第5話「王都からの黒い噂」
蓮華堂の評判は、日を追うごとに高まっていった。
冒険者たちの口コミは風のように広がり、今では隣町からも客が訪れるようになっていた。
「翠玉村の『泥薬』は死人も蘇らせる」
そんな大げさな噂まで飛び交う始末だ。
蓮華は毎日、夜明け前から裏山へ入り、新鮮な薬草を採取しては、一日中薬を作り続けていた。忙しいが、充実している。自分の作った薬で誰かが笑顔になる、それだけで疲れなど吹き飛んだ。
そんなある日の午後。
常連となった冒険者の一人が、王都から届いたばかりの新聞を店に持ち込んできた。
「へい、先生。王都じゃ大変なことになってるみたいだぜ」
「大変なこと?」
蓮華が手を休めて尋ねると、男は新聞をカウンターに広げた。
一面に大きく書かれた見出し。
『奇病流行! 王都の名門「白龍堂」の特効薬、効果なし?』
蓮華の心臓が早鐘を打った。
記事によると、王都の貴族街を中心に、高熱と発疹を伴う奇病が流行しているという。原因は不明。そして、国一番の薬店である白龍堂が売り出した高価な特効薬が、全く効かないばかりか、症状を悪化させるケースも出ていると書かれていた。
「白龍堂って言えば、あの香水みてぇな薬売ってるとこだろ? やっぱり見た目ばっかりで中身がねぇんだな」
冒険者の言葉に、蓮華は複雑な表情を浮かべた。
父や弟の顔が脳裏をよぎる。彼らが作る薬は、華やかな香りと美しい色を出すために、多くの添加物を混ぜている。それが薬草本来の力を殺し、場合によっては毒にもなり得ることを、蓮華はずっと警告していたのだ。しかし、誰も聞く耳を持たなかった。
「……先生、顔色が悪いぞ。知り合いでもいるのか?」
「いえ、ただ……心配で」
蓮華は誤魔化すように笑った。
もう関係のないことだ。自分は勘当された身。あそこに戻る理由はない。
そう自分に言い聞かせるが、薬師としての良心が痛んだ。病に苦しむ人々がいるのに、自分だけここで平穏に暮らしていていいのだろうか。
カランカラン。
ドアベルが鳴り、長身の男が入ってきた。龍牙だ。
彼は最近、任務の合間を見つけては毎日のように店に顔を出していた。今日は背中に大きな袋を担いでいる。
「邪魔するぞ」
「龍牙さん、いらっしゃい」
龍牙はカウンターの新聞を一瞥すると、興味なさそうに鼻を鳴らした。
「王都の話題か。くだらん」
「くだらなくはないですよ。たくさんの人が苦しんでいるんですから」
「……お前は優しいな。だが、あの店は自業自得だ。利益優先で粗悪品を売り続けたツケが回ってきただけだ」
龍牙の言葉は辛辣だが、的を射ていた。彼は何か知っているのかもしれない。
龍牙は背中の袋を下ろし、中から巨大なキノコのようなものを取り出した。
「ほら、土産だ。『マンドラゴラの変種』らしい。森の奥で見つけた」
「えっ! これ、すごく貴重なものですよ! 魔力を増幅させる作用があるんです」
蓮華は目を輝かせてキノコを受け取った。その表面からは、『力が溢れる、力が溢れる』という強い声が聞こえてくる。
「お前なら使いこなせるだろ」
龍牙は満足そうに口角を上げた。
彼はこうして、珍しい素材を見つけては蓮華にプレゼントしてくれる。それは冒険者としての戦利品分けのようでもあり、オメガに対する貢ぎ物のようでもあった。
蓮華はキノコを抱きしめながら、ふと龍牙に尋ねた。
「龍牙さんは、王都には行かないんですか?」
「俺は辺境が好きだ。あそこの空気は澱んでいる。……特に最近はな」
龍牙の表情が曇った。
彼が言う「澱み」とは、単なる空気の汚れだけではないだろう。政治的な腐敗や、人々の欲望が渦巻く場所。
「それに、俺にはここに守るべきものができた」
龍牙は真っすぐに蓮華を見つめた。
その視線の熱さに、蓮華は思わず鼓動を早めた。
「守るべきもの」とは、この村のことか、砦のことか。それとも――。
その時、植物の声が一斉にざわめいた。
『来る、来る』
『黒い影が来る』
『逃げて、逃げて』
蓮華はハッとして窓の外を見た。
夕暮れの空が、不気味な赤紫色に染まっている。
何かが近づいている。王都の奇病とは違う、もっと物理的で、凶暴な気配。
「どうした?」
蓮華の異変に気づき、龍牙が鋭く尋ねる。
「……何か、嫌な予感がします。森の植物たちが怯えているんです」
蓮華がそう言った瞬間、遠くから重低音の響きが伝わってきた。
地響きだ。
龍牙の表情が一瞬にして戦士のものへと変わった。
「魔獣の群れか……! スタンピード(大暴走)の前兆かもしれん」
彼は素早く店を出ようとしたが、扉の前で立ち止まり、振り返った。
「蓮華、お前は店の中にいろ。絶対に外に出るな」
「龍牙さん!」
「俺が食い止める。……お前の作った薬がある限り、俺は負けん」
龍牙はニヤリと不敵に笑うと、夕闇の中へと駆け出していった。
残された蓮華は、震える手で自分の胸を押さえた。
王都からの悪い噂と、迫り来る魔獣の脅威。
平穏だった日々が、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
けれど、今の彼には頼れる人がいる。
あの強くて不器用なアルファが、きっと守ってくれる。そう信じることができた。
蓮華は作業台に向き直った。
自分にできることは、戦うことではない。彼らが無事に帰ってこられるように、最高の傷薬を用意することだ。
迷いはなかった。彼は乳鉢を握りしめ、力の限り薬草をすり潰し始めた。




