第6話「二人の距離、近づく心」
地響きは夜通し続いた。
遠くから聞こえる爆発音や、魔獣の叫び声。蓮華堂の窓ガラスがビリビリと震えるたびに、蓮華の心も揺れた。
彼は一睡もせずに薬を作り続けた。
傷薬、解毒剤、気付け薬、魔力回復薬。ありったけの素材を使い、棚が埋め尽くされるほどの量を用意した。
夜明け前、ようやく音が止んだ。
静寂が戻った村に、重たい足音が近づいてくる。
蓮華は飛び出すように扉を開けた。
「龍牙さん!」
そこに立っていたのは、全身血まみれの龍牙だった。
しかし、その足取りはしっかりとしている。彼の後ろには、疲れ果てた表情ながらも無事な部下たちの姿があった。
「よう。……店は無事か?」
第一声がそれだった。自分の怪我よりも、蓮華の店を気にかけている。
「店なんてどうでもいいです! その体……!」
龍牙の鎧はボロボロに砕け、腕や足には無数の切り傷があった。だが、致命傷はないようだ。
「かすり傷だ。お前の持たせてくれた『活力の丸薬』のおかげで、最後まで動き続けられた」
龍牙は笑ってみせたが、その顔色は蒼白だった。限界を超えて魔力を使い果たした証拠だ。
「すぐに手当てをします! みんなも中へ!」
蓮華堂は即席の野戦病院と化した。
蓮華は部下たちに軟膏を配り、自分は龍牙の治療にあたった。
服を脱がせると、鍛え抜かれた肉体に新しい傷が刻まれているのが見えた。蓮華は痛ましさに顔をしかめながら、特製の傷薬を塗り込んでいく。
ひんやりとした薬が肌に触れると、龍牙は小さく息を吐いた。
「……しみるか」
「我慢してください。消毒効果を高めているので、少し痛みます」
蓮華の指先が、龍牙の肌を滑る。
薬師としての接触だが、その距離はあまりにも近かった。
龍牙の体温、荒い呼吸、そして戦いの興奮が冷めやらぬ濃密なアルファのフェロモン。
それらが混然となって蓮華を包み込む。
不思議なことに、蓮華はそれを「怖い」とは思わなかった。
むしろ、心地よいとさえ感じていた。
龍牙の匂いは、雨上がりの森のような、深く静かな安心感を含んでいる。
「お前、平気なのか?」
ふと、龍牙が尋ねた。
「え?」
「俺はいま、かなり気が立っている。普通のオメガなら、俺の側には近寄れないはずだ」
戦直後のアルファは攻撃的で、フェロモンも凶暴になる。オメガにとっては天敵のような状態だ。
だが、蓮華は平然と包帯を巻いていた。
「僕は……フェロモンを感じにくい体質なんです。実家では『石女』ならぬ『石男』だと馬鹿にされていましたから」
蓮華は自嘲気味に笑った。
オメガとしての機能が不完全であること。それは彼のコンプレックスであり、追放された理由の一つでもある。
しかし、龍牙は太い腕を伸ばし、蓮華の頬に触れた。
「……俺には、いい匂いがするぞ」
「えっ?」
「お前から、すごくいい匂いがする。花の香りのような、甘くて、優しい匂いだ」
龍牙の金色の瞳が、熱を帯びて蓮華を見つめていた。
その瞳に映っているのは、「欠陥品」の自分ではなく、一人の愛しい存在としての自分だった。
「そ、そんなはずはありません。僕は……」
「嘘じゃない。俺の鼻は誤魔化せん。……この匂いを嗅ぐと、古傷の痛みが消えるんだ。心も静まる」
龍牙の親指が、蓮華の唇をそっとなぞる。
心臓が破裂しそうだった。
これは「運命の番」特有の反応ではないか。
蓮華の頭の片隅に、古い伝承がよぎった。互いのフェロモンが完璧に合致した時、それは万能薬となり、魂を癒やすという。
もしそうなら、自分は欠陥品などではなかったのか? ただ、この人に会うために、他の誰にも反応しないように作られていたのか?
二人の顔が近づく。
唇が触れ合う寸前――。
「隊長ー! 王都からの使いだってよ!」
店の外から野太い声が響き、甘い雰囲気は霧散した。
龍牙は舌打ちをして、名残惜しそうに手を離した。
「……間の悪い」
「い、行ってあげてください」
蓮華は顔を真っ赤にして背を向けた。心臓の音がうるさくて、まともに顔が見られない。
龍牙は渋々立ち上がり、破れた服を整えて外へ出た。
そこには、王家の紋章が入った豪奢な馬車が止まっていた。
降りてきたのは、神経質そうな官僚と、数人の護衛騎士。
「蒼 龍牙殿ですね。王命により、至急王都へ帰還されたし」
官僚が高圧的に告げた。
「断る。ここは俺の管轄だ。魔獣の処理も終わっていない」
「これは勅命です! それに……そこの薬屋に関しても調査命令が出ております」
官僚の視線が、店の中にいる蓮華に向けられた。
その瞬間、龍牙の全身から殺気が噴き出した。
「……何だと?」
「白龍堂より訴えが出ております。『家伝の秘薬を盗み出し、辺境で不法に販売している者がいる』と。その者を連行し、尋問せよとの仰せです」
蓮華は店の中でその言葉を聞き、血の気が引くのを感じた。
父だ。父が、自分の成功を嗅ぎつけ、潰しにかかってきたのだ。
「秘薬を盗んだ」なんて言いがかりにも程がある。けれど、権力を持つ彼らの言葉は、この国では絶対だ。
「ふざけるな」
龍牙が低く唸った。
「その薬師は俺の恩人だ。そして、この村の英雄だ。言いがかりをつけるなら、この俺が相手になる」
龍牙は剣の柄に手をかけた。
王の使いに対して剣を抜く。それは反逆罪に等しい行為だ。
「龍牙さん、やめて!」
蓮華は店から飛び出した。
自分のために、彼を犯罪者にするわけにはいかない。
嵐の予感が再び渦巻く中、蓮華と龍牙、そして王都の闇が、いよいよ正面から交錯しようとしていた。




