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レイチェルが王宮の女子寮に住み始めて、魔術研究所の研究員になってから、あっという間に一月が経った。
今ではレイチェルは、王宮では知らぬもののいないちょっとした有名人だ。
毎日レイチェルの寮の部屋には客がひきもきらない。
「レイチェル!こないだは靴下ありがとう。おかげで本当によく眠れたわ!」
「あ!良かった、効いたのね。」
「効いた効いた!本当に助かっちゃった。ありがとうね。これさ、お礼ってほどでもないんだけどね、貴方に焼いてきたパイなの。良かったら食べて頂戴!」
今日のお客は向かいの部屋に住んでいる、王宮本館のメイドだ。
冷え性で眠れないというので、レイチェルは支給品の靴下に、魔法陣を刺繍して、一晩ポカポカ暖かい靴下を作ってあげたのだ。
これが魔力の高い人間が陣を刺したらそうはいかない。魔力が通って、燃えてしまう。
そして残念な事に、レイチェルほど高い陣や紋の教養の与えられている者は、決まって高い魔力保持者、すなわち貴族ばかりなのだ。靴下にポカポカ陣を展開して縫い付けている様な人物は、国中探しても、レイチェル以外どこにもいないだろう。
レイチェルは他にも、不眠で困っている門番に、眠くなる軽い呪いのかかったぬいぐるみをぬってあげたり、胃痛で悩む金庫番のマダムに、痛みが軽くなるように紋の三つ重ねという魔術的には大変贅沢な術式の入ったビーズのネックレスを渡したり、効果が抜群ということもあって、王宮にはレイチェルの噂が駆け巡ったのだ。
レイチェルにしてみたら、屋敷でマーサやライラにしていたこととまるで同じ事をしているだけで、こんなに人に喜んでもらえて、嬉しいやらくすぐったやら、すっかり楽しく王宮生活を過ごしている。
「レイチェル嬢、随分と王宮の生活に馴染んできましたね」
毎朝レイチェルを迎えにくる、レイチェルの麗しい婚約者は、日々レイチェルが挨拶をかわす人々が増えてきた事に驚きを隠せない。
「私なんかの魔術と手芸をみなさん喜んでくださるんですよ!」
屈託なくレイチェルは笑う。
ゾイドは、素直にかわいいな、と思うのだ。
「でもたくさん失敗もしたんですよ。皿洗いのニーニャの手袋に、水を弾く仕掛けを施したら、お皿が滑ってしまってたくさん割れて、使えないって。」
正直ゾイドは、ほぼ引きこもりのレイチェルがこれほど王宮生活に馴染むとは思っていなかった。
まあ研究所ではうまくやるだろうと思ったが、先日清掃中のメイドに、レイチェルにお礼を言ってほしいと言っていおり、レイチェルが彼女の為に作ったという、腰痛がマシになる腹帯を見せてもらったのだ。
アップリケで、周囲の空気が軽くなる様な陣が縫い付けてあった。
腰が少し軽くなるので、痛みが軽くなる。
この陣は非常に古い陣で、その分威力は弱いが、持続力が近代の物より優れている。
色は糸も含めて全て黄色で、陣には発動時にほんのり暖かくなる仕組みが施されてある。
よく使い手の事を考え尽くされた陣だ。
腰痛は死に至る病ではないが、メイドにとっては毎日の死活問題であったはずだ。
メイドのゾイドを見る目が、完全に、「お世話になっているレイチェル様の婚約者」であって、「ゾイド様」でなかったのが新鮮であった。
レイチェルの陣には、特別複雑な仕掛けがあるわけではないが、全く無理がない。そして生活に大変密着している。
高い魔力を保持し、魔法伯家に生を受けたゾイドにとっては、レイチェル絡みで見るものも、聞くものも全て新鮮だった。ゾイドにとっての魔術とは、より高みを目指すもの。レイチェルにとっての魔術は、より生活に密着したもので、興味が尽きない。
多忙なゾイドにとって、朝の寮から研究所までレイチェルと歩く、短い逢瀬は、何にも変えがたい物となっていた。




