる男女が数人は距離を置いて離れてる。ドン引き具合が見て取れる。
足を緩めて近寄ればニコニコ顔のミチコ。なんで嬉しそうなんだよ。
「良くこれたねー」
「これた、ねーじゃ、ねーよ!」
だめだ、息が苦しくてまともにじゃべれねー。胸がギリギリ抉られるみたいに痛い。膝に手をついて肺に空気を送り続ける。ずっと走りっぱなしで肺も脇腹も足も全部痛い。汗が地面にぽたりと落ちる。
「水飲むー?」
首を傾げたミチコがペットボトルの水を差しだしてきた。ほんと呑気だな、お前。
そこが良いところでもあるんだけどさ。
「合コン、なんて、バックれ、ちまえ!」
「あ、うん!」
ミチコは嬉しそうに頷いた。
頭上の猫がニャーと鳴いた。ミチコは俺の頭の上に視線をやった。
「猫ちゃんもお疲れ様ー」
ちょっと待て、お前、見えてんのか?
☆★☆
すぐに警察が来て、強盗と通り魔のお姉さんは捕まった。ミチコと合流したことで不運から解放されたみたいだ。
俺は交番で事情聴取を受けたが、落ち度なんてないし、むしろ被害者側だったから話すことを終えて解放された。頭のけがはいつの間にか消えてた。猫になめられたからか?
暴走トラックと遭遇した道を、ミチコと並んで歩いてる。既に事故の処理も終えていたようで、トラックもタクシーもない。頭の上の猫とフクロウが「くるっぽー」「ニャー」と何やら会話をしている。
何を話してるんだか聞いてみたいが、それよりも先に聞くべき相手がいる。
「なあミチコ」
「なななに?」
明らかに動揺してるミチコ。後ろめたさの花が満開って感じだ。
「もしかして、フクロウを、その無理に合コンに誘われてる子にあげようとか思ったんじゃないだろうな?」
「ドキィ!」
「まぁ、いつから俺の黒猫が見えてたとかあえて聞かないけど、その理由だけは知りたい。そのフクロウがお前に幸運をもたらしてたのはわかってたんだろ? なんでそのフクロウを手放したんだ?」
俺の質問にミチコは下を向いた。そして足を止めた。すでに陽も落ち、街灯が寒い色を注いでいる。
その明かりがスポットライトみたいにミチコにあてられた。
「運が良いってさ、実は誰かの運を奪ってるんだよね」
ミチコがポツポツと語りだした。
「まぁ、そーいえる、かもだけど。それが?」
「アタルと映画を観に行った時も、あたしは財布を拾ったけど、それは誰かが落としたから拾ったんだよね。落とした人はすっごい不安だったと思うんだ。あたしは拾ってあげて良いことをしたって言ったけどさ、そもそも財布を落とすような不運がない方が、良いと思わない?」
ミチコが顔をあげ、俺を見てくる。少しうるんだ瞳に街灯の明かりが反射して、余計にキラキラ見えた。
「不運は少ない方が良いとは思う」
「だよねー。小さい頃はラッキー、なんて思ってたけど高校生くらいから嫌だなって思い始めたんだよね。だって、あたしがラッキーな時は誰かが困ってたりするんだよ? それが友達だったりアタルだったりさー。悲しーじゃん」
ミチコの声が震えてる。
「だからフクロウを手放そうとしたってことか」
「これであたしも普通になれるのかなーって思ったんだけどねー。あはは、あたしのところに戻ってきちゃったけどね」
フクロウがくるっぽーと鳴いた。このフクロウはわかってたってことか?
生まれ持った特性というか、そんなものは簡単には代えられない。俺の不運も変わらないってことだ。だが、方法がないわけじゃない。それを俺の口からいうのはちょっと苦しい。俺だけの問題じゃないからだが、今の感じだと……
「で――」
「でもね、アタルと一緒にいると、フクロウちゃんのラッキーも黒猫ちゃんのアンラッキーに打ち消されるんだ」
俺を遮って、ミチコが俺をニカッと笑った。その、笑顔の中に恥ずかしさを残した表情に、俺の心臓が跳ねて口からコンニチハしかけた。
可愛いとか、そんなものを超越した何かがそこにいた。
顔が熱い。体も熱い。フルメタルファイヤーだ。
「だからあたしはできるだけアタルと一緒にいるようにしてた。ってアタルと一緒にいるのはそれだけじゃなけどさー」
ミチコがちらりと俺を見やる。思わせぶりなその仕草に俺の脳みそも沸騰直前でゆで卵ができそうだ。ゴクリとつばを飲み込む。
「そ、それって……」
「知ってる? あたしがアタルの奥さんになると、シアワセミチコになるの。シアワセアタルにシアワセミチコ。でも、ラッキーでもアンラッキーでもない、普通の夫婦」
夫婦といった直後、ミチコの顔が真っ赤に染まった。
「あはは、なーんちゃって」
「……いいじゃんか、それ。俺もちょうど同じこと考えてた。ただ、その……」
「その?」
ミチコが首を傾げた。クッソ可愛いじゃねえか。
誰だ、特段可愛いわけじゃないって言ったのは。
俺だぁ!
俺はミチコの手を取った。柔らかくって暖かい。これ、欲しい。
ミチコの頭の上のフクロウがバサッと羽ばたいた。そして俺の頭の上にふわりと降りた。ニャーという声が聞こえた。
「あ!」
ミチコが頭の上の黒猫を見てる。どうした、フクロウが何かしたのか?
「黒猫ちゃんが白猫ちゃんになっちゃった!」
「はぁ?」
「キャー可愛い、しかもオッドアイだよ!」
ミチコはそう言って俺の頭上に手を伸ばし、大事そうに白猫を抱きかかえた。胸が柔らかそうにむにっと歪んだ。
羨ましいな、おい!
「オッドアイの白猫ちゃんって幸運を運ぶんだって。これで不運黒猫+幸運白猫で、プラマイゼロだね!」
「えぇ、まじ?」
黒猫進化で白猫誕生とかゲームじゃねえんだし。ありえんだろよ!
おたおたする俺の目の前のミチコの喜びの顔から、ちょっと寂しそうな影を見つけた。
「あーーー、ってことは、あたしがいなくってもアタルは普通でいられるのかー……」
ミチコの寂しそうな原因が分かった。俺のそばにいなくっても、不運に見舞われなくなったからだろう。
そんなことはない。
猫が黒だろうと白だろうと、俺にはコイツが、絶対条件で必要だ。
こいつという光があってこその俺という陰だった。
光陰が渦になってこそ、普通なんだよ。
俺はミチコの手を優しく包んだ。
「いや、お前がいてこその普通だ。いないと困る。そうだなー、まずは、幼馴染を卒業して、恋人を始めねえか?」
俺の言葉に五回瞬きをしたミチコは、口を半空きのまま、季節先取りの紅葉を迎えていた。
「腹減ったからコンビニで何か買って部屋で食おうぜ」
「うん。アタルのおごりね!」
「なんでだよ!」
「なんでもー」
手をつないだまま、ゆっくりと歩き出した。




