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ルークは大会が終了すると、ガーデンパーティーにも参加せずに、着替えもせずに、真っ直ぐにレイチェルの部屋に向かった。
不安で、不安で仕方がなかった。
(くそ、まだ動悸が止まらない。。あいつがゾイド。。)
直接対峙したゾイドに、ルークは気圧されてしまったのだ。
(父上のおっしゃっておられた通りだ。手強い男だ。。)
ルークは魔法騎士だ。
初見でもゾイドが、どれほどの魔道士かは肌で感じる。
凍る様な赤い目に見据えられて、ルークは動けなかった。
本能で知ってしまったのだ。この男には、勝てない。
(あの男が、レイチェルの婚約者。。。)
ゾイドの名を叫んで、泣いていた愛おしい娘を思った。
あんな冷たい瞳をした男を、なぜ。
ノックもそこそこに、ズカズカと部屋に入ると、レイチェルはいつものごとく、手芸をしていた。
ルークは心からほっとして、ようやく息がつける思いだった。
ここに来るまで、レイチェルがあの赤い瞳と一緒にいるのではないか、とありえもしない事が頭を支配して、こうしてレイチェルの顔を見るまで気が気ではなかったのだ。
「ルーク様!」
眩しい笑顔でレイチェルはルークを迎える。
大きな笑顔は、貴族の娘としては品が悪いとされているが、これだけはルークは小言を言わずにいた。可愛いのだ。その大きな笑顔が。
「今日はとってもカッコ良かったですよ!」
呑気にレイチェルはそれだけ言うと、またのんびり手芸の続きを始めた。
実際世間的には、カッコ良かった所の話ではない、王都の乙女という乙女が、今日のルークに夢中になっているほど美しい演舞だったと言うのに、本当にこの娘はルークのカッコよさに興味がない。
そんな事よりは手芸なのだ。
「当たり前だ。俺を誰だと思っている。」
いつものレイチェルの薄い反応に、ほっとして、ようやく腰をおろす事ができた。
今日は、黄色い歓声に散々迎えられて、ガートルードからも褒賞を賜り、ルーク自身も少し、高揚していたらしい。
歓声の中の絶叫には、ルークと夜を過ごしたい、という令嬢にあるまじき、熱烈な内容も少なくなかったほどだったほどの熱狂ぶりだった。
だがレイチェルは変わらない。静かに手芸をして、ニコニコこうして、薄く反応するだけ。レイチェルの隣にいると、日常が返ってくる。
「クラゲもかわいかったです。私の為に見せてくださって、ありがとう」
(ほんっとうに可愛いなあ。。)
レイチェルは真っ直ぐに、礼を言う。貴族社会の物言いに慣れたルークは、レイチェルの真っ直ぐな物言いが、一番柔らかい部分の心に響くのだ。
ルークは静かに手芸を続けるレイチェルの横で、ブツブツと詠唱を始めると、今日お披露目したばかりの、小さなクラゲをレイチェルに作ってやった。
「そら、作ってやったから遊んでいいぞ。遠くから眺めるだけなのはつまらなかっただろう。」
「あら!これなんですね!不思議な感触!ルーナ、ルーナも触って見たらいいわ!」
レイチェルもようやく針を置いて、風船の様に空中をたゆたうクラゲを引っ張ったり抱いてみたり夢中だ。ルーナとボール遊びの様に一しきり遊んで、ようやく来客とお茶をする気持ちになったらしい。レイチェルはルークの横に腰を下ろした。
ルークは、お茶を飲みながら、何かを懐から取り出した。
「ルーク様それ何?」
ルークの手の中には、大きなサファイアのついた、美しい首飾りがあった。
ルーナの顔色が変わった。
それが王女ガートルードの普段遣いの宝石であることをよく知っているからだ。おそらくは今日、ガートルードから賜った褒賞。
少し大振りなその石は、一つで城が立つほどの価値があるはず。
「お前にやるよ。お土産。今日もらったんだ。」
お菓子でも与える様に、ぶっきらぼうにレイチェルにサファイアをわたした。
「えー?悪いですよ。こんなすごいの貰う理由もないですし。」
レイチェルも、食べきれないチョコレートの箱詰めを貰った時の様な返答をした。
レイチェルに宝石の価値などわかりはしない。
そもそも子爵家にあった宝石は、母の遺した真珠の首飾り以外は全て、ガラスでできた偽物で、それでも一部本物の金が使われているものはそれなりに高価だったらしく、大切に金庫に仕舞われていた。
「いいから貰っておけって。どうせタダで貰ったものだ。」
どうでも良い様なものの様に、レイチェルの手に、強引に握らせた。
そして、真剣に、乞う様にレイチェルに言った。
「頼む。」
「。。ルーク様ったら。。私お礼もお返しもできないから困りますよ。」
「そう思うなら、その首飾りをずっと肌身離さずつけていてくれないか。」
切羽詰まった様な顔をするルークに、レイチェルは何も言えなくなてしまった。
なんだかよくわからないが、要するにネックレスをつけっぱなしにしておいたら、このお方は喜ぶのかしら。
首飾りは非常にシンプルなデザインだった。余分の飾りは何もついていないだけに、宝石そのものの輝きを魅せる作りつけになっている。
(まあ蝙蝠石より小さいし。つけたままでお風呂入れるならいいか。)
ルークはレイチェルの後ろに回ると、ネックレスをその細い首につけてやり、そして小さく魔法をかけた。
鎖が外れない様に鍵をかけたのだ。
大振りのサファイアが、レイチェルの胸元の、蝙蝠石の下で揺れる。
ルークはようやく満足そうな顔をして、安堵のため息をついた。
「着替えてくる。今日はもう疲れたんだ。」
「はあ。。」
そして扉に向かうと、最近おなじみとなった額への口づけを落として、さっさと帰ってしまった。
嵐の様な訪問だった。




