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収穫祭の1番の盛り上がりは、やはり最終日の仮面舞踏会の日である。
この日は主に、独身の男女が大いに愛を語りあう日だ。
街は仮面を付けた男女で溢れかえり、貴族達は仮面舞踏会でひと夜の夢を探す。
この夜に起こった事は、大抵女神の気まぐれの名の下に許されるので、大いに皆ハメを外す日でもある。
レイチェルは新しく自宅となった、騎士駐屯所の中の小さな家に一人でいる。
外からギターやリュートの音色が響いて、噴水の広場で焚かれた大きな火の光が、少しレイチェルの窓にも届いた。
窓にはゾイドに買ってもらったメリルの鉢植えがたおやかに開いていた。
月の美しい夜だ。こんな夜には間違いが起こりやすい、そういう歌詞の歌が収穫祭の前から王都で大変流行しているのだ。
レイチェルは、そっと自分の唇を触った。
優しい感触を落として行った男の事を想う。
美しい赤い瞳。銀の月光のような髪。大きな体。黒いローブ。
この国で最も有能な魔道士なのに、正直で困った人で、真っ直ぐな人で。不器用な人で。
(ゾイド様。。)
今日は王の主宰する仮面舞踏会に出席しているという。あの赤い瞳では、仮面は意味をなさないだろう。そして仮面の下はあの美貌だ。ひと夜の夢を乞う美しい女達が、今ごろ蝶のように彼の人の辺りを舞っているだろう。
この感情に名前をつけるのは怖い。名前をつけてしまったその時から、後戻り出来なくなってしまう。
レイチェルは大きな月を一人眺めて、溜息をついた。
心の中で小さく息付いたまだ名前のなかったもの。
ゾイドを知る度、想う度、その息遣いに触れる度、少しづつ、少しづつ大きくなってきた思い。
(私。。。)
銀の針を置いた。
ゾイドに贈る魔法伯家の家紋の入ったハンカチの練習をしていたのだ。
その家紋を囲むように、女神への祈りを縫い付ける。
ゾイドに女神の愛が与えられるように、健やかに過ごせるように、
そして最後に小さく縫い取りしたのはレイチェル自身の、独り言のような言葉だった。
あなたを、愛しています。
口にするには淡すぎる、心を無視するには大きすぎる、確かな思い。
何やら門の近くで大きな音がした。
おおかた騎士達が酔っ払っているのだろう。
こんな日は間違いが起こりやすいのだ。喧嘩にならないといいけれど。




